2021/08/04

介護だけで人生を終わりたくない、、、

ワインの味は産地により格別の違いがあるが、日本酒はどうなのだろう。
ワインも日本酒も大好き、というワイン友達の多くが、日本酒にはこだわりを持っていない。
ワインの違いを鋭く嗅ぎ分ける人が、日本酒は違いが分からないので~とか言って、飲みたい時は安い日本酒か焼酎などと言ってたような気がする。
周囲の酒飲みは、たいてい、ビール派である。
彼らにワインは好きか聞くと、ワインは複雑でよく分からない、渋いから苦手、コンビニで安いワインを飲むことはあるが~などと答える。
私の場合、ビールは苦いから苦手なのだけど。

そういえば以前、日本酒情報館で日本酒の飲み比べをしたときも、ABCクッキングで焼酎講座を受けたときも、私は日本酒にはワインのような複雑さがなく、むしろシンプルが魅力だと思った。
まあ、酒は好みで飲めばよく、複雑さに価値を求めるかどうかは人それぞれだろう。
ちなみに、WSET方式のワインのテイスティングでは、複雑さ(complexity)がワインの重要な評価項目のひとつとなっている。


ABCクッキング丸の内スタジオ


ABCクッキング丸の内スタジオ


ABCクッキング丸の内スタジオ


さて、茨城県は関東圏では日本酒の県と言えるほど酒蔵が非常に多いそうだ。
県の関係者に聞いたら、毎年恒例の日本酒の試飲会があって、それは茨城県内で最も人数が集まるお酒のイベントだという。
へえ、そうなんだ、、、牛久シャトーが日本遺産に認定されたから、てっきり茨城県はワインがメインなのかと思っていた。


坂東市の観光交流センター「秀録」


それは先々月のこと。
用事があり、地酒と平将門で知られる坂東市に行ってきたときのことだ。
「秀緑(シュウロク)」という観光交流センターが大通り沿いにあるのだが、ここは酒造会社(大塚酒造)の古い建物をリノベーションした観光スポットである。
「秀緑」とは坂東市の地酒ブランドである。

「秀緑」「将門」「勘助新田」など多くの銘柄と幅広い味で親しまれた大塚酒造は、世の嗜好の変化、人材確保など様々な理由が重なった結果、平成23年(2011年)に惜しまれつつも蔵を閉じることになりました。その後、様々な縁と熱い思いが集結し平成29年(2017年)2月に茨城県筑西市の来福酒造が、坂東市のお米と大塚酒造の製法を参考に新たな「秀緑」の醸造を開始しました。

過去に新酒の品評会の金賞を取ったので、私は何本か買って帰ろうと思い、友達に1本あげるよと、行く前にメールしておいた。
が、帰りに「秀緑」の案内所でおみやげの地酒を買おうとしたら、飾ってあるあの酒瓶は売り物ではない、と言われた。


坂東市の観光交流センター「秀録」


ここは改装された酒蔵、地酒の展示コーナー、ワークショップスペース、琉球ガラスの工房、会議室、立派なトイレ、飲食店など、ひととおり揃っている坂東市の観光名所である。
それなのに、案内所の棚には地酒のPRのパンフレットと見本の酒瓶が並んでいて、かんじんの地酒が売っていないとはマイった。
瓶の横の立札に、市内の酒屋で購入してください~と書いてある。

なるほど、仕方がない。
私は、この日本酒がどうしても飲みたいわけではないので、何も買わないで帰った。
坂東市を去る途中、平将門煎餅の本店があったが、肝心の酒屋はどこにあるのだろう。
ようするに、不思議なことに、「秀緑」という観光交流センターに「秀緑」が売っていなかった、ということだ。
もしかすると、この手の話は他地域でもよくあることなのかもしれないが、常識的に考えると、商機を逃さず、最も売れやすい場所に商品を置いておくのが商売の当然だと思う。
もっとも、いろいろな事情が絡んでいるのだろうが。

後日、友人と会う前、私はデパートに立ち寄った。
結局、私は彼と飲むためにデパートでワインを買った。
コロナ禍に久しぶりの酒を飲んだが、日本酒はワインほど銘柄の違いはないよね、などと2人で話した。
というわけで、坂東市の地酒は結局、私たちの酒の肴となっただけである。


坂東市の観光交流センター「秀録」


最後に。
用事というのは、昨年知り合ったセミナー講師のYさんが、坂東市内で資産設計セミナーをするというので、それを聞きにいったのだ。
彼女は社労士兼FP(ファイナンシャルプランナー)で県内ではわりと知られた資産設計セミナー、終活セミナーの講師のようである。
まあ、評論家として聞きにいったわけではないので、Y先生の講演は終始、楽しく聞いた。


坂東市の観光交流センター「秀録」


それにしても、このYさん、口下手で、控えめで、素朴で、優しくて、どう見ても講師には向いていない。
講師という生き物には、口が達者で自己顕示欲が強く、派手で、ずうずうしい人が向いているのである。
ただ、以前、彼女は私にこう言っていた。

介護だけで人生を終わりたくない、、、

私は、Yさんのこの言葉が忘れられないのだ。
Yさんにとって、講師の仕事とは、ささやかな自己実現、自己表現の手段なのだと思う。
もしこの仕事がなかったら、Yさんは実家の親の介護と旦那さんの看病に追われる日常と現実に押しつぶされてしまうのではないか。