ママ殿はわりと元気に過ごしている。
徐々に調子が改善している。
私のほうもママ殿と同じように調子が改善しており、自分自身、ホッとしている。
ここ3ヶ月、私はママ殿と一緒に調子が悪くなって、ママ殿と一緒に調子が良くなったのであるが、今後また同じことが繰り返されるとすれば困った話である。
親子でも他人でも、心身の状態がシンクロするのは双方向「愛」の証明なのであるが、親子だからしょうがないと思っているが、、、何とかならないものか。
さて、きのうの話である。
「ぼけますから、よろしくお願いします。」という数年前にヒットしたドキュメンタリー映画がある。
実は、4月のママ殿の体調不良には、認知症の初期症状を想起させるものが含まれていたのだ。
そのため、私たちはこの映画の内容が他人事とは思えず、家のテレビで見ることにした。
私がAmazonプライムビデオで検索すると、「ぼけ」の2文字ですぐに出てきた。
再生すると、ママ殿がこう言った。
「あら、、、この映画、以前見たことがある。すっかり忘れていた!!」
「( ゚д゚)ハッ! しっかりしてください。ぼけますからお願いしますなんて、、、私は、お願いされても困ります。」
「あら、気にしすぎよ。ずいぶん前にテレビの地上波で見ました。確か、奥さんが認知症で、旦那さんが介護をする話です。」
「おや、よく覚えてますね。」
「私は、ぼけませんから大丈夫。ぼける前に死ぬから。」
「えっ(*'ω'*) ぼける前に死ぬの??」
「そうよ。でも、あなた、いま、ありがたいな、という顔をしたわね。。。」
「いや、いまの私の顔は、、、そううまく死ねるのかな、と疑問に思った顔です。」
「んま~!!」
「実際、4月はひどかったが、5月の検査結果は何でもなかったんですから。」
「まあ、そうなのよね、、、スミマセン」
「そういえば、お腹すいたな~、、、」
「あら、もうお昼じゃない。買い物にいかなくては。」
「自転車で??」
「いえ、歩いていきます。新しいスニーカーを買ったの。」
「それじゃあ、私も散歩がてら、一緒にいきます。」
「そうね、荷物持ちがいると助かるわ。」
私たちは駅まで歩きながら話した。
確かにママ殿は、私と一緒にいると「生きがい」を感じるという。
しかし他方で、お互いに気を遣うし、心配もするし、それがここ3ヶ月の騒動では、悪い方に出たのだと思う。
私たちはそのことを問題視した。
それに、ぼけますから~お願いしますなんて、こちらがマイってしまうだけでなく、ママ殿もお願いしたくない、という。
そこで、思い切って別れる!!
そのほうがお互い気楽ではないか、という話が、どちらからともなく出た。
私は今回、ママ殿のことが気になり仕事が手につかなかったり、現実的なモンダイが見えてきて危機感があった。
「いいタイミングなので、物理的距離を置きましょう。私は都内に仕事場を作りたいんです。」
「あら、いいじゃない。夜は帰って来て晩ごはんを食べるの??」
「う~ん、どうかな。仕事の状況にもよります。移動時間と交通費の関係もあるので、場所にもよります。なるべく、帰って来るようにはしますが、、、」
「あら、忙しければ無理に帰って来なくてもいいのです。そうしてくれるほうが、母親としては、ある意味、ひと安心なのです。」
「そういうものですか。」
「そういうものです。私なんかほっといて、都内で一人暮らしをすればいいのよ。コロナも明けたのだし、夜は楽しめばいいわ。」
夕食後、ママ殿が珍しく長電話をしていた。
話し声を聞くと姪っ子のところへ行くようである。
そういえば私たちの体調が悪いので、しばらく会っていなかった。
電話を切るとママ殿はキッチンのカレンダーに予定を書き込んだ。
孫と一緒に過ごせば良い気分転換になる。
何といっても孫はママ殿の「生きがい」なのだ。
私は書斎に行き、資料探しを始めた。
目的の資料はすぐ見つかったが、同時に、古いメモ帳を見つけた。
こ、これは、、、書名は忘れたが、女優オードリーヘップバーン(Audrey Hepburn)の語録というのがあって、私は以前、メモ帳にそれを書き写したのだが、どこかにいってしまったと思っていた。
こんなところにあったとは。
ぱっと開いて読んでみると、とてもいいことが書いてあるので、手元に置き、気が向いた時に読むことにしよう。
今回の場合、メモ帳にはこう書いてある。
「最も大切なことは人生を楽しむことです。そして幸福であると感じること、それだけです。」
さて、新しい場所はどこがいいだろう。
少しずつ、物件探しを始めてみるか♪