2019/07/30

ピアノデュオ、レフレール

最近は高齢化社会となり、ピアノを弾くと認知症予防になるのでピアノ教室に通う人が増えているそうだ。
もちろん、ピアノ教室は定期的に発表会をする。
しかし、生徒が子供ならしゃれているが、高齢者ばかりの発表会はどんなもんなのだろう。

実は以前、そのようなピアノ発表会を生で聞いたことがある。
NPOの主催で、高齢者の生徒とベテランのピアノの先生の連弾がメインだった。
その合間には、「エリーゼのために」などの誰もが知る人気曲、有名曲をピアノの先生が独奏して聞かせるが、コンサートピアニストではないので、どうってことのない演奏である。
恐らく、生徒が高齢者ばかりだと、演奏もたどたどしいので発表会のていをなさないのでは、と私は思った。






さて、今日は東京オペラシティーで「音楽のたまて箱」というコンサートを聞いた。
田舎のコンサートとは違い、豪華ゲスト「レフレール」が登場する。
これが私のお目当て。
レフレールは、日本人の若手の人気ピアノデュオである。

初台駅に着いたのは11時前。
私は道を間違えてしまい、少し遅れてタケミツメモリアルに入場した。
実は先月も、現代音楽のコンペティションを聞くために、タケミツメモリアルに来たばかりなのだが、どうも、タケミツメモリアルの行き方はオペラシティーを入ってからイマイチ分かりにくいのだ。
私は2階席に座った。
ステージでは、テレビや雑誌で人気の華道家、假屋崎省吾さんが挨拶をしているところだった。

おお、すごい!!
假屋崎さん、コンサートの後半でピアノを演奏するんだ(上手に弾けんのかな、、、)

私はプログラムを眺めた。
子供の頃、私が弾いたことのあるやさしい曲、おなじみの曲、しかしこれらの曲も実際にこのような大ホールで人に聞かせるとなると容易ではないのである。
小瀧俊治というピアニストが演奏した後、私のお目当てのレフレールが登場。
レフレールは「斎藤兄弟」とも呼ばれるそうだが、自己紹介でマイクを握ったときに、ぼくたち本当に兄弟なんですよ!!といっていた。
しかしそう言うと、かえって疑われるのではないか(あなたたち兄弟にしか見えないぞ!!)。

彼らの経歴は異色である。
ルクセンブルクの音楽学校の出身。
兄弟なので息がピッタリ合っており、素晴らしい演奏だった。

その後、いよいよ假屋崎さんの出番がきた。
舞台袖からピアノの先生と一緒に登場し、なにやら難しい曲を連弾していたが、アマチュアがこのような難しい曲を弾く秘訣は、ひとつにはピアノの先生との連弾ということが大いにあると思った。
例えばモーツアルトのシンプルなピアノ曲を、モーツアルト弾きの内田光子は非常に難しいといっているが、ピアノ演奏の本当の難しさは突き詰めるとそっちの方にある。
ただ、そうはいっても、アマチュアがタケミツホールで演奏をしていること自体がすごい、、、さすが、假屋崎さん、すごい、と思った。

午前の部が終わり、私はタケミツホールを出てお昼を食べた後、オペラシティー美術館をのぞくことにした。
ジュリアンオピーの展示会と書いてある。
ふうん、有名な外国人アーティストなのだろうか??
1400円を支払って入場。


オペラシティー、ジュリアンオピー展示会


オペラシティー、ジュリアンオピー展示会


オペラシティー、ジュリアンオピー展示会


都会は顔(個性)のない人々と無機質なビルがある。
田舎は過疎化で山と川と電線しかない。
そんなニュアンスの作品がいろいろと展示されていた。
まあ、確かにユニークな展示会だが、、、この手のテーマは手垢がついており、つまらなかった。
というか、私はどこかピンと来なかったのだ。

ウーン、何かが足りないんだよなあ、、、
何だろう??


銀座キャピタル


オペラシティーの帰り道、銀座に立ち寄った私は、松屋のデパ地下でその理由をこのように考えた。
銀座はいつでもエネルギッシュな人々で混雑している。
ああ、暑い暑い、暑いのにみんな元気だなあ。
こういう真夏の暑い日は、冷たいお茶が飲みたい。

銀座キャピタルコーヒーで休憩した後、福寿園の店の前で女性店員に試飲をすすめられ、試飲した水出しパックの玉露茶を買った。
いま、都会で最もホットな問題は、、、顔のない人々でも無機質なビルでもない、この異常な暑さと地球温暖化である。


福寿園、水出し玉露茶

2019/07/28

水野里奈さんの細密画(1)

最近の真夏は日差しもまた強烈で、私はサングラスが手放せない。
きのうは、上野の下谷で東京メトロの街作りイベントがあった。
私は詳しい内容を知らずに行ったが、東京メトロが神奈川県の不動産屋E社とコラボして企画運営しているものだった。
日比谷線の入谷駅をおりたのは午前10時ごろ、そこから車の渋滞と猛暑の下町を歩いた。
途中、路地裏のさびれた店で、懐かしのラムネを買った。




そこから10分ばかり歩き、街作りイベントの開催場所に辿り着いたが、そこもまた路地裏のさびれた倉庫であった。
私を出迎えたのは不動産屋E社の数人の営業マンであったが、彼らは不動産屋らしからぬ「さわやかでラフな格好」をしており、私は最初何者か分からなかった。
Tシャツ、短パンの男性たち、名刺交換をするまで、まさか彼らが不動産屋とは誰も思うまい。
今日はスーツを着られないほどの暑さだし、確かにこういう格好の方がこれからの時代は営業もしやすいかもしれないなあ。


上野の下谷の東京メトロの街作りイベント


イベントの開始まで、E社の営業マン2人と雑談をして過ごした。
この地区のように、入り組んでおり古びた下町は、再開発などそう簡単にできるものではない。
しかし、再開発をしていかないと荒廃していくばかりである。
さて、どうしたものだろう、、、
彼らも私も、これといった答えが出てこなかった。
私がひとり静かに座っていると、親切な女性が飲み物とお菓子の皿を持ってきてくれた。

「暑いですね~♪♪」(と彼女)
「ですね~。あなたも不動産屋さん??」
「いえ、違います。東京メトロの社員です。」

私は、東京メトロの本社はどこにあるんでしたっけ、と彼女に聞いてみた。
上野駅のすぐ近くだというので、私は、そうだっけ~、と思った。
上野周辺は有名な大企業があるようなイメージではなく、上野公園とアメ横のイメージくらいしかないのだが。

その後、参加者が十分集まったところで、定刻より少し遅れて始まった。
内容は今時のゆるい参加型イベント。
和気あいあいとして楽しかったが、少しだけ真面目なディスカッションもした。
ディスカッションでは、鋭い意見を言う30才くらいの女性がいたので、私は、ゆるいイベントなのに、やけに真剣じゃないか、と思った。
他の人もたぶん私と同じように思っただろうが、自己紹介のとき彼女は求職中と言っていたので、自己アピールの意味もあったのかもしれない。

イベント終了後、私は何となく気になって、その女性に話しかけようとした。
が、彼女はスーツケースを引いて急いでおり、あと30分で電車が発車してしまうとか何とか言い残して、私の目の前からあっという間に立ち去ってしまった。

あら、私と違って忙しそう、、、
これから、どこかで面接かな??

私は東京メトロの女性を呼んで、彼女のことを聞いてみた。

「さっきのスーツケースの女性、知ってます~??」
「ああ、休職中といってた人ですよね。」
「そうそう。」
「いや、知らないですね、、、次回は来るのかしら。」
「なんか、目立ってたし、仕事できそうな感じでしたね。」
「ですね~。」
「もしよかったら彼女を呼んであげてはどうですか??」
「なるほど、いいですね。」

その後、私は御茶ノ水の明治大学に行き、用事を済ませてから、地下鉄を乗り継ぎ、銀座駅へ。
銀座三越のラデュレで少し休んでから、ポーラミュージアムアネックスへ。
実は、ここで2週間前に見た水野里奈さんの作品が気になり、私はもう1度見に来たのであった。


銀座ラデュレ


銀座三越


水野里奈ポーラミュージアムアネックス銀座


空はまだ明るかったが、すでに6時近く。
この日は、ギャラリーにたまたま水野さん本人がいた。
ぶらぶら作品を眺めていたら、派手なロングスカートの女性がいきなり話しかけてきたので、誰かしらと思ったら、水野さん本人だというのでこっちは2度驚いた。
私を美術関係者と思ったようだ。
私が絵の感想を話すと水野さんは納得した様子だったが、いつものことだが私の感想は、シロウトの単なるその場の思い付きにすぎない。






私は水野さんから直々に、11月に横浜で共同展示会をするので、もしよかったら見に来てほしい、と言われた。
名刺交換をしながら、横浜は遠いような気もしたが、何かの用事のついでに見に行けることもあるので、スケジュールが合えば見に行きます、と答えた。
詳しいことが決まったらメールで案内をしてくれるといっていた。
その後、ポーラのビルを出て銀座駅へ戻り、電車に乗ってから気付いた。
ああ、うっかりしていた。
突然のことだったので、サインをもらうことも、記念写真を撮ることもすっかり忘れていた。

2019/07/25

The Chronicle of Noble Lady(5)ダイアナ効果

7月下旬、私とIさんは紀尾井ホールに一緒にコンサートを聞きに行った。
私にとってこの日は、クラシック音楽の師匠はIさんである、と確信することとなった重要な日だ。

午後4時、紀尾井プリンスの駐車場の入口でIさんと待ち合わせた。
私は少し遅れてしまい、Iさんは駐車場フロアの玄関口の椅子にちょこんと座って待っていた。
私たちはエレベーターで、35階へ。
ここには、スカイギャラリーラウンジレヴィータという夜景の見渡せるデートスポットがある。
私たちはカップル向けの席に向かい合って座り、乾杯のシャンパン付きのディナーコースを頼んだ。
Iさんはお酒が飲めないので私だけが、シャンパンを飲んだ。


スカイギャラリーラウンジレヴィータ


スカイギャラリーラウンジレヴィータ


スカイギャラリーラウンジレヴィータ


乾杯の後、インスタ映えしそうな料理が次々と運ばれてきた。
しゃれた料理を食べながら、Iさんがその料理の評論をするのだが、これがかなりの毒舌。
Iさんはパリの超一流レストランと比べたりして、私には付いていけなかった。
そのうち、クラシック音楽の話題になった。
この後のコンサートはヴァイオリンのソロである。
しかし、Iさんも私もピアノ好きで、ヴァイオリニストの話題から次第にピアニストの話題となった。
いつものように有名演奏家たちの様々なエピソードを聞いた。
そして最後に紅茶を飲んでから、私たちはレストランを出た。

今夜のコンサートチケットは私の負担だが、食事代がワリカンか、私の負担かはよく覚えていない。
Iさんといるといつも楽しいので、私にはそういうことはあまり重要ではなかったのだ。
Iさんから頼まれたことについては、頼まれた内容を明らかにしておくこと、残しておくことが重要と考え、書面にしたのだが、それ以外のことは、お互いこだわらないようにしていたから忘れてしまった。
 
その後、紀尾井プリンスの駐車場からタクシーで紀尾井ホールに向かった。
紀尾井プリンスの向かいのホテルニューオータニの建物を見て、ふと思い出したようにIさんは昔話を始めた。
以前はここにお唄や三味線の先生のお屋敷があって、お友達もいたので出入りもあったのだが、次々と家屋敷を売り払い転居を余儀なくされた、いつのまにか全ての土地がニューオータニのものになってしまったという。
タクシーの運転手も黙ってその話を聞いていて、紀尾井ホールの前でUターンをするときに私たちにニューオータニの悪口を言った。

タクシーをおり、私たちは紀尾井ホールの中へ。
今夜は「明日への扉」という若手ヴァイオリニストのコンサートである。
ディアナティシチェンコ(Diana Tishchenko)というウクライナの女性ヴァイオリニストが演奏するのだが、彼女は2018年のロンティボーのヴァイオリン部門で優勝した実力派だ。
それにしては、チケット代が1枚2500円と安かったので、私はペアチケットを事前に確保しておいたのだ。


紀尾井ホールのディアナティシチェンコのヴァイオリンコンサート


ドレスでステージに登場した彼女は、かなりの美貌の持ち主だった。
しかし、彼女が聴衆を魅了したのはその美貌よりも演奏の方だった。
プログラムは、ラヴェル、エネスク、シマノフスキ、プロコフィエフ、そしてアンコールはバルトーク。
とくに伴奏ピアニストとのコンビネーションが完璧で、Iさんも私もじっと目を閉じて聞き入った。




アンコールピース、紀尾井ホール、ディアナティシチェンコ

 紀尾井ホール


コンサートが終わった。
アンコール曲の掲示板の前で記念撮影をした後、私たちは満足して紀尾井ホールを出た。
帰りはタクシーで四ツ谷方面に向かった。
私を四ツ谷駅でおろして、Iさんは自宅までタクシーで帰るという。

「Iさん、チケット代は2500円ですが、良かったですよね?」
「ええ、とても良かった。2500円とは思えない。」
「実はこれは「ダイアナ効果」と呼ばれるものです」
「ナニソレ?」
「ええと、ディアナダムラウさんの綴りはDianaです。今日のディアナティシチェンコも、綴りは同じDianaです。だから、間違いのない演奏家と思ってIさんをお誘いしました。」
するとIさんは笑って、「あなた、なかなかやるわね。また、連れてってね」と言った。


外出支援ボランティアの輪を広げよう

2019/07/24

今日は帝劇、明日は三越

皇居とは、いまや日本を代表する観光名所である。
日本人は、国会議事堂など見たくないが、天皇陛下の皇居は見たいのである。
外国人も同じなのだろう。
パレスホテルの交差点を渡り、大手門から皇居に入ると、宮内庁三の丸尚蔵館がある。
こないだは休みだったが、今日は開いていた。


宮内庁三の丸尚蔵館「正倉院宝物を伝える」


実は、私はこれが見たくてきたのである。
皇室が収集した「お宝」が正倉院にあるのだが、それが開かずの宝箱となっているという興味深い話なのである。
幕府の権力者が開けようとして何度か揉めたのだが、明治維新後、ついに明治政府が封を開けた(壬申検査)。
しかし、あまりに長い間、開かずのまま放置されていたため、お宝はがらくたとなり果ててしまった。
何だか、マンガのオチみたいな話だが、その後、(これは宮内庁の仕事と思うが)大金をかけてきれいに修復修理された。
ただし、今日ここで展示されているものはレプリカと書いてあった。

その後、しばらく皇居内を散歩した。
ペットボトルが手放せない真夏日。
暑くて休憩所へ逃げ込んだ。
すると、休憩所の建物はぐるっと周囲が全て工事中なのである。
皇居は現在、どこもかしこも大改装中、東京オリンピック直前だからである。
しかし、誰が見たって工事のしすぎではないか。
私は、工事のしすぎで皇居のありがたみがないような気がした。
いつも通れる場所も通行止めになっていて、満足に散歩もできない。


皇居


そういうわけで、私は早めに皇居を出て、日比谷公園へ向かった。
今日は帝国ホテルで友人と会う約束があるが、早めに着きそうなので、手前の帝劇の角を曲がり、有楽町の駅を通り抜け、銀座4丁目の交差点の三越へ、そこから数寄屋橋へ行き、日比谷ミッドタウンまで歩いた。




ミッドタウンには最新のトレンドがある、と私は思う。
だから、ウィンドウショッピングをしているだけでも楽しいのだ。
もっとも、先ほどの銀座四丁目の三越も、かつては流行の発信地だった。
「今日は帝劇、明日は三越」などと言われた花やかな時代もあったのだが、、、いまはもうミッドタウンのようなショッピングモールが全盛の時代であり、三越の時代(百貨店の時代)ではない。

ミッドタウンの地下へ。
ここに「ビアンカバーネット」という生花店がある。
「ドラゴンクエスト」の登場人物のような店名だが、有名な第一園芸の系列会社である。
すぐ近くの日比谷公園の入口には、ライバル店の日比谷花壇がある。


ビアンカバーネットのフラワーアレンジメントのワークショップ


ビアンカバーネットのフラワーアレンジメントのワークショップ


去年はフラワーアレンジメントのワークショップを受けたり、お花を贈ったりしたが、まあ、それはさておき、この店にはSさんという看板娘がいるのだ。
お花を贈るなら、センス抜群の彼女に頼むと間違いがない。

今日の私は、8月のワークショップとイベントの内容を確認しに来ただけである。
しかし、いつもは接客で忙しいSさんが、珍しくのんびり花の手入れをしており、少し話す機会があった。
彼女に話しかけるとまもなく、奥から店長が現れた。
Sさんと同年代の若くてカッコイイ店長さん。
私は店長のワークショップも何度か受けたことがあるのだが、気さくで真面目なお兄さんである。
ただ、どうも私には、この店長さんとSさんが「お似合いのカップル」に見えるのである。
今日は買い物をするわけでもないので長くはいられない。
すみません、また今度来ます、と言って私は店を出た。

その後、待ち合わせ場所の帝国ホテルへと向かった。
おや、正面玄関のロビーには、ひまわりの花が飾られている。


帝国ホテル


帝国ホテル


ああ、そうだった。
確か、以前誰かにひまわりの花を贈ったとき、花言葉を調べたような気がする。
ひまわりの花言葉は、「憧れ」である。
花言葉で花選びをするわけではないが、買うと気になって調べることがある。
ひまわりには「憧れ」のほかに、「あなただけを見ている」という花言葉もある。
しかし、いくら思い出そうとしてみても思い出せない。
そんな花言葉のひまわりを、私は誰に贈ったのだろうか。

2019/07/23

黒色すみれと見切り席の追っかけ男

昔はそこらでチンドン屋が、楽器を鳴らして練り歩いていたものだが、いまはもう見かけることもなくなった。
今日は、吉祥寺マンダラでチンドン屋を見た。
東京芸大卒のチンドン屋さんの「黒色すみれ」のバースデイライブである。
黒色すみれは風変わりな女性2人組で、どちらも厚化粧で何才だかよく分からないのだが、いまだに自分たちのことを「乙女」と称しているようである。
なので、ここでも「乙女」、ということにしておこう。

彼女たちは、主に都内のライブハウスで活動しており、バイオリンやピアノの伴奏で独特の歌を披露する。
それが狭苦しいライブハウスだと響くので、私にはまるでチンドン屋のように聞こえるのである。
正直、それほど上手ではないし、それほど流行りそうもない2人だが、3月の世田谷文学館では、ヒグチユウコとGUCCIの人気コラボ企画にゲスト出演しているのだからすごいし、私の見立てなどあてにしてはいけないのだ。

その時は、「黒色すみれとヒグチユウコのサーカスナイト」というステージであった。
黒色すみれを聞くのは、3月の世田谷文学館以来である。
せっかく吉祥寺まで足を伸ばすので、その前に周辺の美術館の予定も入れた。

吉祥寺美術館→吉祥寺マンダラ

吉祥寺美術館は、吉祥寺駅前のショッピングセンターの中にあった。
夏休みでショッピングセンターは混雑していたが、吉祥寺美術館は空いていた。
東京ステーションギャラリーもそうなのだが、美術館は好立地でも人気がないというのがお約束だ。

この日は小畠廣志さんという地元の彫刻家の個展であった。
その個展を見た後、私は常設展示室に行った。
ここには主に、浜口陽三の作品が展示されていた。
私は、水天宮のロイヤルパークホテルの向かいにあるミュゼヤマサ浜口陽三ミュージアム、こちらの方が浜口陽三美術館の本家と思っていたのだが、意外にも吉祥寺の方が、展示作品のクオリティーが高い、と直観的に思った。
展示室の入口には彼の履歴の年表が掲示されており、私は初めて、浜口陽三が東京芸大中退であることを知った。
展示室の説明によれば、彼の芸大中退は、師匠で洋画家の梅原龍三郎の助言によるもので、在学中に渡仏し、そのまま中退が確定したようだ。
戦前は貧しかったから、東大在学中に大蔵省に入るエリートも珍しくはなかったが、彼は東大ではなく芸大であり、そこらの学生ではなくヤマサ醤油創業家の御曹司である。
学費に困らない人が名門をあえて中退するとはどういう理由なのだろう、と不思議に思った。
それはパリで勝負する浜口陽三の覚悟や決意のあらわれだったのかもしれないが、彼ほどの天才にとっては東京芸大卒であることは魅力も価値もなかったのかもしれない。


吉祥寺、ステーキ


美術館を出た私は、吉祥寺の商店街をしばらく散歩し、夕食を取ることにした。
安いステーキハウスを見つけ、「いきなりステーキ」とそっくりなステーキセットを食べた。
最近、いきなりステーキの経営が悪化しているようだが、食べながら、これではいきなりステーキの売れ行きが落ちるのも仕方がないな、と思った。

その後、住宅街を歩き、吉祥寺マンダラに着いた。
マンダラは、まったく普通の住宅街に存在する、地下ライブハウスである。


吉祥寺マンダラ、黒色すみれの乙女図鑑ライブコンサート


狭い階段を降り、狭い受付で不良中年のようなおじさんからチケットを買った。
店の奥に入ると、そこは小さなライブハウスになっていた。
客席は満員で、私は仕方なく、はじっこのカウンターの見切り席に座り、ドリンクを注文した。
ただ、私の左隣の見切り席の方がもっと見にくい。




そこには、グレーの髪の風変わりな中年の男性が座っていた。
運ばれてきたドリンクを飲み、私は何となく見切り席のその男性のおつまみを見た。
このライブハウスは非常に狭く、彼のおつまみが私の左手から至近距離にあったので、私は気になってしかたがなかったのだが、彼は私の様子に気付き、よかったら半分どうぞ、と私に言った。
私はお礼を言い、遠慮なく彼のおつまみを半分食べてしまった。
そして食べながら彼と黒色すみれのことを話した。

それにしても、何を話しても、彼はかなりのインテリで、受け答えが見事だった。
私はすぐに彼と意気投合し、お互いに言いたい放題になった。
「まあ、ぼくはアイドル(黒色すみれのこと?)の追っかけをしている中年の引きこもり男ですよ」と彼は言っていた。
お互い自己紹介はしなかったが、どうも話を聞いていると彼はただの追っかけではなく、デビュー当時からの筋金入りの追っかけのようだ。
彼女たちはもうデビューして10年以上だが、彼はほとんど何でも知っていた。
私が、彼女たちは現代のチンドン屋だと言うと、彼も同意した。
黒色すみれのバースデイライブは大盛況。
ライブの後、私は彼の紹介で黒色すみれと話すことができた。


「黒色すみれバースデイライブ」


吉祥寺マンダラ、黒色すみれの乙女図鑑ライブコンサート


帰り道は彼と一緒に吉祥寺駅まで歩き、新宿駅まで電車も一緒だった。
私は中央線の快速に乗りたかったが、彼は快速ではなく、各駅停車に乗りたがった。
せわしないのが嫌いで、ゆっくり帰りたいと言うのである。
まあ、時間の余裕があるので私もそれに付き合ったのだが、新宿駅に着くまで20分ばかり、私たちは雑談をした。
黒色すみれの話と、サブカルの話と、少しだけ、社会の話もした。
彼はライブの時は気さくな話好きであったが、社会の話になると、急に暗いことを言うのだった。
中年の引きこもり、と自分で言うくらいだから、まあ、そういうものかな、とは思ったが、彼と別れた後、私は彼の残したマイナス思考の言葉を思い出し、考え込んでしまった。

誰にでもそういうマイナスな心はある。私もいつそうなるかは分からない。
そう思うと私も明るい気分ではいられなくなった。
でも、まあ、私はお気楽者なので、彼のように深刻にはならないと思うが、もしその時が来たら、彼のように黒色すみれのライブを見切り席で聞くのもいいかもしれない。


黒色すみれ乙女図鑑

2019/07/21

The Chronicle of Noble Lady(4)タングルウッドの夏

ある時、Iさんは私のおやつにシュークリームを用意してくれた。
それ以降、私たちのおやつはシュークリームが定番となった。
Iさんの話では、とある有名ホテルのパティスリーからのお取り寄せ品だという。

このシュークリーム、お取り寄せ品だけあって、とてもおいしかった。
実はIさん、かつて婦人雑誌で料理研究家をしていたことがあり、シュークリームの分析と研究に熱中したことがあるシュークリーム通なのだ。
そんなIさんがおいしいとお墨付きを与えるのだから、間違いないということ。




「かなり昔のことだけど、一時期、婦人雑誌で料理研究家をしてたの。有名店やホテルのレシピをたくさん取り寄せて、わたしが実際に家で作ってみるのよ。当時シュークリームの食べ比べ企画が大好評で、朝から晩までキッチンでシュークリームを焼いてたこともあったわ。でも作りすぎて食べきれなくってね、原稿を取りに来た編集部の若い子が、そこのテーブルで喜んで食べてたものよ」

Iさんの家のダイニングで、コーヒーとシュークリームをいただきながら音楽談義に花を咲かせる。
それは、音楽雑誌に書いてある音楽評論家の評論のようなものではなく、また、学問的な内容でもない。もっと生々しい、Iさんのリアルな実体験に基づく話である。

Iさんは海外の有名演奏家ともお知り合いである。
だいたい、先ほど出てきた「椿姫」のディアナダムラウとはメールやビデオチャットで気さくに話したりする仲だ。
古くは、Iさんがピアノを習っていたレオニードクロイツラー博士のことから思い出話は始まる。
クロイツラー博士とは上野の東京芸大キャンパスの銅像にもなっている偉大なユダヤ人ピアニストである。

その次に登場するのは、20世紀の伝説のピアニストヴィルヘルムバックハウスだ。
そこからは順不同で、Iさんが思い出した順となるが、ウェストサイドストーリーのレナードバーンスタイン、国際ピアノコンクールの冠名にもなっているヴァンクライバーン、その他にもダニエルバレンボイム、ウラディミルアシュケナージ、ピーターゼルキン、小澤征爾などである。
私がCDでしか聞いたことのない音楽家演奏家と面識があり、私は彼らのエピソードをいろいろ聞いた。
しかし、ヘルベルトフォンカラヤンとは会っていない、とIさんは残念そうに言うのだった。
確かに、Iさんのコレクションを眺めると、カラヤンとの記念写真もサインも見当たらなかった。

音楽談義が盛り上がると2人で新しいパソコンの前に移動することがある。
Iさんが交流のある演奏家や音楽業界の関係者との写真を見るためである。
Iさんのパソコンの中に眠る山ほどの写真を検索し、それをフォトアプリで閲覧しながら、Iさんが思い出話を語ってくれるのである。

「そうそう、この写真はねえ、夏のタングルウッドに滞在したときに撮ったものなのよ。」
「こちらが例のユダヤ人のご夫婦ですか?」
「そうよ。〇〇さんというお金持ちのご夫婦なの。」
「すごいお屋敷に住んでますね。何をしている人です?」
「お医者さんよ。」
などと話すIさんの記憶は実に鮮明だ。

私がパソコンの画面に写真を表示するとIさんがその写真の思い出話をすらすら話す。
ええと、何だっけ、と詰まることもあるが、その後ちゃんと日時場所、人の名前などが出てくるのだから、すごい記憶力だ。

その時、私は思った。
Iさんには昔の写真を見せて話しかけるのが最も認知症防止に繋がるということを。
ひとり暮らしのIさんにとって、話し相手の存在は非常に重要である。
誰かと話す機会があれば頭を使うし、身体にも一定の刺激がある。
とはいえ、私は音楽友達ではあるがIさんの家にお邪魔する客人でもある。
だから、Iさんは事前に私のためにおやつとご飯の買い出しに行ったり、部屋の掃除をしたり、台所で食事の支度もするのだろうし、私が来てからは私を相手に長時間話すし、気も遣う。私が帰ると後片付けをする必要がある。
その後は自分の身の回りのこともいろいろしなくてはならない。

いやいや、これは難しい問題だなあ。
Iさんの衰弱する身体に、私はかなりの負担をかけている迷惑な客人に違いないからだ。
果たしてIさんにとって、私が訪問するのとしないのとでは、どちらがいいのだろう。
あるいは、用事を済ませたらすぐ帰る方がいいのではないか。
そうすればIさんはそれほど疲れないかもしれない。
が、それでは張り合いがなくなり、かえって気分が落ち込んだりしないだろうか。
孫でも息子でもない私。
すぐ帰るのが無難な選択ではある。
だが、これは本人に聞いて確かめてみないと分からない問題である。
しかしながら、本人にダイレクトに聞くのはビミョウだし、自分で答えを出すのも難しかった。

「これは何ですか。」
「なあに??」
「Iさん、これ、先月一緒に行った芸劇の記念写真ですよね。」
「そうよ。」

私たちは6月、読売交響楽団とコリヤブラッハー(Kolja Blacher)のブラームスを東京芸術劇場で聞いてきたのだ。
そのときはコンサートの前に池袋のメトロポリタンの最上階のレストランでイタリア料理を一緒に食べた。
何のお祝いかはともかく、お祝いの記念写真も窓際のテーブル席で撮ってもらった。


キュイジーヌエスト


キュイジーヌエスト


キュイジーヌエスト




「どうしてこの写真がここに??」
「あなた、こないだ送ってくれたじゃない。大事にしまってあるのよ。」
「ええと、私、送りましたっけねえ?」
「送ったわ。」
「そ、そうですか。」(私の方が忘れてしまっているとはまずいな)

とまあ、こんな感じで2人でいると楽しいので、Iさんと私は、来月もまた一緒にどこかへ行く予定を立てている。
今後も定期的にコンサートなどへ行き、Iさんの脳にも、そして私の脳にも一定の刺激を与えるために。




外出支援ボランティアの輪を広げよう

2019/07/20

コンサートバブル

きのうは、うちのママ殿と一緒に丸の内のコットンクラブで、アンディーナレル(Andy Narell)のカリビアンジャズを聞いた。
ママ殿はジャズの大ファンだが、これまで一緒にジャズを聞きに行ったことはなかった。
あるとき2人で話していて、ママ殿がくたばる前に一緒にジャズを聞きに行こうということになり、酷暑で明日くたばるかもしれないから今日行くことにしたのである。
私は詳しくないが、アンディーナレルはスティールパン(楽器)の演奏者として世界的に有名である。
しかし、確かに彼の演奏も素晴らしかったのだが、私が最も感激したのはキューバ人の女性ピアニストの演奏の方であった(ジャネスマファーソン(Janysett McPherson))。


丸の内コットンクラブアンディーナレルジャズコンサート


私たちは左側の前から2番目のボックス席に座ったので、ピアニストと鍵盤が間近に見え、ピアノの音色も良く聞こえた。
彼女のジャズピアノは、南米のリズム感、打鍵と早弾きのテクニック、ペダルの使い方など、脇役とは思えないほど見事なものであった。
クラシックもジャズも欧米文化である。
やはり、日本人演奏家のおとなしい演奏とは明らかに違っていた。
欧米の演奏家の方が一枚上手なのだ。
その点からすると、最近の日本人演奏家のコンサートは、チケットの相場が少々高すぎである。
高騰するチケット代と演奏内容が、必ずしも見合っていないことが多い。


丸の内コットンクラブアンディーナレルジャズコンサート




(丸の内コットンクラブ内のカウンターのママ殿)

 
さて、ここからは今日の話。
今日は、岩下志麻似の劇団員Rさんを誘って、銀座のシャネルネクサスホールでピアノコンサートを聞いてきた。
銀座のシャネルには「シャネルピグマリオンデイズ」という招待制コンサートがあり、これはシャネルが日本人の若手演奏家を抜擢し、1年契約でシャネルの客の前で演奏させる若手支援育成プログラムである。
近年ここから何人かの実力者が出ているので侮れないのだが、今日は、去年の日本音楽コンクールの優勝者の吉見友貴さんのピアノコンサートであった。
最近のチケット相場だと、彼のチケットをふつうに買えば4000~5000円はしそうだが、そのレベルの演奏を聞けるのだろうか。
実は私は5月にも、ここで同じ吉見友貴さんのピアノコンサートを聞いていた。
その時の曲目はベートーヴェン、後期ソナタなどがプログラムされたが、吉見さんの演奏に対する私の第一印象は悪かった。




今日はどうだろう。
プログラムにはフランスの曲が並んでいる。
ドビュッシー、ラヴェル、そしてなぜか幕間に武満徹という奇妙なプログラム。
演奏前に自己紹介の時間があるのだが、まだ桐朋音大の1年生。
背が高く、若くて素直な好青年なのだが、まだ少し頼りない感じもする。
海外には1度しか行ったことがなく、とんちんかんな話をしていた。
シャネルの客といっても、昔とは違ってクラシック音楽に精通しているとは限らないので、演奏家が曲目の解説をする時間もある。
ただ、話を聞いても、なぜ武満徹なのかはよく分からない。




演奏が始まった。
こないだのベートーヴェンの時はギクシャクしていたが、今回のフランスのレパートリーは予想外によかった。
彼はタケミツをユニークに演奏し、なんだかこれは日本の曲ではなく、おしゃれなフランスの曲のようだと私は納得した。
私の評価だと、こないだのベートーヴェンは「挑戦」であり「失敗」だったと思う。
しかし今回のフランスの曲は「好きな曲」であり「大成功」だろう。
まあ、チャレンジは失敗することも多いのだし、まだ学生なので気にすることもない。
コンサート終了後、ファンに囲まれるのかと思ったら、そんなことはなかったので(シャネルのコンサートだからであろう)、私は吉見さんと少しだけ話すことができた。

吉見友貴、もう1度聞いてみたい、と思える数少ない日本人ピアニストとして覚えた。
そして、Rさんと一緒に松屋の交差点で流しのタクシーに乗り、帝国ホテルへ。
こちらの方がシャネルの高級品をねだられるよりもずっと安上がりだから、というわけではないのだが、私の口にもおいしい食べ物が入るし、彼女もおいしいものを食べれば満足する。








それにしても、今月私はコンサートに4回も行っている。
来週も、コンサートの予定がある。
通常のペースだと2~3ヶ月に1回ほどだから、明らかに私はコンサートの「行き過ぎ」である。
もしかしていまが私にとっての「コンサートバブル」なのかもしれない。
でも、まあ、私ひとりがバブルになることを、バブルとは言わないだろうし、私ひとりがチケットを買ってもチケット代があのように高騰するわけがない。
そうすると、こうして私がコンサートに頻繁に通っており、他の愛好家も頻繁に通っており、これにより今、演奏家たちにとって「コンサートバブル」であることも間違いがない。
全てのバブルはいつか弾ける。
だが、コンサートバブルはいつどのようにして弾けるのだろうか。

2019/07/13

モダンウーマン

今日は銀座でギャラリー巡りをしてから、上野の国立西洋美術館の「モダンウーマン」の展示会を見てきた。
銀座のギャラリーめぐりをする前に、東銀座の東劇にも少し立ち寄った。
この夏、東劇ではメットライブビューイングオペラの再放送があるのだが、そのセット割引券を買うためである。

オペラの公演は劇団単位のため、クラシックの中でもオペラのチケットが最も高く、海外の一流劇団だと数万円はくだらない。
なので、クラシック好きでもオペラはそうそう見られるものではない。
私は去年の生オペラは「カルメン」しか見ていない。
おととしは、ヨハンシュトラウスのオペレッタ「こうもり」。
いずれも東京文化会館で、チケットは万単位である。
しかし、メットライブビューイングオペラなら、メトロポリタン歌劇場(メット)という世界三大オペラハウスの公演のビデオを、映画館で安価に見られるのである。
私はいつも東劇で見るのだが、チケット代は1枚3000円前後である。
3000円というのは、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のおよそ10分の1~15分の1である。

東劇でチケットを買った後、私は築地方面へ歩き、築地の魚市場にも行った。
ふと道路の向こう側を見ると、築地本願寺に人の流れが向かっていた。
今日は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の日、つまり、お盆なのであった。


築地本願寺の盂蘭盆会


私は何となく本願寺に入り、その様子を見ることにした。
寺院の中は人ごみができており、僧侶たちがその交通整理をするほどの大混雑であった。
私は人ごみのうしろから背伸びをして、黄金の仏像を眺めたりもしたが、はじっこのテーブルにスタンプ台を見つけ、記念スタンプを押して帰ることにした。
順番に並んで記念スタンプを押す時、その卓上には、「なぜ築地本願寺には御朱印がないの?」という説明書きがあった。
その説明は、なるほど、そう言われてみると確かにそうだな、と思うことであった。


築地本願寺


御朱印とは、追善供養のために写経したものを、寺社に奉納した際にいただく受取印が起源なので、追善供養を行わない浄土真宗には御朱印がないのです。

恐らく、せっかく築地本願寺に来たので記念の御朱印がほしい、という要望がひっきりなしにあるのだろう。
うちは御朱印をしてませんと言うだけでは納得してもらえず、こうして理由まで書くはめになっているのだと思われる。
まあ、世の中にはいろいろな人がいるが、ないものはないのだ。
それでよいのではないかなあ。
ここは商店ではなく寺院であるし、公的機関ではなく民間である。
しかし、御朱印がここまでブームになると参拝客の方も、どうしても御朱印がほしいのだろう。

その後、日比谷線で築地から銀座へ。
銀座の繁華街をしばらく歩き、ポーラのビルまで歩いた。


higashiya ginza


higashiya ginza


最近見つけた銀座ひがし屋(ヒガシヤギンザ)というモダンな茶屋(強烈に濃い緑茶!!)で休憩してから、ポーラミュージアムアネックスに入った。
今日は水野里奈さんという洋画家の個展「思わず立ち止まらざるをえない」であった。
彼女の絵が素晴らしかったので、もっとじっくり見たかったのだが、私はこれから国立西洋美術館へ行くので、あまり長居をしていられなかった。
銀座線で上野に行き、駅前の国立西洋美術館へ。
入口のチケット売り場に「モダンウーマン」と書いてある。
ああ、そうか、「モダンウーマン」は企画展ではなく常設展か。
私はてっきり企画展と思って来たが、国立西洋の常設展示(松方コレクション)に、フィンランドの女性画家の作品が臨時の展示で加わり、全体が「モダンウーマン」という常設展になっていた。


国立西洋美術館「モダンウーマン」展示会


国立西洋美術館「モダンウーマン」展示会


さて、芸術の歴史を紐解くと、確かに北欧の芸術はモダンで洗練されている。
これに対して日本の芸術はどうだろう、と私は考えたのだった。
日本の芸術は保守的と言われるが、まあ、確かにそんな感じはする。
例えば日本画のギャラリーなんかは「特別」な感じがして、敷居が高く、近づき難い。
日本画、書画などの分野別団体別に分かれており、業界構造が複雑である。
まあ、日本社会が保守的だから、日本の芸術もそうなるのかな。
芸術というのは社会の縮図なのである。
しかしそうなると、才能ある「モダン」な日本人にとって、日本は居心地が悪く、楽しくないところではないのか。
だから、いつの時代も、才能ある「モダン」な日本人が海外へ飛び出してしまう。
かなり昔のことだが、私の好きなピアニストを例にあげると、フィンランドの舘野泉、イギリスの内田光子。
まあ、スポーツ選手や芸術家ならまだいいが(?)、これがノーベル賞受賞候補者だったり、世界的な特許を持つ技術者だったり、あるいは、グローバル企業だったりすると、日本経済の重大な損失である。

フィンランドの作品を見終わり、私はいつもの松方コレクションの方に戻った。
常設展の最後の方に、藤田嗣治の絵が展示されていた。


国立西洋美術館「モダンウーマン」展示会


ああ、そうだ。
藤田嗣治も才能のある「モダン」な日本人で、パリへ行ったのだ。
う~ん、そうだねえ。
私はちっとも才能がないし、「モダン」でもない。
が、いずれはパリへ行こうか、ミラノへ行こうか、あるいは、ニューヨークへ行こうか。
どこへ行こうかなあ、、、
と考えながら私は美術館を出て、駅前のあんみつ屋に入ったのだった。