「銀座を歩く」(岡本哲志・講談社文庫)、この本は汐留パナソニック美術館のミュージアムショップで買ったものだ。
ようするに、「銀ブラ」の本であるが、いまの銀座を歩き、むかしの銀座を思い出すという銀座歴史物語の内容だが非常におもしろい本である。
ところで、私は「銀ブラ」を「銀座をブラブラする」の略だと思っていた。
が、かなり以前、並木通りの美容室でスタイリストをしているお姉さんから、実はそうではないと言われたことがあった。
「銀ブラって、銀座をブラブラすることじゃないんですか。」
「実は、銀座でブラジルコーヒーを飲むことなんですって。」
「へ~、それは初耳。」(本当かな??)
早速wikipediaで確認したら、ブラジルコーヒー説が誤りで、散歩説が正しいと書いてあった。
過去の文人のエッセイなどが引用されているが、どれも散歩の意味で書かれており、常識的に考えても散歩説が妥当だ。
ブラジルコーヒー説は、銀座の喫茶店のオーナーの冗談で、それを真に受けて拡散する人がいる、ということのようだ。
テレビのバラエティー番組も何度かブラジルコーヒー説をおもしろがって取り上げているようだ。
ただ、専門家(?)が出てきて真剣に、ブラジルコーヒー説はデタラメだと怒るようなことでもなく、ユーモアがあっておもしろいと思う。
どちらの説を信じたところで、本人にも誰にも害は生じまい。
広辞苑によると、銀ブラとは「東京の繁華街銀座通りをぶらぶら散歩すること」である。
次に、銀ブラの語源も争いがあるようだ。
Wikipediaによれば、1924年の「新東京繁昌記」にこう書いてある。
『銀ぶら』といふ言葉は、其最初三田の学生の間で唱へられたものだともいふし、また玄文社の某君の偶語に出たものだともいふ。勿論文献の徴すべき何ものもないが、これでも十数年乃至数十年の後にはいろんな内容いろんな伝説なども附会されて~
しかし、これについて、銀座育ちの文学者池田弥三郎氏は否定的である。
Wikipediaによれば、池田は次のように書いている。
軽薄なことでは人後に落ちない、われわれ慶応の学生仲間たちも、銀座へでも行こうかとは誘い合ったが、銀ブラでもしようか、とは言わなかった。「銀ブラ」とは、おそらく、社会部記者用語ではあるまいか。
私は何となく、池田氏の主張が正しそうな気がする。
特別な言い方は非日常あるいは他者に対して使うものだからである。
さて、もうひとつ、「銀ブラ」の日本語としての印象が悪い、ということも感じる。
私の買った本のタイトルは「銀座を歩く」であり、「銀ブラしようぜ」「銀ブラの歴史」「銀座ブラブラ物語」などではない。
出版業界の人の感性だと、恐らく、銀ブラでは少し印象が悪いのではないか。
かたや、先ほどのブラジルコーヒーの話ではないが、テレビ業界の人や、カフェのオーナー等の商売人の感性だと、恐らく、銀ブラのほうがキャッチコピーとして優れていると考えるのではないか。
ちなみに私の場合は、銀ブラと聞くと銀色のランジェリーを想像してしまうのだが、、、
おっと余計なことを書いたので、もうおしまい!!( ˘ω˘)スヤァ~