ビジネスの世界には、エレベータートーク(エレベーターピッチ)という言葉がある。
自分の考えや要点等を、エレベーターの昇降時間の30秒~1分程度で、上司やクライアントに全て説明できなくてはならない、ということだ。
何事もひと言で、文章も談話も短い方がいい、ということだが、それは非常に難しいことである。
今回は私が、司法書士の歴史を簡単に書いてみようと思う。
まず日本の歴史上、3つの法律職がある。
弁護士、司法書士、公証人である。
法曹三者という言葉もあるが、こちらは裁判官、検察官、弁護士のことを指す。
法律職と法曹三者は別の言葉である。
弁護士⇒代言人⇒訴訟代理人
司法書士⇒司法代書人⇒法律事務
公証人⇒証書人⇒公証役場
左から、今の呼称、昔の呼称、業務内容、である。
この3つの法律職は明治5年司法職務定制に由来するもので、当時は代言人、司法代書人、証書人と呼んだ。
司法書士の呼び名は最初「代書人」だった。
それが、大正8年に新しく法律ができて「司法代書人」と呼び名が変わった。
代書全般の中でも、司法(法律)に関することを代書する、ということである。
その後、昭和10年には「司法代書人」から「司法書士」にまたもや名称変更された。
司法書士は昔の名残で「代書人」「代書屋」と呼ばれることがあるが、「代書人」の部分を「書士」に改めた。
さて、「代書人」というと、行政書士も以前の呼称は「代書人」だった。
なので、ここは非常にまぎらわしいのだが、行政書士は司法省ではなく内務省の省令を根拠とする専門職である(現在は法律)。
つまり、司法書士と行政書士は監督官庁が違うのである。
例えば行政書士は警察署に提出する書類を作成し、申請を代理するが、司法書士は法務局に提出する書類を作成し、申請を代理する、といったように、監督官庁が違うと業務内容も違うのである。
また、司法書士と行政書士は、法律上「代書人」と呼ばれていた時期も違うのである。
例えば八百屋という同じ看板を、一時期はAが使っており、別の時期はBが使っていた、というような意味である。
それなら、もちろんAとBは別の人ということになる。
本当にもう、まぎらわしい歴史だねえ。
しかし、いずれにせよ、歴史を大きく遡ると、両者は「代書人」という肩書にルーツがある。
ここで言う「代書人」とは、明治5年の司法職務定制で定められる以前から日本にあった一般的職業のことである。
明治5年の司法職務定制で新しく生まれた資格制度の「代書人」ではなく。
実は、これが俗にいう時代劇などに出てくる「代書屋」なのである。
「おい、勝手に入るな、ここは奉行所だぞ、何の用だ??」
「すみません門番殿、今日はお奉行様にご相談がありまして。」
「どうかしたのか??」
「最近、妻と娘にいじめられております。夜も眠れないほど悩んでおります。」
「待て待て、お前の話はいつも感情的でややこしいから、簡単に話せよ。」
「そうでしょうか。」
「そうだなあ、書面にしてみてはどうか。」
「私は字が書けません。」
「いや、自分で書くのではない。そこの路地を入り、代書人山田太郎の事務所で事情を話し、詳しいいきさつを書面にしてもらってはどうか。まあ、少しはお金を取られるがな。」
「はあ、、、」
「その書面を持ってまた来なさい。そうすればお奉行様も事情が分かるから、いろいろと相談に乗ってくれるぞ。」
「そうですか、なるほど、そうします。」
いつの時代も金銭の貸し借りから男女の不貞行為まで、様々な契約(合意)や民事紛争があった。
その時に、文字を書けないと非常に困る。
証拠の借用書も、離婚届(三行半)も書けない、役所に出す上申書嘆願書の類も書けない。
昔は公立学校がなく、文字を書けない者も多かった。
なので、街角の代書屋は、難解な書類から何でもない書類まで、様々な書類の代筆を頼まれたのである。
そういえば、マルセルカルネのフランス映画「天井桟敷の人々」にも代書屋が登場していたので、代書屋は日本固有の職業ではなく、ヨーロッパなどにもあったようだ。
映画では、美男子が代書屋でラブレターを代筆してもらい、代書屋に金を払い、ラブレターを自分で書いたことにしていたと記憶する。
しかし、明治以降は教育が行き届き、手紙くらい誰でも自分で書くようになった。
書面に使う日本語も文語体から口語体になった。
他方で、明治以降は近代化で複雑な社会となったので、それぞれの専門分野で、高度専門的な文書を作成する専門職がなくてはならないものとなった。
かくして司法書士、行政書士、弁理士、税理士、社会保険労務士~こういった士業が生まれ、発展したのであるが、司法書士は法律事務に関する専門職として今に至っているということ。
以上、簡単だが、おしまい。
次回は、戦後の司法書士について書こうと思う。