昔はそこらでチンドン屋が、楽器を鳴らして練り歩いていたものだが、いまはもう見かけることもなくなった。
今日は、吉祥寺マンダラでチンドン屋を見た。
東京芸大卒のチンドン屋さんの「黒色すみれ」のバースデイライブである。
黒色すみれは風変わりな女性2人組で、どちらも厚化粧で何才だかよく分からないのだが、いまだに自分たちのことを「乙女」と称しているようである。
なので、ここでも「乙女」、ということにしておこう。
彼女たちは、主に都内のライブハウスで活動しており、バイオリンやピアノの伴奏で独特の歌を披露する。
それが狭苦しいライブハウスだと響くので、私にはまるでチンドン屋のように聞こえるのである。
正直、それほど上手ではないし、それほど流行りそうもない2人だが、3月の世田谷文学館では、ヒグチユウコとGUCCIの人気コラボ企画にゲスト出演しているのだからすごいし、私の見立てなどあてにしてはいけないのだ。
その時は、「黒色すみれとヒグチユウコのサーカスナイト」というステージであった。
黒色すみれを聞くのは、3月の世田谷文学館以来である。
せっかく吉祥寺まで足を伸ばすので、その前に周辺の美術館の予定も入れた。
吉祥寺美術館→吉祥寺マンダラ
吉祥寺美術館は、吉祥寺駅前のショッピングセンターの中にあった。
夏休みでショッピングセンターは混雑していたが、吉祥寺美術館は空いていた。
東京ステーションギャラリーもそうなのだが、美術館は好立地でも人気がないというのがお約束だ。
この日は小畠廣志さんという地元の彫刻家の個展であった。
その個展を見た後、私は常設展示室に行った。
ここには主に、浜口陽三の作品が展示されていた。
私は、水天宮のロイヤルパークホテルの向かいにあるミュゼヤマサ浜口陽三ミュージアム、こちらの方が浜口陽三美術館の本家と思っていたのだが、意外にも吉祥寺の方が、展示作品のクオリティーが高い、と直観的に思った。
展示室の入口には彼の履歴の年表が掲示されており、私は初めて、浜口陽三が東京芸大中退であることを知った。
展示室の説明によれば、彼の芸大中退は、師匠で洋画家の梅原龍三郎の助言によるもので、在学中に渡仏し、そのまま中退が確定したようだ。
戦前は貧しかったから、東大在学中に大蔵省に入るエリートも珍しくはなかったが、彼は東大ではなく芸大であり、そこらの学生ではなくヤマサ醤油創業家の御曹司である。
学費に困らない人が名門をあえて中退するとはどういう理由なのだろう、と不思議に思った。
それはパリで勝負する浜口陽三の覚悟や決意のあらわれだったのかもしれないが、彼ほどの天才にとっては東京芸大卒であることは魅力も価値もなかったのかもしれない。
美術館を出た私は、吉祥寺の商店街をしばらく散歩し、夕食を取ることにした。
安いステーキハウスを見つけ、「いきなりステーキ」とそっくりなステーキセットを食べた。
最近、いきなりステーキの経営が悪化しているようだが、食べながら、これではいきなりステーキの売れ行きが落ちるのも仕方がないな、と思った。
その後、住宅街を歩き、吉祥寺マンダラに着いた。
マンダラは、まったく普通の住宅街に存在する、地下ライブハウスである。
狭い階段を降り、狭い受付で不良中年のようなおじさんからチケットを買った。
店の奥に入ると、そこは小さなライブハウスになっていた。
客席は満員で、私は仕方なく、はじっこのカウンターの見切り席に座り、ドリンクを注文した。
ただ、私の左隣の見切り席の方がもっと見にくい。
そこには、グレーの髪の風変わりな中年の男性が座っていた。
運ばれてきたドリンクを飲み、私は何となく見切り席のその男性のおつまみを見た。
このライブハウスは非常に狭く、彼のおつまみが私の左手から至近距離にあったので、私は気になってしかたがなかったのだが、彼は私の様子に気付き、よかったら半分どうぞ、と私に言った。
私はお礼を言い、遠慮なく彼のおつまみを半分食べてしまった。
そして食べながら彼と黒色すみれのことを話した。
それにしても、何を話しても、彼はかなりのインテリで、受け答えが見事だった。
私はすぐに彼と意気投合し、お互いに言いたい放題になった。
「まあ、ぼくはアイドル(黒色すみれのこと?)の追っかけをしている中年の引きこもり男ですよ」と彼は言っていた。
お互い自己紹介はしなかったが、どうも話を聞いていると彼はただの追っかけではなく、デビュー当時からの筋金入りの追っかけのようだ。
彼女たちはもうデビューして10年以上だが、彼はほとんど何でも知っていた。
私が、彼女たちは現代のチンドン屋だと言うと、彼も同意した。
黒色すみれのバースデイライブは大盛況。
ライブの後、私は彼の紹介で黒色すみれと話すことができた。
「黒色すみれバースデイライブ」
帰り道は彼と一緒に吉祥寺駅まで歩き、新宿駅まで電車も一緒だった。
私は中央線の快速に乗りたかったが、彼は快速ではなく、各駅停車に乗りたがった。
せわしないのが嫌いで、ゆっくり帰りたいと言うのである。
まあ、時間の余裕があるので私もそれに付き合ったのだが、新宿駅に着くまで20分ばかり、私たちは雑談をした。
黒色すみれの話と、サブカルの話と、少しだけ、社会の話もした。
彼はライブの時は気さくな話好きであったが、社会の話になると、急に暗いことを言うのだった。
中年の引きこもり、と自分で言うくらいだから、まあ、そういうものかな、とは思ったが、彼と別れた後、私は彼の残したマイナス思考の言葉を思い出し、考え込んでしまった。
誰にでもそういうマイナスな心はある。私もいつそうなるかは分からない。
そう思うと私も明るい気分ではいられなくなった。
でも、まあ、私はお気楽者なので、彼のように深刻にはならないと思うが、もしその時が来たら、彼のように黒色すみれのライブを見切り席で聞くのもいいかもしれない。