いつのまにか、駅ビルで売っている牛乳パックのデザインが変わっていた。
家でコーヒーを飲むとき、その牛乳パックを眺めたが、これは好印象なのでデザインの変更後に売上が増えたはずだと思った。
牛乳の味は別にどうってことはなく、いつもと同じである。
しかしその後、案外それほどの効果はないだろう、とも思った。
というのは、最近聞いたボジョレーヌーヴォーのワインセミナーで、農協牛乳のパックのデザインを手がけたデザイナーから聞いたことなのだが、最初はあんなデザインはないだろうと農協の理事たちにコテンパンに批判されたそうなのだ。
ただ結果として、あのオレンジ色のシンプルなデザインに変更したことで、農協牛乳の売上は劇的に増えたのであった。
確かに、仮に私が当時の農協でアルバイトをしていたとすれば、あのデザインでは売れそうにないと思っただろう。
逆に、この駅ビルの牛乳パックのデザインはどう見ても好印象、売上が増えると思うのである。
私はアーティストでもデザイナーでもないし、その才能もないので、農協の理事たちと同様凡人の見方になるわけだが、たぶんというか、きっと、私の直感はハズレていると思う。
さて、そのデザイナーは麹谷さんという70歳くらいの高齢の男性であった。
業界有名人というが、業界人でない私はもちろん知らない。
デザイナーというと花やかな世界をイメージするが、服装が地味だった。
また、高度経済成長時代の成功談ばかりで近況の話がなかった。
そのため、何だか冴えない感じに見えてしまい、私はふと、この人、最近何をしているのかしら??と思った。
いや、まあ、この年代なら年金と貯金で悠々自適に暮らしているのだろうし、今日はこうして、11月のワイン教室のボジョレーヌーヴォーのセミナーで、大昔の思い出話をしてお小遣い稼ぎをしているのだろうが。
しかし、その話はたとえ大昔の思い出話でも、彼がボジョレーヌーヴォーを日本に紹介し、根付かせるまでのマーケティング等の裏話であり、非常に興味深いものであった。
そういえば、まだ書いていなかったが、T先生と私の出会いは、WSET3の資格試験を受けることになる2019年4月からさかのぼって約半年ほど前の2018年10月のこと。
このボジョレーヌーヴォーのワインセミナーである。
このとき先生は司会進行役をしていた。
アフターの飲み会。
すでに9時を回り、大半の受講生は帰ってしまい、階下の待ち合わせ場所に集まったのは10人ほどだった。
私たちは南青山のFrancfrancの前でタクシーに分乗し、外苑西通りを南下、予約した西麻布のフランス料理店に行ったのだが、タクシーの後部座席で私は、司会を務めた先生とたまたま一緒になった。
初対面なのにずいぶんいろいろなことを話したが、この先生、黒ずくめの喪服のような格好が魅力的で私はすぐに覚えてしまった。
おお、なんか話はおもしろいし、いい雰囲気の先生だなあ。
まあ、主役の麹谷さんの服装が地味なので、司会の先生が目立たないためには黒を選ぶのが妥当なのだろう。
雑談の内容から推測すると、T先生は元客室乗務員である。
飲み会が終わったのは11時過ぎ、帰りは何人かで青山公園の方へ乃木坂駅まで歩いた。
家に帰ったのは午前1時ごろになった。
さて、ここからは後日談と余談である。
私は麹谷さんの話がおもしろかったので、後日、当時に詳しい飲食店のオーナーにこの話をほぼそのまま話したのである。
すると、彼は考え込んだ様子でこう言った。
う~ん、ボジョレーのマーケティングをしたのは〇〇さんのはず。なんかマーケティングの内容もちょっと違うと思うけどなあ、、、
意外な返事で驚いたが、ヨチヨチ歩きの頃の話がウソか本当かなど私に分かるはずがない。
なので、それ以上の話には至らなかった。
しかし、この問題、よく考えると重大ではないか。
インターネットには、ここ20~30年の情報の痕跡が、ほぼリアルタイムで追跡できるほど詳細に残されており、正直、気持ちが悪いほどだ。
かたやインターネット普及前のことについては、Wikipediaなどに些細な手がかりがあるだけで、確かめようのない事実ばかりが、間違いないこととして書かれているのである。
したがって、麹谷さんが作り話をしたところで、こちらはそれをありがたく聞くしかなかっただろう。
もっともインターネットで調べると、麹谷さんは農協牛乳を本当にデザインしており、業界有名人の方なのだが、、、
現代は高度の情報化社会である。
しかし、ある時期からの情報だけが異常にあふれ返っているだけだ。
これで本当に情報化社会??
いや、非常に偏った情報化社会だと思う。
結局のところ、真偽はともかく麹谷さんの話に受講料4000円(??)の価値があったかどうかが重要なのである。
その点、私は彼の昔話を聞き、非常に楽しかったし、勉強にもなった、ということである。