この日の予定は、上野の美術館とABCクッキング。
午前中、上野の森美術館で水墨画の展示会を見た後、国立西洋美術館へ。
リニューアルオープンの国立西洋美術館は初めての訪問だったが、前庭に余計なものがなくなってすっきりしていた。
私は1時間ほどかけ、常設展の松方コレクションのほうを見た。
2階の展示室を入ってすぐのところに、懐かしい作品があった。
この作品は、ヴィルヘルムハンマースホイ(Vilhelm Hammershoi)の「イーダのいる部屋(Interior with Ida playing the piano)」ではないか。
以前は、常設展の後半、別の場所(1階)に飾ってあった。
その後、見かけなくなり、どこにあるか学芸員に聞いたら、展示替えでお蔵入りしました、と言われたものなのだが。
これこれ、ご機嫌な女の子の絵。
マリーガブリエルカペ(Marie-Gabrielle Capet)の自画像である。
私にとっては、通りがかりに眺めるいつもの女性であるが、自信に満ちあふれており、プライドも高そうだ。
いかにも花盛り、という感じである。
おや、今度は、うちのママ殿みたいなのがいる、、、
アンドレドラン(Andre Derain)の「マダムジャンルノワール(カトリーヌヘスリング)」である。
子供時代の私から見て、ママ殿って、若い頃はこんなふうだった。
何となく、日本橋あたりのデパートにいそうな既婚女性である。
もっとも、ママ殿も今はもう70代のおばあちゃん、絵のような強い妖気(?)は出ていない。
しかし、怒ると恐いので要注意(??)である。
そうそう、誤解する読者も多いと思うので、話のついでに書いておこう。
私の母親の呼称についてである。
私が普段、本当にママ殿と呼んでいるのかというと、そんなことはない。
私たちはごくごく普通の親子である。
それなのになぜママ殿と書くのかというと、その方が私たちの会話がユーモラスに展開できるからだ。
このエッセイのママ殿は、私の話を聞き、おもしろいことを言ったり、ツッコミを入れたり、なるほどと思うようなことを口にする、私の相方の役目なのだ。
しかし、私が「お母さん」「母上」などと呼ぶと会話がカタい、「ママ(ママ殿)」と呼ぶと何となくイイ感じになるということである。
ベルトモリゾ(Berthe Morisot)の「黒いドレスの女(Femme en noir)」。
noirとはフランス語で黒。
例えば、ワインのブドウ品種のPinot noir、赤ワインであり、黒葡萄のひとつである。
キャプションにはこう書いてある。
「モリゾと近代都市の女性像 《黒いドレスの女性(観劇の前)》をめぐって。私はもう働くことを目的に働きたくはないのです。 甘い考えかもしれませんが、私がマネに贈ったような絵ならきっと売れるでしょう。 今はそのことばかり望んでいます。ベルト・モリゾから姉エドマ宛ての書簡。1871年3月24日付。」
「印象派の主要画家、ベルト・モリゾ。マネの画中にしばしば現れる彼女の毅然とした眼差しを思い浮かべる人も少なくないでしょう。いまだ本格的な美術教育が女性に対して門戸を閉ざしていた時代にあって、モリゾは早くから姉のエドマとともに画家を目指して絵画の制作に励み、1864年、23歳の頃から1873年までに7回もサロンへの入選を果たします。」
「それでも彼女の画家としての知名度はずっと低いものでした。そうしたなか職業画家として身を立てるために彼女がとった「戦略」のひとつが、 同時代を生きる女性たちの姿を積極的に描くこと~それは自らもパリジェンヌであるモリゾにとって非常に身近なモティーフであるうえ、男性画家より社会的・法的制約の多い身であっても彼らに劣らず画題を開拓できる領域でもありました。」
「モリゾが第二回印象派展で「観劇」のテーマを導入したのも「戦略」のひとつかもしれません。前年1月に落成したパリのオペラ座(オペラ・ガルニエ) が、その壮麗な外観のみなら ず豪華絢爛なネオ・バロック様式の内装によって挿絵入りの新聞雑誌で大々的に報道され、そのころ衆目を集めていたからです。」
なるほど。
素通りせずキャプションをよく読むと、いろいろな発見があるものだ。
国立西洋美術館を出た後は、コレド日本橋のABCクッキングへ。
この日のメニューは手打ちパスタ。
担任のU先生が、パスタの打ち方をていねいに教えてくれた。
強力粉と、デュラムセモリナ粉、、、そこに卵と水を混ぜていく。
こね方はパンとかなり違う。
できあがったパスタは、山梨名物ほうとうのようであった。
エビとクリームの手打ちパスタの完成。