2020/07/05

わたしは、たいけん美じゅつ場VIVAアートコミュニケーター第1期生

私は「たいけん美じゅつ場VIVAのアートコミュニケーター」です。
といっても、ほとんどの読者は何だか意味がさっぱり分からないだろう。

今日、私は「たいけん美じゅつ場VIVA」で、「アートコミュニケーター第1期生」の「基礎講座第1回」に出席してきました。
といっても、ほとんどの読者はなおさら意味が分からないだろう。

本当は5月ごろに始まる予定だったのだ。
しかし、新型コロナウィルスの影響で、私たちの最初の基礎講座は7月にずれ込んだ。
たいけん美じゅつ場VIVAと呼ばれるこの場所は、アトレ取手の4階にあって、昨年末にオープンしたばかりのアートスペースなのだが、まだ地元市民にも認知されていないのが実情であり、ここでもきちんとした解説が必要である。


アトレ取手ギャラリーたいけんびじゅつばVIVAロゴ


アトレ取手ギャラリーたいけんびじゅつばVIVAオープンアーカイヴ


アトレ取手ギャラリーたいけんびじゅつばVIVA


大きく分けて、ここは、ギャラリー、オープンアーカイヴ、フリースペースの3つからなる。
エスカレーターを4階まで上がると、目の前の壁にVIVAと書かれた奇妙なロゴが見える。
最初に通り抜けるフリースペースには、テーブル席とカウンター席が並んでいる。
現在のところ主に、地元の学生がフリースペースに入り浸って自習室みたいになっているが、買い物帰りの主婦や高齢者が休憩していることもあれば、会社員がテレワークをしていたり、さぼっていたりすることもある。
このように各人が自由気ままに過ごしてよいわけだが、実は、ここは市民が自らの手でアートを楽しめる場所でもある。


アトレ取手ギャラリーたいけんびじゅつばVIVA


アトレ取手ギャラリーたいけんびじゅつばVIVA石膏デッサン


奥の方へ行くと、工作室、石膏デッサンのスペースなどもあり、日によっては、アートコミュニケーターという謎めいた肩書の人たちが活動している。
まあ、3月からの選考に通り、私はこうしてアートコミュニケーターとなったわけだが、アートコミュニケーターとは何なのか、と改めて問われると定義の説明に窮してしまう。
私は、ここで行われるアートの活動や、それに関連する社会活動を無償で手伝う企画運営参加のボランティアという認識で来ているのだが、どうなのだろうか。

アートコミュニケーターの第1期生は総勢25名ほどである。
ミーティングルームだと手狭なので、空いているギャラリースペースに集まった。
大半は市民ボランティアであり、見た感じでは中高年の男性が多い。
運営側は、VIVA職員、東京芸大キャンパスの先生、アトレ従業員、市の文化芸術課の担当者などが来ていた。

アートコミュニケーターは上野の東京都美術館で成功した制度をまねたものだという。
言われてみると確かに、取手は東京芸術大学のキャンパスがあり、上野と環境が似ているかもしれない。
なので、都美術館をまねたのだろうか、そこはよく分からないが、VIVAの企画プロデュースは芸大の美術部部長、現代美術家の日比野克彦氏なのである。
ああ、VIVAのあの怪しげなロゴを作ったのも日比野さん、たいけん美じゅつ場VIVAという風変わりな名前を付けたのも日比野さんなのか。
そして、彼のビデオメッセージが、会場の大画面に流れた。

・アートコミュニケーターは月2~3回のペースでゆるく活動する
・任期は1年、更新すれば最長3年まで
・報酬のようなものはなし
・特別な決まりはなく、自由に活動してVIVAを盛り上げればOK
・その活動費は一定額まで支給されるが、交通費の支給はなし

ビデオの日比野さんいわく、みなさん、ここで好きなことをしてください。
まあ、実際のところは、職員の人件費、利用者数の確保、助成金補助金の支給名目など、様々な事情が絡んでアートコミュニケーターの制度が取り入れられたのだと思われるが、当面は新型コロナウィルスの問題があるため何の活動もできないだろう。
振り返ると2~3年前、まだ景気が良かったころ、ここには無印良品、100円ショップのキャンドゥ、その他にもいくつかの雑貨店、服屋などのテナントが並んでいた。
しかし、街の景気が悪化し、無印良品が撤退、キャンドゥも含めた残党たちは2階のフロアに民族大移動をして、いまは店構えを狭くして肩を寄せ合って生きている。
そのため4階がだだっ広い空き物件となり、困ってしまったJR(アトレ)と市役所が、お金を出し合ってぜいたくに改装した、といういきさつがあると聞いた。

それにしても、その際の改装費用は数億円だったという。
駅ビルのテナントたちは街角景気が悪いから、撤退や移転を余儀なくされたというのに、何だか彼らがかわいそう。
そしてその場所で億単位の金額(主に税金)がやすやす動くとは、何とも景気の良い話。
昔からよく言うが、お金はあるところにはある、という言葉を私は思ったのだった。