2020/03/31

国籍はく奪条項違憲訴訟(1)これはいわゆる「レアケース」??

国籍剥奪条項違憲訴訟


2020年3月5日に国籍法11条1項の違憲裁判の口頭弁論があり、関係者向けの報告会を初めて聞いた。
私はどういうわけか、この裁判の支援者なのである。
支援の理由は利害関係があるからではない。
また、必ずしも、けしからんとか、かわいそうとか、そういうことを思ったからでもない。
2019年当時、この裁判の原告たちが、キャンプファイヤーのウェブサイトで寄附を募っていたのだが、必要な金額の2~3割程度しか集まっていなかった。
私は募集記事をたまたま見かけたが、重要な憲法訴訟なのに資金不足では、、、と思って少しのお金を出したのだ。
そして募集の締切り直前に、クラシック音楽の師匠Iさんにもこの話をそれとなく伝えたが、その数日後、募集金額以上の資金が集まっていて、不思議なこともあるんだなあと思った。

さて、お金を出すとせっかくなので話も聞きたくなる。
話を聞くと続きが気になる。
事実は小説よりも奇なり、である。
ということで、この裁判に関わる私は、続きが気になる小説の読者のようなものである。

裁判では、国籍法11条1項が憲法13条(幸福追求権)、14条(法の下の平等)、22条2項(国籍離脱の自由)などに違反しており違憲ではないかが争われている。

(国籍の喪失)
第十一条 日本国民は、自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは、日本の国籍を失う。
2 外国の国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択したときは、日本の国籍を失う。
(国籍の選択)
第十四条 外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。
2 日本の国籍の選択は、外国の国籍を離脱することによるほかは、戸籍法の定めるところにより、日本の国籍を選択し、かつ、外国の国籍を放棄する旨の宣言(以下「選択の宣言」という。)をすることによつてする。
第十五条 法務大臣は、外国の国籍を有する日本国民で前条第一項に定める期限内に日本の国籍の選択をしないものに対して、書面により、国籍の選択をすべきことを催告することができる。
2 前項に規定する催告は、これを受けるべき者の所在を知ることができないときその他書面によつてすることができないやむを得ない事情があるときは、催告すべき事項を官報に掲載してすることができる。この場合における催告は、官報に掲載された日の翌日に到達したものとみなす。
3 前二項の規定による催告を受けた者は、催告を受けた日から一月以内に日本の国籍の選択をしなければ、その期間が経過した時に日本の国籍を失う。ただし、その者が天災その他その責めに帰することができない事由によつてその期間内に日本の国籍の選択をすることができない場合において、その選択をすることができるに至つた時から二週間以内にこれをしたときは、この限りでない。
国籍法

11条は日本国籍を自動喪失する場合を定めている。
では、どういう場合に自動喪失するのか。
まず1項、自己の志望によって外国籍を取得した時に日本国籍を自動喪失するという。
例えば日本国籍のみを有するXさんが、日本からスイスに移住してスイス国籍を取得した時に、日本国籍を失うということだ。
次に2項、すでに外国籍を有する日本国民は、その外国の法令によりその国の国籍を選択した時に日本国籍を自動喪失するという。
例えば、ドイツ在住で、生まれた時から日本国籍とドイツ国籍を有するYさんが、ドイツ国籍を選択するということは、日本国籍を失うということなのだ。
続いて14条1項を見てほしい。
ようするに、複数国籍を有する日本国民は、2年以内に(未成年は成年になった時から2年以内)どちらかの国籍を選びなさい、ということであるが、そうすると11条2項の結果がもたらされるのは言うまでもない。
11条1項は複数国籍の事前防止規定であるが、これだけでは法の隙間ができるので、11条2項、14条1項があり、こちらは複数国籍の事後解消のための規定である。

この裁判の争点は11条1項である。
ただ、裁判で原告の主張が認められて11条1項が違憲無効となっても直ちに救済されるわけではない。
原告は11条1項が違憲無効となった効果として理論的には日本国籍を取り戻せるかに思えるが、複数国籍の状態となるため14条1項の適用場面となり、14条1項で国籍選択を迫られることとなるからである。
しかし、現時点ではまだ14条の方を争点とする当事者適格(裁判をする資格として要求される利害関係のようなもの)がなく、11条1項から争う必要がある。

かつて日本は貧困の国、人口増の国であった。
だから、日本政府は海外に移住する日本人のことはもう知りませんよ、という態度だったので、このような制度ができたといわれる。
つまり、海外に移住するなら、もう帰って来るな、帰って来られると政府は面倒を見切れない、ということなのだ。
ところが、いまの日本は当時とは正反対、人口減少に悩む豊かな国となった。
よって、この制度がないほうが政府も国民も都合がいいはずなのだが、、、

さて、政府側の弁護士は合憲と言うのだがその理由は説得力がない。
報告会の質疑応答で、学説はどうなっているのかという質問があった。
ここで原告側弁護人の仲晃生先生が答えていたことが興味深かった。
まず、国籍法は超マイナーな法律なので、みんな、よく知りません。
確かにそうだ。
そもそも日本人は島国に住んでおり、国籍のことなんか考えたこともない人がほとんどだと思う。
実は、憲法学者もこの条文にはほとんどタッチしていない、教科書にもほとんど載っていない、と仲先生はいっていた。
それなら、判決を書く裁判官も困っているのではないか!?
この事件はいわゆる「レアケース」というやつだと思う。

次回の口頭弁論は5月。
報告会では、原告側が勝てそうな感じがする、とのことだが、どうだろうか。
今後、少しでも多くの人たちがこの問題に興味を持ってくれるといいのだが、どうも、法理論的な話ばかりで、具体性に欠くところもあり、まだまだ時間がかかりそうな気がする。

2020/03/26

ワインバー開業計画(2)無期限延期

今日は、「マッチマーケット」の運営団体の代表者のUさんと会って話す約束をしている。
約束の当時は、新型コロナウイルスの蔓延が今ほどひどくなかったため、今日の議題は、どのようなコンセプトのワインバーをしたいのか、である。
しかし、もはやこの状況だと、ワインバーを開業しても大丈夫なのか(いや、常識的に考えて大丈夫じゃない!!)、という点が問題である。
私としてはそこを議論したいのだが、前代未聞のことでもあり、聞かれる方のUさんもよく分からないだろう。




待ち合わせ場所のレンタルオフィスには私が先に到着し、通された会議室で待っていたが、しばらくたってレンタルオフィスの女性職員と一緒に60代半ばのおじさんが入ってきた。
てっきり近隣の実業家が代表者なのかと思っていたが、そうではなかった。
代表のUさんは都内からいま電車で来たばかり、本業は経営コンサルタントのようだ。
この人、きつい大阪弁を話すので大阪人に間違いないが、首にスイカ入りの名札ケースをぶら下げており、デキる経営コンサルタントには見えないぞ。
しかし、今日は私がUさんに経営相談をするタテマエだから、私たちの会話は早速そのような流れとなった。

私はワインバーのコンセプトを説明したり、Uさんの質問に答えたりした。
しかし、新型コロナウィルスなのにワインバーを開業するのか、という根本的な質問はなかった。
開業するつもりだからここに来ている、と思われていたのだろうか。
まあ、私は物件を借りるお客さんなので、自分たちに都合の悪い質問はしたくなかったのだろう。
でも、私が逆の立場なら一応その質問はするので、最初、私はUさんにあまり好感を持てなかった。

「あの~、私はワインの銘柄を当てたお客さんに景品を出したいんですが、どう思われますか??」
「へえ、おもしろそうだね。」

Uさんが食いついてきたので、私はマッチマーケットの事務局で何か景品を出せませんか、と聞いてみた。
マッチマーケットはセブンイレブンの向かいの好立地にありながら、地元の人にも認知度が低いのである。
それなら、私のワインバーの景品が、マッチマーケットのロゴ入りのタオルやペンなどであれば、この場所のいい宣伝材料になるだろう。
するとUさんは思い出したように言った。

「そういえば、ロゴ入りのワイングラスが事務所のどこかにあったはず。事務室でちょっと聞いてくるよ。」
「すみません。」

Uさんが会議室を出て、事務室の方へ消えた。
景品をタダで提供してくれるなんてありがたい、と私は思った。
が、戻って来たUさんがくれたのはワイングラスではなかった。
どうも、Uさんはビール党のようである、、、


マッチマーケットの記念のグラス


それ、最後の1つだったから、きみに記念品としてあげるよ。

そっけない感じの言葉だが、こういう状況なだけに私は貴重品をもらったような気分で、ありがたかった。
私はUさんにお礼を言い、その後また20~30分話したが、どんどん失敗しなさい、と何度も言われた。
自分の年齢でそれはまずいと思うが、絶対に成功しなさいと言われるよりはマシである。
また、やや拍子抜けしたが、べつに頑張らなくてもいい、と言われた。
失敗していい、負けていい、頑張らなくていい、なんだか経営コンサルタントらしくないセリフの連発だった。
しかし私はこれを聞き、少しUさんを見直した。

私は何事もチャレンジだと思っている。
が、Uさんのアドバイスのポイントは、その気になったら、ちょっと事業を手がけてみればいい、という軽いノリなのだと思う。
起業家のチャレンジは失敗に終わることの方が多いので、軽いノリでも真剣なノリでもどうせ似たような結果になるのだ。
むしろ深刻になるとあとが大変である。
たぶん、私にこう言いたかったのだろう。

世の中、新型コロナウィルスで大騒ぎになっているけれど、失敗するつもりでワインバーに取り組んでみなさい。この条件なら失敗したって誰もが納得、どうってことないんだから。

しかし、さすがにこの状況では、、、と思ったので、私はUさんにこう言った。

「しばらく様子を見ます。」
「どれくらい??」
「分かりません。でも、この状況では、見通しがつくまでは新しいお店はできませんから無期限延期です。」

2020/03/24

ザボン OR ザーボン?

船橋屋の元祖葛餅


私はくず餅が大好きで、船橋屋のくず餅を見かけると衝動的に買ってしまう。
こないだくず餅を買ったのはワイン教室に行く途中で、師匠のT先生の分も一緒に買ってワイン教室に行った。
この時はまだワインバーをオープンするつもりでいたので、4月からは忙しくなってワイン教室に行けなくなる見込みだった。
そこで、挨拶の意味もあり先生にくず餅のおみやげを渡したのだが、何となく、先生は空也のモナカの方が好みかもしれないと思った。
なぜなら、以前先生はワイン教室の授業で、空也のモナカをおやつに出してくれたことがあったからだ。




先生はこのとき、マスカットベーリーA(muscat bailey A)の赤ワインに、空也のモナカの餡子をペアリングで出したのだと記憶するが、その日の先生はきっと、今日の私と同じように空也のモナカを銀座で衝動買いしたんだと思う。
しかし、銀座の空也のモナカ、、、こちらは小さくてお高い、、、なので上品で素敵なT先生向きである。
これに対し、船橋屋のくず餅はボリュームがあり、リーズナブル。
なので、私のような者に向いている。
というわけで私は船橋屋のくず餅「派」なのである。

さて、そのワインバーのことだが、その後の新型コロナウィルスの影響で、世間のイベントが次々と中止されていき、飲食店の営業時間や酒類の提供の規制が厳しくなり、私はオープンを見送ることにした。
物件契約の予定はキャンセルして、私は至急ですべきことがなくなった。
こりゃ、マイッタネ、、、

世界同時株安。
日経平均株価の暴落。

お茶の間のニュースでもこんな話題が深刻な感じで流れるようになった。
これならそろそろ買い時なのだが、こっちはそれどころじゃない。
そして今日は予約していた資生堂美容室で散髪。
少し早めに家を出て、銀座の街をぶらぶらした。


銀座日産ショールーム


銀座4丁目交差点


4丁目の交差点の日産のショールーム(日産クロッシング)は、いつもと違い、がらんとしていた。
それでも、ショールームのガラスから交差点を見下ろすと、人通りが少し回復している。
そこから並木通りを歩き、ノエビア銀座ギャラリーへ。


銀座ノエビアギャラリー


銀座ノエビアギャラリー「写真家林忠彦の世界」


今日は「写真家林忠彦の銀座」という懐古的な写真展をしており、高度経済成長のころの混雑した銀座の写真がたくさん飾られていた。
ところで、私はさっき、「ザボン」という名のスナックを探しながら並木通りを歩いていたのだった。
以前、ビジネス雑誌で読んだことがあるのだが、ザボンは往年の名作家たちの通う個人経営のスナックで、並木通りのどこかにあるという。

ザボン、、、なんだかドラゴンボールみたいだな。

これはかなり行ってみたい場所だ。
しかし、何やら敷居が高そうで、まずは場所だけ確認しようと思った。
さっきは見当たらなかったが、ノエビア銀座ギャラリーを出て、資生堂のビルに向かって歩き始めた私は、すぐにザボンの看板を見つけることができた。
ザボンは読めない漢字で書いてあり、雑居ビルの看板のなかで明らかに目立っていた。


銀座の朱欒の入口


なあんだ、資生堂のビルの近くじゃないか。
今度行ってみようかしら。

でも、今度とはいつだろう、と思った。
今はこんな状況だし、今後スナックやクラブは営業規制を受けるだろう。
私は何となく不安になり、ザボンの看板の写真を撮ってから資生堂美容室に向かった。

2020/03/11

3・11 Pandemic&Pibrac

3月11日は東日本大震災の日である。
私にとってそれは福島原発事故とともに忘れられない出来事である。
改めて思うと、本当に紙一重の無事なのであった。

今日は夕方、渋谷の一等地で司法書士事務所を経営する友人M先生と会う約束がある。
ただ、その前にギャラリーめぐりをするつもりで、お昼ごろ銀座に到着した。
ギャラリーめぐりというとだいたい行くところは決まっていて、企業系のギャラリーだと、ソニーイメージングギャラリー、資生堂ギャラリー、ポーラミュージアムアネックス、銀座グラフィックギャラリー、ノエビア銀座ギャラリーなどである。
しかし、ギャラリーはどこも休業していた。
銀座のギャラリーは狭くて小さいところが多いため、新型コロナウィルスが蔓延している時に開館は難しいのだろう。
とりあえず、松屋の向かいのシャネルのギャラリーは開館していたので、そこに入った。


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


ピブラック(Pibrac)の写真展。
ピブラックは劇場の舞台裏をドラマチックに描き出す気鋭の写真家である。
劇場には表舞台のドラマがあり、それとは別に舞台裏での劇団員たちのドラマもあるのだ。
少し作為的な気もしたが、人間ドラマを感じさせる写真ばかりで見ごたえがある。


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


シャネルネクサスギャラリーのピブラックの写真展


派手な身なりのアーティスト風のカップルがいて、先ほどから私の少し先を話しながら歩いている。
ある写真の前で2人は立ち止まり、写真の近くに寄って見てはまた離れを繰り返した。
パソコンのアプリか何かを用いた合成写真ではないかと、しきりに疑っているのだ。
そのうち私の目の前で、合成写真かどうかの議論が始まった。
なので、私は静かにその場を離れることにした。
私は、合成のような気もするがそうではないような気もする。
まあ、どっちでもいいんじゃないの。

その後、向かいの松屋に行き、デパ地下のいつもの喫茶店でコーヒーを飲んだ。
デパ地下も空いていたが、喫茶店も私を含め客は3人だけ。
その後また通りを歩いた。
シャネルもそうだったが、通りがかりに見かけた銀座のブティックはどこも閑古鳥が鳴いており、入口に店員だけが立っている状態であった。


銀座花椿通り交差点


銀座4丁目の交差点も、どこかの田舎町の交差点のように人がいなかった。
思わず、このままでは銀座がゴーストタウンになる、と思った。
まるでピブラックの劇場写真のように。
銀座という豪華なハコモノだけがあり、そこには誰もいない。
まあ、それはよくある考え過ぎであって、実際にそうなるわけはないんだけど。

その後、私は銀座線で渋谷に向かった。
約束の時間よりもだいぶ早く渋谷に着き、私は雨上がりの渋谷の街を少し散歩した。
渋谷は銀座に比べて明らかに人通りが多い。
こちらはいつもとそれほど変わらないな、と思った。
約束の時間までスターバックスで待った。
1階の客席は若者で満員、2階に上がるとこっちも若者でほぼ満員であった。


渋谷スターバックス2階席


私は窓際のカウンター席に座り、階下の大通りを眺めながら手帳をめくり、桜の季節限定のフラペチーノを飲んだ。
隣に座る2人組の女子大生が大学のサークルの話をしている。
銀座と違い、渋谷は若々しくて楽しい話ばかり聞こえる。

ああ、なるほど、、、
高齢者の銀座、若者の渋谷ということで、勝負あったね。

これから会うM先生は私と同年代だが、渋谷の街が好きという。
私は銀座の方が落ち着けるので好きだが、今後銀座の街はどうなるのだろう。
新型コロナウィルスの流行とともに色あせていく銀座の未来、かたや、ウィルスをもろともせず若者が集う渋谷の未来。
ここで私は、もう銀座の時代ではないのだ、と確信した。

窓の外はまた雨が降り始めている。
ふと、となりの女子大生2人組が面白いことを発見し、喋り始めた。

「ねえ見て、ビックリしたわ!」
「なに?」
「交差点の左側は雨が降ってないのに、右側は雨が降ってるんだけど・・・」
「まさか。でも本当だ、すごい!」

階下の通行人たちはそのことにまるで気付いていないが、2階席から見ると確かにそれは本当なのだった。
しかし、私は驚かなかった。
今日は東日本大震災のあった3月11日である。
いまは新型コロナウイルスのパンデミックの真っ最中である。
私は、大地震と原発事故の組み合わせ、新型コロナウィルスのパンデミックに比べれば、驚くほどのことでもないのではないか、と思った。