こないだ、飲み友達の外国人社長(Tさん)からメールがあった。
日本橋で外資の社長の集まるパーティーがある、もし興味があれば、あなたもどうですか??というようなことが英語で書いてあった。
それなら私も急遽、参加を決めた。
というのも、飲み友達のTさんとはしばらく会っても話してもいないからであった。
用事が済んだのは午後3時過ぎ。
開始時間まで、まだだいぶあるので、私は時間調整の場所を探した。
そうだなあ、、、
こないだ行ったばかりだが、とりあえず、浅草橋の東京タロット美術館で時間を潰すことにしよう。
私は、浅草橋駅前のセブンイレブンでほうじ茶を買い、東京タロット美術館のあるビルへ。
もうおなじみ、他人様のマンションの一室のような東京タロット美術館は、小さなエレベーターをおりた6階にある。
中に入ると客は誰もいなかった。
私は受付で入館料800円を支払い、館員の女性と少し話した。
カゴのなかに並べられたタロット、そこからカードを1枚引く、これもまた、おなじみの儀式である。
「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)
私たちは何かあった時、あれこれ理屈っぽく考えるより、直観を素直に信じるべきだ。
目に映る景色は、自分のみに与えられた、自分のみにしか解けないアレゴリー(allegory)である。
内なる自分と対話をして、「隠された意味」にフォーカス(focus)してみよう。
そうすれば私たちは素敵な発見をしたり、思いがけないフォーチュン(fortune)とめぐり逢えたりするかもしれない。
まず、前回(2021/11/01「The story of Tokyo Tarot Museum(3)愚者のタロット)の復習である。
前回は正位置の愚者を引いた。
そのとき書いたように、愚者は大アルカナの0番目のカードで、一般に特別なカードとみなされる。
正位置の愚者は、「自由で楽観的」「無邪気で純粋」「思うままにポジティヴに行動する」などの意味があるが、愚者ならば、あれこれ考えず前向きに、崖から飛び降りる勇気を持ちなさい、思い切って何かをしても大丈夫ですよ、ということだと私は思う。
そして私なりのタロットの解釈では、愚者は0番目のカードであり、他のカードの主人公が静止状態であるのに対して愚者のカードの主人公だけが移動中である、という点に着目すると、愚者は「スタートアップ」なのである!!
愚者⇒崖から飛び降りる(スタートアップ)⇒他の大アルカナのタロットに変化する(結果)
私は大アルカナについて、こういうイメージ(流れ)を持っている。
私は節制、節制、法王と引き、その後に愚者を引き当てた。
ということは、決断すべき時、行動すべき時が到来している、機は熟したということを示唆していると思うが、その結果、私は大アルカナの他のカードに導かれることとなるのだ。
恐らく、次にタロット美術館に来たときにそれが分かる!!
さあ、引くぞ!!
今回は何が出る!?
おお、正位置の女帝The Empressだ(*'ω'*)
女帝とは大アルカナ3番目のカードである。
女帝には「豊饒」「物質的幸福」「優雅な生活」「繁栄」などの意味がある。
私は覚悟を決めて引いたのだが、そのカードが女帝とは、何とも景気のいい話である!!
私が広いテーブル席に座ると間もなく、館員の女性が、お茶を運んできた。
館内の書棚のタロット本を物色して選んだのは、「悪魔の美術と物語 Devils in Art and Legend」、今回は時間の余裕があり、じっくり読めそうだ。
美術の世界には悪魔がしばしば登場するが、それは日本人の私にはどういうことなのか、よく分からないので、、、
悪魔の物語といえば、やはり「ファウスト」ではないか。
あるとき、誘惑の悪魔メフィストフェレスが、神(主)と賭けをする。
メフィストフェレスは、人間どもは堕落しているというが、神(主)は、ファウスト博士という男は勤勉な努力家であり、堕落していない、という。
それでは、神(主)がファウスト博士を正しい道に導く前に、メフィストフェレスが悪の道に引きずり込もうじゃないか。
神(主)は、それはできないだろうといった。
この本に、メフィストフェレスについての記述がある。
冷酷、狡猾、皮肉だが、どこか憎みきれない、つまり人間的なのだ、と書いてある。
どういうことだろう??
ファウスト博士の要求に応じ、振り回されるメフィストフェレスは、まるでファウスト博士を愛するパートナーのようである。
へえ、なるほど、、、そういうことなのか。
その後、私はさらに読み進めた。
ようやく最後まで読み切ったが、最後の方の記述が非常に印象に残った。
「悪魔と契約を交わした男というテーマをフロイトが分析している。「17世紀のある悪魔神経症」と題する。17世紀のバイエルンの画家クリストフハイツマンの症例である。画家の手稿とそれに付された絵が残っている(ただし忠実な写し)。自分の才能に絶望した画家は悪魔の誘惑に屈して魂も肉体も9年後には悪魔に譲り渡す契約書をしたためたが、最後に修道院で聖母マリアに祈ってその証文を取り戻すのである。奇妙なことには画家が9年間悪魔に隷属し、その後は魂も肉体も譲ることを契約しながら、ファウストの場合と違って悪魔は何の奉仕も義務も負っていないことである。これは一方的な契約なのである(現代でこれに匹敵するものは版元と著者が交わす出版契約ぐらいのものだろう)。事情が少しずつ見えてくる。当時画家は父親を失ったばかりで滅入っており、仕事の将来にも悲観していた。鬱状態の画家には快楽も富も権勢も必要ではなかったのだ。フロイトは悪魔に父親の代理を求めたと見る。父親は幼児期に画家が見た神の原像で、それは相反する二面性(愛情と憎悪、服従と敵意の対象)を持つ。そしてそのことは神と悪魔とは本来同一の存在で、それが相反する2つのイメージに分かれていったという諸宗教の初期の段階の神話とまさしく通ずるところがあるようだ」(出典・悪魔の美術と物語Devils in Art and Legend(美術出版社、利倉隆)P120)
う~ん、難しくてよく分からないなあ、、、
ところで、いまは男女平等の時代である。
そこで私は、今度は男女をひっくり返して読んでみた。
「悪魔と契約を交わした「女」というテーマをフロイトが分析している。「17世紀のある悪魔神経症」と題する。17世紀のバイエルンの「女性画家」の症例である。「女性画家」の手稿とそれに付された絵が残っている(ただし忠実な写し)。自分の才能に絶望した「女性画家」は悪魔の誘惑に屈して魂も肉体も9年後には悪魔に譲り渡す契約書をしたためたが、最後に修道院で聖母マリアに祈ってその証文を取り戻すのである。奇妙なことには「女性画家」が9年間悪魔に隷属し、その後は魂も肉体も譲ることを契約しながら、ファウストの場合と違って悪魔は何の奉仕も義務も負っていないことである。これは一方的な契約なのである(現代でこれに匹敵するものは版元と著者が交わす出版契約ぐらいのものだろう)。事情が少しずつ見えてくる。当時「女性画家」は父親を失ったばかりで滅入っており、仕事の将来にも悲観していた。鬱状態の「女性画家」には快楽も富も権勢も必要ではなかったのだ。フロイトは悪魔に父親の代理を求めたと見る。父親は幼児期に「女性画家」が見た神の原像で、それは相反する二面性(愛情と憎悪、服従と敵意の対象)を持つ。そしてそのことは神と悪魔とは本来同一の存在で、それが相反する2つのイメージに分かれていったという諸宗教の初期の段階の神話とまさしく通ずるところがあるようだ」
私は、何やらこちらのほうが、分かるような気がした。
おや、もうすぐ退出の時間だ。
読書をしていると、あっという間だ。
私は「悪魔の美術と物語」を書棚に戻し、コートを着ると、帰りがけに大アルカナの展示の前に立ち、改めて、女帝のタロットを眺めた。