3月末にコレド日本橋のABCクッキングで、桜の弁当を作った。
今年初めての料理教室だった。
年初から3月まで緊急事態宣言が続いていたから仕方ないのだが、新型コロナウィルスは外食産業のみならず、料理教室にも深刻な影響を及ぼしている。
去年10月、ABCクッキングの銀座教室が閉店した。
銀座教室の最終日の夜、私はカレーライスを作りに行った。
閉店セレモニーはなかったし、服屋とは違い、閉店セールもないので、べつに閉店日を狙い撃ちして予約を入れたわけではなかった。
まったくの偶然で、私は銀座教室の最終の授業に立ち会うことになった。
始まる直前、私はトイレに行くため銀座ファイブの細長いビルを歩いた。
トイレの場所は反対側で、往復に時間がかかった。
銀座ファイブは変わった形状のビルで、様々なファッションブティックが細長くカーブして並んでいる。
いくつかの店は退去して、テナント募集中の空き区画となっていた。
さびれているな、と思ったが、このビルの不景気は今に始まったことではなかった。
もともとここは銀座の場末の雰囲気があり、ずいぶん前から客足が少なかった。
したがって、ABCクッキングのような人気店が入居していることは、他店舗の集客のためにも重要な意味があったのだが、ついにそのABCも閉店するのである。
なぜ閉店するかは言うに及ばず、新型コロナウィルスの影響である(誰だってそう思うだろう)。
銀座教室の閉店は、これまで破竹の勢いで拡大路線を歩んできたABCが、守勢に転じた象徴的な出来事のように見える。
ABCの生徒は、入会時20万円程度の受講料を前払いする(複数のコースを選択すればそれ以上の金額となる)。
ABCはその前払資金を元手に、新しい教室をオープンし、新しい教室の先生が新規の生徒を獲得する。
そういう回転のきいた仕組みで成長してきた。
ところが、自粛の影響で授業数が減り、新規の生徒もそう簡単に獲得できなくなった。
コロナ禍で回転がきかず、先行きも見えない状況だ。
そうなると、高額な賃料の銀座教室をいち早く店じまいするのは、ごく当たり前の経営判断となる。
まあ、銀座教室がなくなっても、生徒に不都合はない。
地下鉄で5分とかからないコレド日本橋教室(日本橋駅、東京駅)、汐留教室(新橋駅)、丸の内教室(有楽町駅、日比谷駅)に生徒が分散するだけのことだ。
では、銀座からの撤退は、ABCクッキングにとって何らかの経営上の緊急事態なのだろうか。
おや、予約ページをよく見ると、新宿歌舞伎町のPePe教室も店じまいしているではないか。
新宿歌舞伎町といえば、一時期、感染の中心と言われた都内きっての歓楽街だ。
ははあ、なるほど、銀座教室は狭くて窮屈なところだったが、店じまいの本当の理由は、経営状況が厳しいというよりは、料理中の生徒の「密」を避けるため、クラスター対策で閉店したのだと思った。
今後は、自炊ブーム、脱東京、テレワークの流れに乗り、賃料の安い地方で新規の店をオープンし、新規の生徒を獲得する作戦に出るのではないだろうか。
さて、この一件で、私は今後銀座の街が大きく変化する予感を抱いた。
そもそも銀座は、太平洋戦争の空襲の被害がほとんどなく、路地に入ると古い雑居ビルが未だに軒を連ねている。
大通りには見上げるような高層ビルもない。
銀座は時代遅れの昭和の街なのである。
しかしもはや手狭な物件はクラスターの恐れがあり、限界が来てしまったようだ。
そういえば、日本一高い銀座4丁目の交差点にも、コロナ以前の頃から、不景気の兆候がすでにあった。
どうして日産のショールームと、ソニーのショールームの間の3階が、いつまでも空いているのだろう。
かつて3階には、私のお気に入りのフルーツカフェが入っていた。
バルコニーから交差点を見下ろせるから、客入りも良かった。
ただ、銀座ヤマハホールのコンサートの前に食事をした記憶があり、その時は6時過ぎなのに客がいなかったのを不思議に思った。
その時は偶然と思ったが、いつのまにかそのカフェは閉店し、パーティーメニュー付きのイベントスペースとなった。
その後は借り手もなく、若手の落語家が寄席を開催したりもしていたが、ある時、ソニーがここでアイボの展示会をしていたので、私はソニーの従業員に聞いてみた。
「あれ、ソニーは4階からでしょ??」
「ずっと3階が空いているので、アイボのキャンペーン中だけ使っています。」
「アイボは売れてますか。」
「そうですね~、最近はステイホームなので、かなり売れてます。」
「でもその分、ここにも人は来なくなりますよね。」
「そうですね、銀座4丁目もずいぶん人が減りました。」