お墓参り⇒中村萌展示会⇒日本橋高島屋⇒コレド日本橋ABCクッキング(Fさん&U先生)⇒梅園
きのうは雨がずっと降っていたが、久しぶりに都内まで行ってきた。
午前中の用事を済ませた後、お墓参りをして、その後、京橋の画廊で中村萌さんの展示会を見た。
その後、日本橋高島屋で買い物をしてから、1時半頃コレド日本橋のABCクッキングへ。
新聞社のFさんと久しぶりに会った。
私たちは、今では仲の良い料理友達である(もともとは料理友達ではなかったが)。
きのうは一緒にパン作りをしたのだが、Fさんは支局への異動が決まり、会うのはこれが最後であった。
まあ、本来なら仕事中の金曜午後である。
しかし、引継ぎが終わり、本社での仕事はもう「ない」ので、Fさんは自由の身なのである。
そういうわけで、男2人でせっせと2時間かけて、パン生地からこね、二度発酵させ、すりおろしたレモンの皮をトッピングしたりして、レモン風味の食パン(ハニーレモンブレッド)を焼き上げた。
2時間立ちっぱなしで、疲れた。
かなりのボリュームだな。こんなに重い食パンは初めてだ。
おいしそうにできた。
いやいや、上手にこねられなかった。パン職人の道は遠いねえ、あと10年はかかる。
すると、いつも私たちを気にかけてくれる担任のU先生が、パンのはじっこを指さし、ここに影のようなものができている、よくこねた証拠です、とほめてくれた。
パン作りには合計1時間ほど、二度の発酵過程がある。
そのため、料理コースよりも長時間なのだが、パンが焼き上がるまで2時間立ちっぱなし、また、パン生地をこねたりもするから、終わるとかなり疲れるのだった。
2人とも教室のテーブル席では食べず、レモンパンをABCの袋に入れて家に持ち帰ることにした。
それにしても、いつものテーブル席では、作った料理を食べて談笑する女性のグループが何組かいるのに、誰もいなかったなあ。
なるほど、そうか。
これはABCの感染対策なのである。
最近はブレッドコース、ケーキコースが主流で、料理コースは1日数コマしかない。
それは、料理を作るとみんなでテーブル席で食べてしまうからだ。
しかし、パンやケーキなら生徒たちは持ち帰るのである。
その後、私たちは焼きたてのパンを持って、日本橋高島屋へ。
甘い物を食べて休憩、というわけ。
本館7階の着物売場の奥にある梅園で白玉あんみつ(!!)を食べ、茶飲み話をした後、日本橋駅で素っ気なく別れた。
たぶん、Fさんとはもう会うことはないかも、と思ったが。
帰りの電車内は、サラリーマンの帰宅時間とぶつかり、非常に混雑していた。
私は焼き立てのパンの入ったABCクッキングの袋を大事に抱えたまま、座席でうたた寝してしまった。
そうそう、彫刻家中村萌さんの展示会のことも書かなくては。
開催場所の画廊「ギャラリー椿」は京橋駅から歩いてすぐのところで、着いたのはお昼過ぎ、雨傘を畳んで急な階段を上がり、雑居ビルの1階右の部屋へ。
その中には若い男女の店員、身なりのよい老夫婦、私の5人であった。
老夫婦が男性の店員と話し込んでおり、私は女性の店員と話した。
銀座周辺の画廊の展示会は若手の個展も多いが、今回は若手の共同展示会で、何人かの作品が入り混じって置いてあった。
しかし、私の目当ては彫刻家中村萌さんである。
以前インスタで海外のアーティストの作品を見ていたら、偶然、彼女の作品を見かけ、おお、これはいい!!と思ったのだが、外国人にも人気のようである。
インスタでは英語や中国語でも盛り上がっていたので、一度実物を見ておかなくては、と思ったのだ。
あった、あった、これこれ、この特徴的な表情。
彼女の作品はどれもクールである!!
私は、ギャラリーの女性に頼んで、何枚か記念写真を撮ってもらった。
彼女と少し話したが、中村萌さんご本人が来る予定は今のところないという。
個展なら週末などにアーティスト本人が待機していることも多いが、今回は共同展示会なので在廊はしません、とのこと。
その後、私は、他のアーティストの作品もひととおり見て回ったが、大手の美術館とは異なり、フロアに所狭しと作品が展示されており、うっかりすると貴重な作品にぶつかってしまいそうだった。
おや、もうこんな時間だ、これから料理教室があるから帰らなくては。
画廊を出た私は、雨の中を京橋駅へ。
それにしても、久しぶりに都内に来たなあ。
昼休憩のサラリーマンが行き交う路地、ラーメン屋の店先にできている行列、大通りの車の渋滞、工事現場の前で交通整理をする警備員。
マスクの着用を除き、街の様子は普段と何も変わらないように見える。
しかし、例えばFさんが今回支局に異動することになったのも、新型コロナウィルスと関係しているのだ。
それに、訪日外国人がシャットアウトされたいま、銀座周辺の画廊はどれくらい流行っているのだろうか。
静かに降りしきる雨。
街の様子は普段と変わらない。
が、日本経済の内部は少しずつ蝕まれているのではないか、私はそんな気がしてならなかった。