2019/03/15

シャネルネクサス「ピエールセルネ&春画」

ABCクッキングのグラタンメニュー


きのうはコレド日本橋でABCクッキングの授業があり、その前に上野の美術館を回ろうとしたのだが展示替えで休みだった。
美術館に行く場合は、月曜日を外すだけではなく、ウェブサイトで事前に確認する方が良いと思った。
しかし、今日は銀座でギャラリーめぐりをする予定である。
銀座にはギャラリーがいくつもあり、たいてい開いているので、事前に確認する必要はないだろう。
何より今日のメインは、シャネルのギャラリーの春画展である。
私は、この企画展のギャラリートークに招待されたので、ほかのギャラリーが休みでもいいのである。


銀座の東急プラザの江戸切子の展示即売会


西銀座のモスカフェ


ギャラリートークはシャネル閉店後の夜8時ごろからだ。
それまでの時間、いくつかのギャラリーを回った。
しかし、それほど印象に残るような展示ではなく、結局、東急プラザの6階で江戸切子の展示即売会を見学してから、西銀座のモスカフェで休憩し、夜7時半ごろ松屋の向かいのシャネルのビルに裏から入った。


シャネルネクサスギャラリーの春画の特別展示会


シャネルネクサスギャラリーの春画の特別展示会


この企画展の正式名称は「ピエールセルネ&春画」、メインはもちろん後段の春画の方である。
春画とは江戸時代に流行したヌード絵のことである。
ヌードなら世の男性たちに売れるから、春画の多くは版画であった。
江戸の浮世絵師にとって春画は良い稼ぎになったので、浮世絵師が春画を量産するのはふつうのことだった。
葛飾北斎は春画をあまり作らなかったが、「富久寿楚宇(ふくじゅそう)」などのいくつかの名作を残している。

当時はお上の取り締まりも緩やかで、春画はもちろん無修正で流通した。
が、今日日本のどこかで春画展をする場合、無修正がネックとなる。
そのため、「夜こっそり」というわけではないだろうが、ギャラリートークの参加者も少数であった。
ガイドは日本橋の浦上蒼穹堂の店主(代表)、浦上満氏である。
浮世絵の世界的なコレクター、国際浮世絵学会の理事、春画の熱狂的コレクターでもある。
浦上氏の春画のコレクションの一部が、今日ここに展示されている。

さて、展示されていた春画はどれも素晴らしく、中には二度と見られそうもないレアな春画もあったが、その感想はさておき、無修正の春画をめぐる保守的な日本の美術界のドタバタ話が興味深かった。
春画は日本の芸術品である。
にもかかわらず、浦上氏たち有志が春画の展示会を日本国内で開催しようとしても、当初どの美術館も相手にしてくれなかったそうだ。
かくして最初の春画展は大英博物館で行われた。
大英博物館の春画展は大成功し、世界のマスメディアが称賛した。
こうなると次こそ日本国内で、となるが、最初の国内での春画展は目白台の永青文庫で交渉の末やっと開催できたのだった。
永青文庫は細川護熙元首相が理事長をしている美術館である。
細川さんが特別にOKしてくれたから開催できたのであった。

ようするに、春画は無修正のヌードなので、美術館側は関わりたくないのである。
べつに警察が来ることもないのだが、例えば地域住民のクレーム、美術館のイメージダウン、そういう漠然としたマイナス面を恐れて、あえてうちではやらなくてもよいだろう、という無難な判断をされてしまうのである。
これを浦上氏は、日本人の自主規制の精神と言って批判していたが、私なりに言うと、日本人の事なかれ主義のたまものである。

リスクテイクとか、誰もやりたがらないことを冒険心でやるとか、そういうのは島国根性の日本人の気質として、もともと備わっていないのだと思う。
とにかく、日本人は冒険より平穏を好み、その結果、事なかれ主義が蔓延する。
もっとも、事なかれ主義というのは悪い言い方で、良く言えばそれは平和主義である。
別の言い方をすると、物事の始まりは平和主義なのだが終わりのときは事なかれ主義になるということである。

例えば江戸時代の日本人は殺し合いの戦国時代から学び、「平和主義」を貫いたのだと思われるが、最後はペリーの黒船が来て、200年以上の長い「事なかれ主義」は終わった。
そして明治維新後は、振り子が反対にふれるように帝国主義に傾倒し、最後は太平洋戦争を仕掛け、野心的で冒険的な帝国主義はわずか70~80年で砕け散った。
戦後はまた振り子が反対にふれた。
かれこれ70~80年ものあいだ「平和主義」一辺倒となっている。
さて、平和主義もそろそろ限界が来ていると言われているが、今後この「事なかれ主義」がどのように変化していくのだろう。
私は春画展の後、そんなことをふと思ったのだった。