今日は用事があり、その途中、千駄木駅でおりて森鴎外記念館に立ち寄った。
千駄木駅からだと、記念館は団子坂の上り坂の途中にある。
コンビニの手前の小ぢんまりとしたきれいな建物で、もしかすると見逃してしまうかもしれない。
展示室は地下1階だけである。
私は今回の展示(「父と母」)を30分程度で見終えた。
その後、小腹が空き、私は1階のモリキネカフェへ。
店内の大きなガラスからは裏庭を見渡せるが、そこにイチョウの大木がある。
私は窓際のテーブル席に座り、スイーツを食べながら書類の整理を始めた。
すると隣のテーブルのカップルがふと立ち上がり、その大イチョウをスマホで何度も撮影し始めた。
ああ、そうだ。
これは観潮楼の大イチョウだった。
男女の話だと、ガラスのどこかに「観潮楼の大イチョウ」と書いてあるみたい。
何度かここに来ている私は、そのことを初めて知った。
2人が去った後、私はガラスに近づいてみた。
その文字を確認し、大イチョウをスマホで撮影しようとしたが、なるほど、彼らが何度も撮影していた理由が分かった。
ガラスに書かれた大イチョウの文字をきちんと入れようとすると、カメラの角度の関係で大イチョウの木全体がきれいに入らない。
微妙に難しい、、、と思いつつ、数枚の写真を撮った。
その後、私は、壁にかけられた数枚のポートレートを見上げた。
モリキネカフェの見ものは庭の大イチョウだけではない。
壁掛けの写真の1枚は、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨、当時の大物文士3人組の記念写真である。
壁掛けの写真の1枚は、森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨、当時の大物文士3人組の記念写真である。
当時3人とも毒舌の文学批評を展開しており、「三人冗語」と呼ばれていたのだ。
ほかにも、森鴎外の軍服の記念写真なども。
その後、記念館を出た私は、地下鉄を乗り継ぎ、京橋駅に着いた。
明治屋前の地下の改札を出ると、右手に明治屋の入口が見える広いギャラリーロードがあるのだが、今日は日本家屋のミニチュアを展示していた。
実に細かくできている。
私は展示を少し見てから地上に出た。
しばらく大通りを歩くと、アーティゾン美術館(元ブリヂストン美術館)があった。
リニューアルオープンしたばかりのようだ。
気になって入口のそばまで行くと事前予約制と書いてあった。
へえ、予約制とは珍しいな、オープンしたばかりだからかな。
そこから路地裏に入り、骨董品街をしばらく歩いた。
ある店のショーウィンドウをのぞくと、高価なツボがいくつか並んでいた。
値札がないが、どれくらいの値段なのだろう、と思って眺めた。
その後、再び大通りに出るまで歩いた。
おや、大通りの向かい側に、見覚えのある国立映画アーカイブの建物が見える。
私はちょうど「ぐるっとパス」を持っていたので、懇親会の前に30分ほど、駆け込みで企画展を見ることにした。
エレベーターで7階へ。
ここはいつも来館者が数人しかいないのだが、今日はポーランド映画のポスターの展示会をしていた。
冷戦中、ソビエト連邦側の共産主義国にも、欧米の資本主義国のエンタテインメントが否応なく流入していた。
その最たるものが大衆娯楽の映画と音楽であった。
しかし、西側のものが東側に入るときは検閲があり、検閲を通すために多少なりとも映画の内容を変える必要があった。
しかし、西側のものが東側に入るときは検閲があり、検閲を通すために多少なりとも映画の内容を変える必要があった。
もちろん、原本の映画ポスターもそのまま流用するわけにはいかず、ポーランド用の新しい映画ポスターを国内で独自に作成する必要があった。
その時、ポーランドのクリエイターたちは、検閲前の作品の主題や表現内容を、ポスターを通じて伝えるため、見事なポスターを数多く作った。
この企画展は、そのような趣旨の名ポスターを集めた展示会なのであった。
もしかすると、人間は不自由な環境にいる方が、かえって強くたくましく創造力を発揮し、何かを生み出したりできるのだろうか。
日本のように何でも自由な社会だと、かえってイノベーションも何も生まれないのかもしれない。