先日、約半年ぶりに柳橋の東京タロット美術館に行った。
去年の今頃はここで節制のタロットを連続で引き、いまは我慢の時であると悟った。
節制とは大アルカナ14番目のカードである。
「予定通り」「うまくいっている」「調和」などの解釈がなされる。
結果はどうだったか??
おおむね、節制のとおりだった。
では、今回引いたタロットは何??
8、9月ともに、私は魔術師のタロットを引いた。
魔術師のタロットの解釈について、美術館のキャプションにはこう書かれている。
何かが始まる。
独創性。
挑戦する自信がある。
自分ひとりの力。
私は別に、魔術師を引いたからその気になって何か行動を開始するということはないが、確かにいま何らかの行動を促されていることについてはタイムリーであると思う。
「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)
別の日、私は三越前の福徳神社に立ち寄った。
いつものように、おみくじを引いたのだが、それをしばらく財布のポケットに入れっぱなしにして忘れていた。
開けていなかったので開けてみると、大吉だった。
願望 かなう、ただし油断禁物
仕事 いずれ日の目を見る
勝負 勝ちます、手加減した方が良い
恋愛 願うまま
転居 急げ
実は、これって見覚えのある内容で、3月に引いたのと同じ内容なのだ。
3月当時は気付かなかったが、よく考えると、恋愛願うままというのは大当たりではないのか。
普通に考えて、両想いでなければ、恋愛願うままにはならないからだ。
つまり、これは両想いの恋みくじなのである。
もっとも現実にはいろいろな障害があり、所詮はおみくじの結果なので、そのようにはならないのかもしれないが・・・第一に、そのようになるためには転居がイイようだ。
第二に、仕事いずれ日の目を見る、とある。
とすると、この仕事がうまくいくのかな!?とも思えるのだが、かなり手こずっているので、それは安易すぎる気がする。
ただ、仕事の成否にかかわらず、未来を悲観しなくていい、ということを示唆していると思われる!?
第三に、勝負は勝てる、手加減した方が良い、という。
そもそも勝負とは??
手加減しても勝てる相手、、、どんなお方と、どんな勝負をするのだろう。
最後に。
以前書いたように、書斎で資料探しをしたときに見つけた古いメモ帳に、女優オードリーヘップバーン(Audrey Hepburn)の言葉が書いてある。
この語録は、私が昔、何かの本から書き写したものだ。
今回開いたページには、たまたま、こんな言葉が書いてあった。
「私たちは全てを失った。家も持ち物もお金も。しかし少しも悲しくなかった。家族全員無事であることが最もありがたかった。」
「どんな日も、その日をとことん楽しむこと。ありのままの一日。ありのままの人々。未来を心配してばかりいても仕方がない。」
しかし、実はこれを読んだ私は、直観的に、マーガレットミッチェルの「風と共に去りぬ」のスカーレットオハラのセリフのように感じた。
私は、1936年の映画「風と共に去りぬ」の南北戦争に敗北して、彼女が丘の上で立ち尽くすシーンを思い出した。
このとき、国債が紙くずになったため、彼女は資産の全てを失ったのであるが、現在の世界と日本の状況を考えると他人事とは思えない!
今はまだ局地戦で落ち着いているものの、ウクライナから他所に飛び火し、戦争が拡大することは大いにあり得る。
もっとも、映画のスカーレット役はオードリーヘップバーンではなく、ヴィヴィアンリーである。
ヴィヴィアンリーは伝説の超美人ハリウッド女優で、オフィーリア、ジュリエット、クレオパトラなども演じている(ちなみに、サロメはリタヘイワース)。
私はテネシーウィリアムズ原作の名画「欲望という名の電車」に出てくる病的な彼女が圧倒的に色っぽくて美しかった、ということを覚えている。
実はこのときの彼女は双極性障害という病気に悩まされていたという。
ほかに慢性の結核の発作もあったという。
しかし、彼女は超美人で周囲の男性たちにとてもよくしてもらえたようなのだ。
50代半ばまで生き延びたのであるが、だとすると、超美人は50代半ばまでは美しいのかな、とも思った。
「ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)は、イギリスの女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。『欲望という名の電車』は、1949年にロンドンのウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いてリーがブランチ・デュボワを演じた作品でもある。また、1963年のブロードウェイ・シアターで上演されたミュージカル『トヴァリッチ』 (Tovarich) で、トニー賞のミュージカル主演女優賞を受賞している。2度の結婚歴と離婚歴がある。元夫の一人にローレンス・オリヴィエがいる[2]。」
「リーは演劇学校を最初の結婚によって辞めた後の1934年〜35年に4本の映画に出演し、その後舞台『美德の仮面』で映画プロデューサーのアレクサンダー・コルダに認められ、1937年の映画『無敵艦隊』に出演した[3]。この作品でリーの美貌が評判となったが、リー自身は容姿ばかりが注目されることが必ずしも女優としての成功につながるとは限らないことを危惧していた。映画女優として有名となったとはいえ、リーは活動の主軸を舞台においており、30年にわたる舞台女優としての活動で幅広い役柄を演じた。ノエル・カワードやジョージ・バーナード・ショウらの戯曲をはじめ、演目もコメディから古典劇、たとえばウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ハムレット』におけるオフィーリア、『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラ、『ロミオとジュリエット』のジュリエット、『マクベス』のマクベス夫人や、ジャン・アヌイがソフォクレスの「アンティゴネ」を翻案したアンチゴーヌなどを演じた経験がある。」
「リーは、当時の一般大衆からはイギリスの名優ローレンス・オリヴィエの2度目の妻としての印象を強くもたれていた。リーとオリヴィエは多くの舞台作品で共演し、映画作品でも3度共演している。リーとオリヴィエの結婚生活は1940年から1960年まで続いたが、リーは徐々に双極性障害に悩まされるようになっていった[4]。女優業を続けるのは難しいのではないかといわれ、女優としての仕事量の減少を経験した時期もあった。また、1940年代半ばごろからは慢性の結核の発作に見まわれるようになり、最終的にはこの慢性結核がリーの死因となった。1999年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では女優部門の16位にリーが選ばれている。」
(Wikipedia「ヴィヴィアンリー」より)