2022/04/07

東劇メットライブビューイングオペラ、ヴェルディー「リゴレット(Rigoletto)」

きのうは気晴らしに銀座へ行き、東劇でMETライブビューイングオペラを見てきた。
ヴェルディーの「リゴレット(Rigoletto)」である。
これはヴェルディーの傑作でどうしても見たかったのだが、リゴレットといえば第3幕の「女は気まぐれ(La donna è mobile)」、同じヴェルディーの「椿姫(La Traviata)」の「乾杯(Libiamo, ne’ lieti calici)」と並んで、楽しい3拍子の有名曲である。
これは女たらしの王様「マントヴァ公爵」がソロで歌う、愛の囁きの歌なのであるが、、、




(歌詞)
La donna è mobile Qual piuma al vento,Muta d'accento - e di pensiero.
Sempre un amabile,Leggiadro viso,In pianto o in riso, - è menzognero.
È sempre misero Chi a lei s'affida,Chi le confida - mal cauto il core!
Pur mai non sentesi Felice appieno Chi su quel seno - non liba amore!
(和訳)
女は気まぐれ まるで羽根 風の中の 声色が変わる そして心も
いつも愛らしい 可憐なお顔 泣いたり笑ったり 嘘で出来てる
いつも哀れだ 女を信じたり 打ち明けたり 不注意不用心!
なのに気づかずに 幸せでいっぱい あのお乳から 愛は飲めない!

(マントヴァ公爵の主張の要旨)
女は嘘でできている、女の「愛している」はまったく信用できない、それなのに男は女に「愛している」といってしまう、おれ以外の男って本当にバカだよなあ、男は女に愛を誓ってはならない、女とは一度遊んだらおしまいでいい。

一国の王にあるまじき歌だが、言わんとすることも何となく分かるような気がする。
もっとも、ピアノ好きなら恐らく、フランツリストのピアノ曲「リゴレット」の方をよく知っているだろう。
こちらも第3幕のクライマックスのパラフレーズである。




歌舞伎座の横のギャラリームモン(MUMON)など銀座のギャラリーを何件か回り、2時過ぎに東劇に着いた。
チケットを購入し、スカスカの劇場内へ。
別に飲まないとやってられないわけではないが、売店でソフトドリンクを選ぼうとしたらミニボトルのワインが目に入り、思わずドイツワインを買った。
やや甘口のモーゼルなら飲みたい。
それに、ソフトドリンクが400円に値上がりしており、ペットボトルを持ち込めるのに買う気になれなかった。
座席の左側にワイン、右側にお茶を置き、オペラ鑑賞のスタート!!




主人公「リゴレット」は、女たらしのマントヴァ公爵に仕える醜い道化師である。
宮廷の連中を笑わせる仕事は、彼らから笑い者にされる仕事でもあるから、性格が鬱屈している。
しかし、リゴレットの家には、死んだ奥さんとの間のひとり娘ジルダがいる。
リゴレットにとってジルダは、唯一の肉親、人生の全てである。
だから用心して、教会の礼拝以外、ジルダの外出を許さない。
しかし、ジルダは自由に外出し、恋愛のひとつもしてみたいお年頃なのだ。
物語はその後、いろいろあって、リゴレットの仕えるマントヴァ公爵が、リゴレットの娘ジルダをもてあそんでしまうのだが、それを知ったリゴレットは激怒し、殺し屋スパラフチーレに公爵殺害を依頼する。
しかし、殺害現場に誘惑する役割を任されたスパラフチーレの妹マッダレーナもまた、公爵に寝取られてしまう。
公爵を本気で愛してしまい冷静な判断ができなくなっている2人は、リゴレットとスパラフチーレの殺害計画から公爵を守ろうとする。










結末は、ジルダが公爵の身代わりを望んで、スパラフチーレのもとに殺されに来る。
リゴレットは愛する娘が死に、しかも殺害の依頼者は自分という最悪の事態で絶望するが、その近くでは泥酔した公爵が「女は気まぐれ」を楽しそうに歌っている。
オペラで王様が殺されるという結末は、基本的には「ない」ので、これでいいのだが、このような皮肉な結末の意味するところはつまり、遊び人とは付き合うな、という教訓である。
遊び人の男(女)は何をやらかしても案外、上手な波乗りのように、マントヴァ公爵のように、破滅などせず生き延びるものなのだ。
むしろ彼(彼女)を真剣に愛してしまった真面目な女(男)は不器用で思い切れず、波にのまれて破滅してしまうことがある。
だから、お付き合いの相手が遊び人と判明したら、親の言う通り、直ちに別れた方がいいということ。
自らの悲劇や破滅を避けるためにも。

ジルダ役のローサフェオラ(Rosa Feola)は、若くてこれからのオペラ歌手である。
聞けばすぐ分かるが、その歌声はすでに世界屈指だと思う。
しかし、最も印象に残ったのは、リゴレット役のクインケルシー(Quinn Kelsey)の楽屋裏インタビューである。
彼は長い下積み時代を振り返り、インタビュアーのマイクに向かって、若い芸術家にとって最も重要なのは「忍耐」だ、と言った。

どのような職業の者でもそうだとは思う。
しかし、芸術家は特に、ということである。
芸術家はたとえ才能があっても忍耐の試される時代がある。
そのときの苦しみを経なければ一流にはなれない。

ああ、意外にも、気晴らしに見にいった「リゴレット」が、私に忍耐の重要性を教えてくれるとは。
そう、確かに忍耐は重要だ。
しかし、気晴らしをしないよりはした方がよく、気晴らしをしないで忍耐だけをするのは、閉塞するのでやめた方がよい。
ようするに、遊び人(マントヴァ公爵)もだめだが、遊ばない(ジルダ)のもだめということだ。
ただ、遊びはほどほどにしましょう。