2021/12/01

樋口一葉「たけくらべ」ゆかりの地散歩

浅草の裏手、竜泉地区にある樋口一葉記念館。
その目印は、一葉煎餅の店、お唄と三味線の教室、一葉記念公園の3つである。
11月23日は、5000円札の樋口一葉の命日で、記念館主催の散歩会(ボランティアガイドと行く「たけくらべ」ゆかりの地の散歩会)があった。
おととし初めて申し込んで、抽選に当たったが所用で行けず、去年は新型コロナウィルスのため散歩会が中止、今年こそ、忘れずに申し込んで抽選に当たった。

午前の部の定員は15名。
10時に記念館の研修室に集合したのも15名であった(ということは落選者がいたのだろう)。
研修室で30分ほど「たけくらべ」の解説があり、10時30分に出発し、私たちは5人ずつ3グループに分けられ、それぞれにボランティアガイドの女性と記念館の職員が付いた。
最初に行ったのは千束稲荷。
境内に樋口一葉の記念像があった。


千束稲荷


そこから大通りまで数分歩き、次は大音寺という古くさいお寺の門前に着いた。
門扉を勝手に開けて中へ入り、むろん事前許可はもらっているのだが、私たちは侵入者の一団のようであった。
庭の左手に墓地があり、ボランティアガイドの女性が、大音寺はかつての「投げ込み寺」のひとつで、遊女の無縁仏があると言った。
投げ込み寺とは、当時遊女のほとんどが借金のかたに売られてきた女で、死んだら故郷も墓もないから、遊郭経営者がその遺体を埋葬したお寺のことである。
ああ、そうだ、投げ込み寺というと、以前吉原遊郭街跡の見学ツアーで訪れた吉原弁財天(本宮)と同じなのだな、と私は思った。

大国寺を出ると私たちは大通りの横断歩道を渡り、これまでと反対側の歩道を歩いた。
路上では職人たちが解体作業をしており、まもなく、解体中のやぐらの下をくぐり、少し先の鷲神社(おおとり神社)の境内へ。


鷲神社


11月21日に「二の酉(にのとり)」が終わったばかり、その後片付けで騒がしかった。
境内のすみっこに樋口一葉の記念碑があるというのだが、今はブルーシートに覆われていて見えなかった。
その後、路地側の出口から神社を出て、路地向かいの長国寺にも立ち寄った。
しかし、そこから少し歩くと、にわかに見覚えのある景色になった。
この辺から、だんだん慣れてお互い話すようになり、私はボランティアガイドの女性と並んで話しながら歩いた。

「そこの建物は台東病院です。かつて検査場だったところです。」
「検査場って何ですか??」
「性病検査をするところです。」
「あ、ちょっと待って。あれが台東病院ってことは、もしかしてその先は公園で、横断歩道があって、その向こうに投げ込み寺の吉原弁財天があるんじゃない??」
「あなた、、、この辺りからはお詳しいんですね。」( 一一)
「いやいや、おねえさん、そうじゃないんですよ。以前、吉原遊郭街跡の見学ツアーに参加したことがありまして、その時は、見返り柳から吉原神社、台東病院、吉原弁財天という感じで歩きました。」
「あら、そうなんですね。今日はその反対のコースです。」
「なるほど、よく分かりました。あっちの吉原のお店のある通りに行くと、交差点においらんの高下駄のタバコ屋があって、吉原大門、ガソリンスタンドのところが見返り柳でしょ。」
「そうです、そうです。」


吉原のタバコ屋


配布資料の散歩順路を確認すると、途中からは、私が以前参加した吉原ツアーとほぼ同じで、それを私たちのグループは現在、逆に回っているのだった。

(前回)見返り柳~吉原大門~タバコ屋~吉原神社~台東病院~吉原弁財天~
(今回)樋口一葉記念館~千束稲荷~大音寺~鷲神社~長国寺~台東病院~吉原神社~タバコ屋~吉原大門~見返り柳~樋口一葉記念館

なので、ここから先の話は、以前の吉原ツアーとほぼかぶるので省略する。
ただ、吉原のソープランド街が、前回は平日でシャッター街のようだったのに、この日は祝日のため、ほとんどが朝から営業中であった。

「ずいぶん、にぎやかですね。今日は祝日だから、朝からやってるんですね。」
「あら、いやだ、あそこに黒塗りのベンツがとまってるじゃない。やっぱり、お客さんは、あちらの世界の殿方ばかりなんでしょうか??」
「どうでしょう、今日は祝日で、いわゆる書き入れ時というやつでしょうから、一般客も結構来てるんじゃないですか。」
「か、書き入れ時、、、」

とはいっても、私たちは道を歩きながら、ソープランドに入店する男性客を実際に目撃することはなく、形ばかり栄えている吉原という気もしたが、ようやく最後の見返り柳の交差点に着いた。
そろそろ散歩会も終わりだが、1時間半近く歩き続け、足が疲れた。
ここで私たちは立ち止まり、ガイドの女性が最後の解説をした。


見返り柳


「みなさん、これが有名な見返り柳です。「たけくらべ」の有名な文章を読み上げます。「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(どぶ)に燈火(ともしび)うつる三階の騒ぎも手に取る如く~」。男性客が遊女に未練して思わず振り返る場所が見返り柳です。でも、本当のところ、よく見ないと柳だとは気付きませんけど。」
「そうそう、ここは石碑がないと分かりにくいですよ。」
「ええ、でも、へんねえ、、、今日の柳、ばかに元気がいいわ。柳に見えるもの。以前は枯れてて柳かどうかも分からなかったのだけれど。」
「確かに、私も去年はそんな記憶がある。」
「何が、あったのかしら、、、」

しかし、ここは大通りの交差点のガソリンスタンドの目の前で、車が頻繁に出入りして危ないので、私たちはすぐその場を離れた。
そして再び住宅街に入り、大黒屋寮跡の近くを通り、12時近くに一葉記念館に戻って解散となった。


一葉記念館


なお、大黒屋というのは、かつてここにあった遊郭である。
樋口一葉の「たけくらべ」は大黒屋の遊女を姉に持つ美少女美登利と、お寺の跡取り息子の信如少年の物語なのである。
ただ私は、読書の秋より食欲の秋なので、浅草の天ぷら屋のことかと思ってガイドの話を聞いていた。

「おねえさん、大黒屋といいますと、私は浅草の天ぷら屋ならよく知っております。あの遊郭は系列店ですか??」
「ぜんぜん違います。」
「あそこ、おいしいですよね~。路地で場所が分かりにくいけど。」
「でも、土手通りの伊勢屋さんもおいしいみたいよ。」
「ああ、あそこ、いつも行列ができてますよね。」
「ランチタイムはきっと安いのよ。」


一葉記念公園石碑


(本文)信如が何時も田町へ通う時、通らでも事は済めども言はば近道の土手手前に、かりそめの格子門、(中略)その一つ構へが大黒屋の寮なり。
(補足)龍華寺の信如は大黒屋の美登利を避けている。その美登利の家の前を通りかかったのは、なぜか。
(本文)信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そぞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。
(補足)下駄を直すためにと、美登利から投げかけられた紅入りの友仙の端切れ、それを無視する信如、美登利の単純な善意を受け入れられないのは、なぜか。
(散歩会配布資料より)

吉原の遊女を姉に持つ勝気でおきゃんな少女美登利は、豊富な小遣いで子供たちの女王様のような存在だった。対して龍華寺僧侶の息子信如は、俗物的な父を恥じる内向的な少年である。二人は同じ学校に通っているが、運動会の日、美登利が信如にハンカチを差し出したことで皆から囃し立てられる。信如は美登利に邪険な態度をとるようになり、美登利も信如を嫌うようになった。
吉原の子供たちは、鳶の頭の子長吉を中心とした横町組と、金貸しの子正太郎を中心とした表町組に分かれ対立していた。千束神社(千束稲荷神社)の夏祭りの日、美登利ら表町組は幻灯会のため「筆や」に集まる。だが正太郎が帰宅した隙に、横町組は横町に住みながら表町組に入っている三五郎を暴行する。美登利はこれに怒るが、長吉に罵倒され屈辱を受ける。
ある雨の日、用事に出た信如は美登利の家の前で突然下駄の鼻緒が切れて困っていた。美登利は鼻緒をすげる端切れを差し出そうと外に出るが、相手が信如とわかるととっさに身を隠す。信如も美登利に気づくが恥ずかしさから無視する。美登利は恥じらいながらも端切れを信如に向かって投げるが、信如は通りかかった長吉の下駄を借りて去ってしまう。
大鳥神社の三の酉の市の日、正太郎は髪を島田に結い美しく着飾った美登利に声をかける。しかし美登利は悲しげな様子で正太郎を拒絶、以後、他の子供とも遊ばなくなってしまう。ある朝、誰かが家の門に差し入れた水仙の造花を美登利はなぜか懐かしく思い、一輪ざしに飾る。それは信如が僧侶の学校に入った日のことだった。
(Wikipediaより)