画家のヒグチユウコは数年前、GUCCIとコラボして、限定品をデザインした。
その財布を買ったのがきっかけで、私はヒグチユウコのファンになった。
2019年3月16日。
私は世田谷文学館にヒグチユウコの企画展「CIRCUS」を見にいった。
夜は「黒色すみれとヒグチユウコのサーカスナイト」というイベントがあり、私はそのチケットの前売りを買っていた。
どういうわけか、私のチケットはナンバーワン。
マイナーな美術館かと思いきや、この日はイベントがあるため若い女性客がたくさん来ていてとても華やかだった。
1階の展示スペースでは地味な日本の自然主義文学の展示会も開催していたが、そちらは客が誰もいなかった。
私も早速、2階のヒグチユウコの企画展へ。
2階は1階とは異なり、おしゃれだし、熱気もある。
人はそういうところに集まるものだ。
私は人ごみに混じり、ヒグチ作品をひととおり見て歩いた。
彼女の進化の軌跡を示すためなのか、20代のころの絵も何点か飾ってあり、私はそのピュアな画風を最近どこかで見たような気がした。
ああ、そうだ。
こないだの新宿の損保ジャパン美術館のFACE展で見たような気がするぞ。
FACE展は新人賞の共同展示会であるが、ある女性画家の作品と似ている、と思った。
しかし、たぶんそういう作品はありがちなので、なかなか通用しないのではないか。
そこでヒグチユウコは、今のような怪しげな画風に変化していったのかもしれない、
私はそのように推測した。
ヒグチ作品でおもしろかったのは、彼女の挿絵付きの夢野久作の「きのこ会議」であった。
夢野久作は「ドグラマグラ」で有名な戦前の作家だ。
マリオカートのノコノコではないが、食用きのこたちが集まり会議をしている様子が描かれている。
自分たちは「キノコ狩り」で人間たちに採取され、食べられる運命にある。
だから、どうすれば人間たちに採取されずに生き残れるかをみなで話し合っているのだが、人間は毒キノコを採取しないので、毒キノコのふりをしてみよう、ということになった。
が、その日に限って、キノコ狩りに来た人間が心優しい家族連れであり、食用きのこはまだ小さいから大事に保護されるのだが、毒きのこは他の人が間違って食べるといけないから根こそぎ切られてしまう。
こういうオチが待っている。
この話にヒグチユウコのひどく不気味な挿絵が付いているのがおもしろかった。
まあ、人間もきのこもそうなのだが、ジタバタしたところでおのれの運命を変えることはできないのだ。
あっという間に夜になった。
私は少し早めに、「黒色すみれとヒグチユウコのサーカスナイト」の会場へ。
1階のイベントスペースで行われるというのだが、どういうイベントなのかがそもそも分からないので、入口の職員に話を聞いた。
すると、ステージでヒグチユウコのライブドローイングと、黒色すみれのライブ演奏が同時進行するという説明だが、黒色すみれとは何者なのか。
女性2人組のパフォーマンスミュージシャンであると言われた。
私のチケットは1番だ。
最前列中央、通路の右側の椅子に、私は座った。
真ん中の通路を挟んで左隣にいるのが2番の席の方である。
おお、すごい。
彼女はヒグチユウコの限定品フル装備である。
ええと、あの方はたぶんお金持ちだ。
上から下までGUCCIのヒグチユウコ、100万円以上ではないか。
私もチケットの1番に恥じぬよう、限定品の財布を記念品として持参したのだが、女物ばかりなのでこれだけで十分(上の写真はGUCCIのブティックで撮影したもの)。
時間になり、深紅のごてごてのドレスを着た女性が舞台に登場した。
この司会者佐藤梟(さとうふくろう)さんというのだが、講談の古くさい語り口で司会をするので、会場には戸惑いの雰囲気が広がった。
そのうちステージのバック(プロジェクター)にヒグチユウコ本人が現れた。
顔は見せず身体だけ、プロジェクターを通してである。
彼女は白い布の手袋、ラフなTシャツ、安っぽいサインペンを持っていた。
これら全てが、駅前の100均でさっき適当に買ってきたようなものに見える。
ああ、ペンにバーコードのシールが貼りっぱなしじゃないか。
あんなちゃちいペンで、ライブドローイングをするのかなあ。
Pの文字が見えるので、たぶん、パイロットか、ぺんてる?
まあ、道具にこだわらないのは、一流のアーティストならではである。
続いて2人組のパフォーマンスミュージシャン黒色すみれが出てきた。
2人は甲高い声で何事か喋ると、バイオリンとピアニカでチンドン屋みたいに演奏を始めた。
おいおい、ずいぶん、騒々しい演奏だな。
ただ、目当てのヒグチユウコはなかなかライブドローイングをしてくれない。
なるほど、司会者佐藤梟さんの話によると、観客たちの「お願い」がないと描いてくれないようだ。
「お願い、ギュスターブ君を描いて~」という梟さんのかけ声があり、全員で「にゃ~~~」と鳴いてお願いをする。
なんだ、これ、おもしろいな。
しかし会場の人たちの鳴き声が小さかったので、ヒグチユウコは「しかめっ面のギュスターブ君」をサッと描いて、ダメ出しの意思表示をした。
その後、もう一度梟さんのかけ声があった。
すると今度はもっと大きな声で「にゃ~~~」と会場の人たちが一斉に鳴いたので、ヒグチユウコは「笑顔のギュスターブ君」を描いた。
ヒグチユウコのペンが動いている間、黒色すみれは何曲か持ち歌を演奏したが、これはやはり、チンドン屋のようであった。
ヒグチユウコが絵を描く、黒色すみれが演奏をする、ヒグチユウコの絵が完成する、黒色すみれが演奏を中断する、そんな感じの繰り返しでライブパフォーマンスは30分以上続き、恐らく10枚以上の絵が完成した。
そして終わりにさしかかり、絵のプレゼント企画となった。
全員でじゃんけんをして勝った観客がもらえるというのだが、まあ、会場には100人以上はいるので、勝率10%弱か、これはかなり厳しい。
と思ったら、私は幸運にも、じゃんけん大会に勝ち残り、プレゼントの権利をゲットしてしまった。
私って、やっぱり、ラッキーな人なんですよね。
もっとも、10枚のギュスターブ君の中から好きなものを選べるのかと思ったら、そうではなかった。
選ぶのではなく、単に席順で順番に配布されたのだ。
私に渡された絵は、な、なんと、ダメ出し用に描かれた「しかめっ面のギュスターブ君」ではないか。
ヒグチユウコが時間に追われてあわてて描いた、サインも入っていない、まあ、もらえるだけラッキーであるが。
イベントが終わり、解散となった。
閉館時間まで居残った客たちが、好き好きに過ごしているなか、私はこの絵が間違いなくヒグチユウコ本人の作品であることを証する必要があると思った。
そこで司会の佐藤梟さんにお願いして、証拠の記念写真を撮らせていただいた。
帰りはバスがなく、夜道を芦花公園駅まで歩いた。
電車を乗り継ぎ、帰宅したのは12時近くだった。
書斎で未使用の額縁を見つけ、私は1番のチケットとギュスターブ君の絵を一緒に入れ込んで壁に飾った。
しかめっ面のギュスターブ君。
まったく、かわいくない。
だがそれは、まるで上司や担任の先生に説教されて不服そうな顔であり、見方によっては独特の魅力がある。