2021/10/29

ギャラリー椿と同じビルの会社さん

2021年10月のある日、起業家向けのイベントSVS(サムライヴィジョンサミット)が茨城県取手市で開催された。
主催者は、六本木の独立系ベンチャーキャピタルの株式会社サムライインキュベートである。
縁あって私は、このイベントの裏方(ボランティアの運営スタッフ)をしたのだが、当初の開催予定は8月、それが緊急事態宣言で10月に延期された。


SVS、サムライインキュベートの榊原社長


SVS、サムライインキュベートの榊原社長


朝9時30分開場。
運営スタッフの私たちは8時集合で、小雨の降りしきる真冬なみの気温と冷たい風で、1日中外にいると風邪をひきそうなくらいの寒さだった。
でもまあ、熱射病で死ぬかもしれない8月の炎天下よりはマシだろう。
集まったボランティアは30~40名ほど、私たちは外廊下の屋根の下で、指示があるまで待った。
すると、先ほどから拡声器を持ってうろうろしている元気なおじさんが、私たちに声をかけてきたのだが、何とこの人が、サムライインキュベートの榊原社長であった(写真の赤い丸の人!!)。
ベンチャー企業の社長ということで、話してみるとやっぱりユニークな人であったが、拡声器片手の人を相手に長話はしにくい。
それにしてもマスコミの友達から、榊原さんのトレードマークは拡声器と聞いていたが、まさか目の前にいたとはね。

さて、この研修施設の名前はICIという。
incubation、cultivation、innovationを合わせた造語のようなのだが、ここは廃校となった白山西小学校の跡地なのである。
前田建設が市から買い取り、リノベーションで作られたいくつかの建造物が、切り立った高台に建っている。
眼下には広い校庭があり、私たちのいる場所からも見下ろせるが、この日の校庭は朝もやが、校庭の向こう側の山には濃い霧がかかっていた。
また空気は澄んでおり、まるで山奥の小学校に来ているようだった。
私は受付で、運営スタッフマニュアルとサムライと書かれた濃紺のシャツを手渡され、校舎内のロッカールームに移動して着替えた。
その後、着替え終わった私たちはスタッフ向けのガイダンスに参加した。
ここでグループ分けをされ、道案内や受付などの簡単な仕事を与えられた。
しかし、仕事といっても、10ページ程度の運営マニュアルに従ってすればよい軽いものだった。

あれ、そういうことなの??

つまり、ボランティアの運営スタッフとは、見方によっては入場料無料でイベント会場に入れる幸運な人ともいえるのである(ちなみに、入場料は1人5000円)。
仕事を効率的に分担し、空き時間を作り出せば、そこは各自の自由時間なので好きなセッションを見に行っていい。
メイン会場の講演会やトークイベント、校舎の各教室での勉強会など、様々なセッションが開催されており、事前に申し込んでおけば参加可能である。

じゃあ、私はどこへ行こうかな、、、暖かい教室のセッションがいいのだけど。

しかし、どのセッションも満員で、また、読者のご想像のとおり、お気楽者の私は事前予約などしていなかった。
ああ、もったいない!!


ICIの食堂のメニュー


そういうわけで私は、午前中、外の交流スペースの受付を担当し、午後は社員食堂の出入口の道案内を担当したのだが、セッションを見たがっている大学生R君の代わりに道案内を余計に担当してあげたりして、私は夕方まで社員食堂の出入口で門番のように立ってばかりいた。
そして日が暮れる頃には、前田建設の社員でもないのに私は、ここの社員食堂にやたら詳しくなってしまった。


ICIの食堂


おや、食堂の壁に、交通系カードの案内図が掲示されている。
社員食堂の決済方法は、Suica(スイカ)などの交通系カードによる、と書いてあった。
ただし、どういうわけか、PiTaPaのみ使用不可。
関東圏の私は、Suica(スイカ)、PASMO(パスモ)、ICOCA(イコカ)の3種類しか知らないが、PiTaPaとは「ぴ・た・ぱ」と読むのだろうか。
何だかサロンパスの類似品みたいで、自動改札に詰まりそうなカード名である。
私は後学のため、交通系カードの案内図を撮影した。




その他にも、入口付近の洗面所の壁に、「アートシンキング」に関する解説と動画のQRコードがあり、私はこれにも興味を持った。
アートシンキングって、もしかして対話型鑑賞のこと??
早速、スマホでこの動画を再生してみた。

アートシンキング(art thinking)とは、アーティストの思考回路からイノベーションのネタを見つけようという脱常識思考のことである。
例えば自分の10年後の姿を画用紙に描き、そこから自分自身の今の生き方について考えたり、これから何をすべきかを考えたりする、まあ、ようするに、アートを使って物事を考察するワークショップのことである。
詳しいことは知らないが、動画を制作した株式会社Bulldozer(ブルドーザー)という会社は、このようなワークショップを企業向けに売り込み、その動画を制作して利益を上げているようだ。
YouTubeなどにアップすれば、それは見事な企業紹介動画あるいはCMにもなるだろう。
ということで、アートビジネスとしては筋がいい、と私は思った。

そのうち夜になった。
外はさらに寒くなり、私は解散の時間まで食堂内で過ごすことにした。


社員食堂


ふと私は、近くのテーブル席に座る「創業手帳」という濃紺のシャツを着た若い男性に目がいった。
確か、創業手帳はベンチャー支援の会社のはず。
話しかけてみると、彼は登壇者のYさんだった。
若いのに社長なのかと聞くと、自分は急用で来れない社長の代役で、ただの平社員だという。
もうすぐ出番なので緊張しているようだが、まあ、そうは言っても社長の代役なら、かなりのやり手だろう。
しかしどう見ても、秋葉原でアイドルの追っかけをしていそうな青年に見える。

「Yさん、今日はどんな講演をされるんです??」
「まあ、創業手帳の会社紹介をするだけかな。」
「人前で喋るの得意なんですか??」
「いや、全然だめ。」
「創業手帳さんは京橋の会社ですよね??」
「ええ。うちをよく知ってますね。サムライさんとは違って、弱小ですが。」
「私、知ってます。ギャラリー椿と同じビルの会社さんでしょ??」
「ギャラリー椿?? ああ、もしかして1階の画廊のことですか??」
「そうそう、たまに見に行くから。」
「それでうちをご存知なんですね。」
「そうです。私、よく銀座周辺でギャラリーめぐりをするんですが、私、彫刻家中村萌さんの作品が大好きなんですよ。彼女の展示会は、いつも銀座のはずれのギャラリー椿です。」
「へえ~、そういう偶然ってあるもんなんですね。」
「あのビルの4階と5階、ずっと空き室だったでしょ。だからいつも気になって、帰りにビルの案内板を見るんです。」
「ああ、それで。ええと、4階と5階は同じ会社が入っていたんだけど、コロナになってから抜けちゃいましたね~。コロナ後は、銀座も京橋も空き室ばかりですよ。これからテレワークで空き室はもっと増えるだろうし、東京はどうなっちゃうんだろうな。」
「私には、そういう難しい金融経済の話はよく分かりませんが、アートのおかげで、いま、思わぬ出会いがありました。私、創業手帳さんとは不思議なご縁を感じます。」
「た、確かに。」
「今度、ギャラリー椿の展示会の帰りに遊びに行こうかしら。」
「うちは6階です。オフィスはテレワークでスカスカだし、来ても大丈夫ですよ。」
「本当にいいんですか!!」
「はい、何のお構いもできませんけど。」

とまあ、こんな感じで知り合ったYさん、この日の大役を無事果たせたのだろうか。


ギャラリー椿の中村萌展示会

2021/10/27

I want to be an investment advisor

つくば国際会議場


2度目のワクチン接種が終わり、緊急事態宣言も解除された。
10月は気軽に外出できるようになり、私は久しぶりに首都圏のいくつかの講演会に行った。
その中で最もよかったのは、渋澤健氏の投資セミナー「渋沢栄一の「論語と算盤」で未来を拓く」である。


つくば国際会議場FPフォーラム2021年10月23日


10月22日、つくば国際会議場で開催されたFP協会のフォーラムの目玉講演である。
配布資料によれば、渋澤健氏の経歴はこうである。

シブサワアンドカンパニー株式会社代表取締役。コモンズ投信株式会社取締役会長。1961年生まれ。69年父の転勤で渡米し、83年テキサス大学化学工学部卒業。財団法人日本国際交流センターを経て、87年UCLA大学MBA経営大学院卒業。JPモルガン、ゴールドマンサックスなど米系投資銀行でマーケット業務に携わり、96年米大手ヘッジファンドに入社、97年から東京駐在員事務所の代表を務める。2001年に独立し、シブサワアンドカンパニー株式会社を創業。07年コモンズ投信株式会社を創業(08年コモンズ投信(株)に改名し、会長に就任)。経済同友会幹事、社会保障委員会およびアフリカ開発支援戦略PT副委員長、UNDP(国開発計画)SDGImpactSteeringGroup委員。東京大総長室アドバイザー、成蹊大学客員教授、等。
(以下、著書等省略)






100人ほどが集まった中程度の広さのホール。
日本銀行の職員に付き添われて登場した渋澤健氏は、一礼して壇上へ上がり、教壇にパソコンを置き、椅子に座ってマイクを持った。
語り口も控えめだが、身なりもまた控えめで、正直、新橋のサラリーマンのおじさん(!!)に見えるのだが、渋澤健氏は投資顧問の大御所、新1万円札の顔となる戦前の大銀行家、渋沢栄一の「孫の孫」なのである。
肝心の講演の内容だが、渋沢栄一の資本主義、岸田新総理の新資本主義、ポストコロナ(アフターコロナ)、日本社会の将来像予測、投資の本質、SDGSの重要性などなど~金銭欲を刺激する低俗な投資セミナーではなく、知的好奇心とユーモアにあふれる高尚な投資セミナーであった。

1時間半の講演は、あっという間に終わった。
講演終了後、私は渋澤健氏ご本人と話す機会があった。
講演前の控室で、大人気の経済コラムニスト大江英樹氏と会ったのだが、渋澤氏は直前に滑り込みセーフで入って来たため、話す機会がなかった。
まあ、この方は政財界の要人(??)みたいなので、私なんかが話しかけない方がよいとは思ったが、せっかくそこにいるので図々しく話しかけてしまった。
そして後日、この話をSさんにしたら、こう言われた。
Sさんとは、例のピュリニーモンラッシェなどをズバリ言い当てるワイン通の女性である。

「帰り道で一緒になったのは、きっと何かのご縁よ。」
「ご縁??」
「そう。つまり、あなたも投資顧問になりなさいという天の啓示かもね。」
「おお、なるほど、、、ええっ、そうなのぉ~!?」
「そうよ。」
「う~む。。。」

私なんかに、そんな大役が務まるとは思えないのだが、、、投資顧問は、命の次に大事なお金を、他人様からお預かりして増やさなくてはいけない仕事である。
お客さんの資金を増やせば「神様」だが、減らせば容赦なく「悪党」扱いされる厳しい仕事である。
とはいうものの、ワインの銘柄をズバズバ言い当てるSさんが天の啓示と言うのだから、きっと、天の啓示なのだろう。
というわけで、投資顧問、機会があればちょっとやってみたいものだ。

帰り道は、つくば駅からつくばエクスプレスで守谷駅へ。
駅のコンコースに、ハンドドリップのカフェがある。
数年前に1度入ったことがあり、覚えていた。
その時は、どこかのバリスタ選手権(?)で優勝したというショートカットの元気な女の子が、おいしいコーヒーをいれてくれたのだが、今日は男女のペアの店員で、男性のバリスタに聞くと、その女の子なら異動したのでもういないと言われた。




(2021年10月当日のコーヒーファクトリー)


(2018年当時のコーヒーファクトリー)


私はカウンター席で、コーヒーを飲みながらメモの整理をした。
そういえば講演の最後の方で、チャンスについて渋澤健氏はこんなことを言っていた。
スライドに、横軸が「できる、できない」、縦軸が「やりたい、やりたくない」のグラフを表示し、その時ばかりはやけに熱っぽく語っていた。

みなさん、やりたいのにできないことってありますよね。でも、チャンスがないからといって諦めたらそれまでなんです。チャンスがなくてもやりたいと思い、動くことが大事。そうすると、ふとしたきっかけで右(「やりたい、できる」のゾーン)に行くことがありますよ。

そして、続いては逆境の話になった。
チャンスの反対は逆境(ピンチ)である。
逆境には、自然的逆境と人為的逆境があって、前者に対して人間は無力なので、諦めが肝心で、忍耐が正しいという。
確かに日本人はやせ我慢が得意である。
が、後者にあっては諦めるべきでも耐え忍ぶべきでもなく、積極的に自ら動きまわり、事態を改善するよう努めるべき、といっていた。
これは、渋沢栄一が子孫に残した言葉なのだそうである。
最初私は、なるほど、そうなんだ、とだけ思った。
が、渋澤健氏が例え話を始めると、にわかに重要なことだと気付いた。
つまりこれは、諦めがよく、我慢強い日本人(私も含めて)に向けられた渋沢栄一からのアドバイスだと思った。
人為的逆境に対しては流されてはいけない、じたばたして抵抗しなくてはいけないということである。

明治42年(1909年)渡米実業団を組織し団長として、全国の商業会議所会頭を率いて訪米。タフト大統領と会見する他、3ヵ月かけてアメリカ各地を訪ね、貿易摩擦の解消、相互理解の進展に努めた。明治45年(1912年)ニューヨーク日本協会協賛会創立、名誉委員長を引受ける。同年のアメリカ・カリフォルニア州における外人土地所有禁止法に見られる日本移民排斥運動などに対し、アメリカ人の対日理解促進のためアメリカ報道機関へ日本のニュースを伝える通信社の設立を提案した。日本を植民地とするロイターの障壁の前に実現は見なかったが、設立した国際通信社は現在の時事通信社、共同通信社の起源となった。
大正2年(1913年)来日した中華民国国民党党首孫文を民間を代表して出迎える。大正3年(1914年)日中経済界の提携のため中国を訪問。
大正4年(1915年)パナマ太平洋博覧会のため渡米し、各地を歴訪。ウィルソン大統領と会見。大正5年(1916年)日米関係委員会発足、常務委員就任。大正6年(1917年)日米協会創立、名誉副会長就任。大正9年(1920年)国際連盟協会創立、会長就任。大正10年(1921年)ワシントン軍縮会議出席のため訪米、ハーディング大統領と会見。
大正13年(1924年)ポール・クローデル駐日大使と協力して日仏交流の拠点として日仏会館を発足させ、理事長となる。大正15年(1926年)日本太平洋問題調査会創立、評議員会会長。昭和2年(1927年)日本国際児童親善会を設立し、アメリカの人形(青い目の人形)と日本人形(市松人形)を交換し、親善交流を深めることに尽力している。昭和6年(1931年)には中国で起こった水害のために、中華民国水災同情会会長を務め義援金募集に尽力。
渋沢は大正15年(1926年)と昭和2年(1927年)のノーベル平和賞の候補にもなっている。
(Wikipediaより)

おや、この「青い目の人形」、どこかで見たことがあるぞ。
写真フォルダを探すと土浦の歴史博物館(??)で撮影した写真がそれだった。
展示の人形のキャプションを見ると、土浦市立土浦幼稚園の所蔵品と書いてある。
渋沢栄一は1931年に死んだが、隠居後は悪化する一途の対米関係改善のため、民間人として融和外交に奔走した。
恐らく、渋沢栄一の人為的逆境の話はここから得られた教訓ではないか。




例えば恋人や親友、私たちの人間関係が悪化してしまったときの対処法を考えてみよう。
あるいは、もっと分かりやすいのは、大好きな女の子にふられた場合だろう。
多くの人は、相手に話しかけるともっと関係が悪化する、と思うだろう。
そのリスクを恐れ、なるべく話しかけないで様子を見ようとしがちだ。
しかし、積極的に相手と関わる方がよい結果が得られる、相手を避けるのではなく、対話が最も重要だと渋沢栄一は言っているのである。

なるほど、そう言われるとそうだ。
外交には同盟国との対話のみならず、敵国との対話ももちろん含まれるのだし、じたばたして抵抗すれば自国の運命が変わることだってある、と強く信じて交渉するのが、外交当事者の重要な気構えである。
諦めが肝心などと言って諦めてしまっては、良い未来など訪れるわけがないのだね。
まあ、そんな感じでこの日の渋澤健氏の投資セミナーは、私に対して資産運用の重要性のほかに、対話の重要性も教えてくれたのだった。

2021/10/07

仕事、今は控えた方がよい

2度目のワクチン接種が終わり、緊急事態宣言も解除されたので、気軽に外出できるようになった。
先日、私は御茶ノ水の井上眼科に定期健診を受けに行ったのだが、その帰り道、約2年ぶりに四季料理「さくれ」に立ち寄った。
四季料理「さくれ」は路地裏の洒落たお気に入りの小料理屋で、リーズナブルでおいしいのだが、店構えをこの目で見るまで無事なのか疑っていた。
この他にも、私は都内のいくつかの場所で、気軽に外食をしたりお茶を飲んだりしたが、行った店は全て無事、まあ、無事でよかったですね、と思いながら黙って食べた。


四季料理さくれ


四季料理さくれ


ただ、銀座の「七賢元酒屋」だけは、無事ではなく、非常に驚いた。
緊急事態宣言中、店主がKさんからSさんに代替わりをしていたのである。
店に入ると、知らない人が厨房に立っていた。
私は嫌な予感がして、思わず、その男性をジロジロ見てしまったのだが、Kさんは無事なの?と聞くと、隠居して悠々自適です、というので、これもまた無事でよかったですね、ということである。
コロナウィルスがこれほど蔓延したなら、店が無事でも店主が客からうつされて死んでしまったとか、そういう不測の事態も考えられるからである。


七賢元酒屋


七賢元酒屋


そして夕方、私は日本橋へ。
三越前駅でおり、いつものようにコレド室町の横の福徳神社に立ち寄っておみくじを引き、そこから徒歩で小伝馬町方面へ。
カミサリー日本橋の十字路のビルBNAWALLアートホテルイン東京を再訪した。




BNAWALLラウンジ


ここは1階のラウンジで、巨大壁画が見られるのだが、8月に訪問した当時は倉敷安耶(くらしきあーや、Aya Kurashiki)さんの壁画があった。
しかし、今はもう彼女の壁画はなかった。
6×6メートルにも及ぶ壁画用カンヴァスは共用のもので、彼女の展示期間が終われば、次の画家のために彼女の壁画は消される運命だった。

テーブル席でアイスコーヒーを飲んだ後、私は新しく描かれた壁画を近くで見た。
なるほど、童話や絵本の挿絵みたいで、かわいらしい作品なのだが、クラブのような大人びた雰囲気のこのラウンジには、倉敷さんの壁画のほうが似合っていると思った。
倉敷さんの壁画が名画かどうかは私のようなシロウトには分からないが、とりあえず、消される直前に記念写真を撮っておいたのは正解だった。


倉敷安耶壁画記念写真


さて、今回の福徳神社のおみくじはどうだったか??

願望 不安に思うことはあれど後にかなう
仕事 今は控えた方がよい
勝負 今は不利、待てば勝ちます
金運 大きな利益あり
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大吉、であるが、、、まず目に付くのが大きな利益が手に入るということだ。
本当かな??
でも、仕事も勝負(バクチ??)も、今がその時ではないと書いてある。
では私はどうやってその大きな利益を手に入れるのか、と私は訝しんだ。

次に、恋愛は長い目で見よ、とある。
願望についても、不安は大きいが後にかなう、と。
それはとても嬉しい話である。

が、、、今回の大吉の記述は全体的に曖昧ではないか。
私は、はぐらかされたような気分だ。
私は財布におみくじをしまい、アイスコーヒーの代金600円を払って外に出た。

外はもう暗くなっている。
時計を見ると6時近く。
実は、これから仕事で待ち合わせをしているのだ。
それなのに、、、仕事、今は控えた方がよいって、全然大吉じゃない!!


2021/10/02

続・犬不足













銀座のソニーギャラリーで、犬と猫の写真展を再見した。

来週姪っ子と犬が来るので、それまでの「犬不足」。


エスカレーターで5階へ下りるとAiboの展示場がある。


2匹のAiboと少し付き合った。

毛がないとつい叩いてしまうが、1階の日産の車とほぼ同じ手触りであった。