今日はワイン教室があり、表参道(青山)まで行ってきたのだが、いつものように途中で地下鉄を降りて、美術館巡りをした。
私は、永井荷風と幸田露伴の違いをよく分かっておらず、永井荷風は三人冗語の写真の文士と思っていたが、そうではなかった。
当時、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨は、文学界の毒舌トリオ「三人冗語」と呼ばれていた。
私は昔、斎藤緑雨のエッセイ(?)を読んだことがあり、かなりの毒舌であることと、やはりというか何というか、本の装丁が見事な緑色だったことを覚えている。
では、永井荷風と森鴎外はどのような関係があったのか。
「1910年(明治43年)、慶應義塾大学の文学科顧問に就任(教授職に永井荷風を推薦)し、慶應義塾大学幹事の石田新太郎の主導により、上田敏を顧問に、永井荷風を主幹にして、「三田文學」を創刊した。またその年には、5月に大逆事件の検挙が始まり~」
Wikipediaには、永井荷風は慶應義塾大学文学部の教授のポストを、森鴎外から斡旋してもらったと書いてある。
荷風が死んだ時、その寝床には、読みかけの「渋江抽斎」が置いてあった。
荷風は鴎外を尊敬し、小説家の手本を鴎外の本としていた。
「渋江抽斎」は荷風の愛読書だったと思われるが、鴎外のなかでも特に難解な本であるから、寝床で読めばさぞや寝つきがよかっただろう。
内幸町の大通り(外堀通り)沿いに、日本酒の試飲ができるという日本酒情報館がある。
私は今回初めて行くのだが、地図を見なくても真っ赤な看板があるので、すぐに見つかった。
日本酒情報館は飲み屋ではないため、夕方までしか営業していない。
本棚には日本酒に関する資料や書籍が並んでおり、確かに日本酒情報館であったが、それよりもおもしろいのが日本酒のカウンターバーである。
今日はこれからワイン教室なのだが、その前に日本酒を試飲することに決めた。
3カップで300円の試飲セットと、5カップで500円の試飲セットがあり、私は500円の方を頼んだ。
日本酒バーテンダーの女性が、カウンターで小さなカップに1つずつ注いでくれた。
私はそれを持ってテーブル席へ。
周囲には外国人観光客と、商談中の会社員がいたが、日本酒とは無関係の商談のようだ。
私はカップの日本酒を飲み始め、まもなく日本酒の情報収集はどうでもよくなった。
お酒に弱い私は顔が真っ赤になってしまうのだ。
情報館を出てすぐに交差点のコンビニに入り、冷たいペットボトルのお茶を買って飲んだ。
情報館を出てすぐに交差点のコンビニに入り、冷たいペットボトルのお茶を買って飲んだ。
涼しい外でしばらく時間をつぶしてから銀座線に乗り込んだが、赤い顔で平日昼間の銀座線に乗ることになり、少し肩身の狭い気分を味わった。
外苑前からワイン教室まで10分ほど歩き、ようやく酔いがさめたが、今日のテーマは王道のイタリアワイン「バローロ」と「バルバレスコ」である。
ご存知のとおり、どちらもフルボディーの強烈な赤ワインである。
この2つをテイスティングするうち、私はまた酔いが回ってきた。
この時点で飲みすぎだと思ったが、ワイン教室の後、近くのレストランでアフターの飲み会をすることになった。
そこでまたグラスワインを何杯か飲み、帰り道はかなり酔った状態で銀座線に乗り込んだ。
その後、何とか無事に帰宅することはできたのだが、ここまで飲んだのも久しぶり。
まあ、年末は忘年会や宴会が多いと思うが、みなさんもほどほどに!!