2023/10/25

雅叙園の忘れ物

東劇でMETのオペラを2本見てきたのは、9月のことだ。
そのうちの1本は、定番中の定番、プッチーニの「トゥーランドット(Turandot)」である。

プリンセス・トゥーランドットは中国の紫禁城で父親とともに暮らす絶世の美女で、常に他国の貴族や王子などから言い寄られている。
ただ、強烈な男嫌いで、全ての男たちを拒絶している。

トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!

拒絶にも限度があると思うが、残忍で冷酷な中国のプリンセスということで、業界有名人(?)となっている。

彼女は求婚者に3つの謎かけをする。
全問正解なら結婚すると約束をするが、難問なのでどうせ解けないのだ。
これまで挑戦者の男たちは全員処刑され、城下町の道ばたにその生首が吊るされている。
今回は、戦争に敗れ放浪中のカラフ王子がトゥーランドットにひとめぼれをし、3つの謎かけに挑む。

そんなストーリーである。

(2023/10/18「トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!」より)




というわけで、プッチーニのオペラ「トゥーランドット」を見た私は、この世には、求婚されるとその男を殺してしまうコワーイ女がいる、ということを知った。
そして後日、雅叙園に日本ソムリエ協会のブラインドテイスティングコンテストの決勝戦を見に行った。
今回は、その後日談である。

実は、このとき私は、雅叙園に忘れ物をしてしまったのだ。
ベルスタッフに連絡をし、忘れ物を取りにいくと伝えたが、なかなか行けずにいた。
しかし、ようやく、10月19日、富田菜摘さんの展示会を見た帰り道、目黒に寄り道をして取りに行ったのだった。






エントランスで忘れ物を受け取り、ホテルを出た私は、雅叙園の敷地内の古井戸の前で立ち止まった。
番町皿屋敷みたいなシチュエーションで、以前から気になっていたが、案内板には「お七の井戸」と書いてあった。

「八百屋の娘お七は、恋こがれた寺小姓吉三あいたさに自宅に放火し、鈴ヶ森で火刑にされた。吉三はお七の火刑後僧侶となり、名を西運と改め、明王院に入り~」(雅叙園案内板より抜粋)




これは、、、女性は好きな男性に会いたくても自分から会いに来ない、連絡もしてこない、という話が、こじれたのである。
今なら、携帯電話、メール、SNSほか、様々な手段で連絡が容易だが、昔はそうではなかったから、女性はじっと待つだけで、さぞかし恋愛ストレスがたまっただろう。
しかし、現代でも、男性から女性に声をかけにくい場合もあると思うので、そういう場合には、女性が大胆な行動に出て、男性を捕まえる必要があるのかもしれない。




雅叙園を出て脇道の急坂を上った。
途中に、大圓寺というお寺がある。
ここも、普段、人が出入りしているのをよく見かける。
境内に入ってみると本堂の左手に、拝むと悩みがなくなる「とろけ地蔵」というのがあった。
どうやら、ここが、参拝スポットのようである。

私も賽銭を投げ入れて、拝んでみた。

その後、境内の反対側に行くと、掲示板にこんな言葉があった。




おお、これは、、、トゥーランドットの物語を理解するのに、うってつけではないか!

ほとんどの物事は一過性であるが、愛とは消えないもの、永遠のものの典型である。
そうであれば、彼に対して愛情を抱いたプリンセス・トゥーランドットが、同時に恐怖を感じたのは自然なことだ。
彼の愛情が強ければ強いほど、より恐怖を強く感じただろう。
その恐怖を振り払うため、彼女は、より思い切った拒絶の行動をとる必要があったのだ。

世の中に男女の恋愛をめぐる殺傷事件は五万とある。
この世には、求婚されるとその男を殺してしまうコワーイ女がいるということも、決してドラマの見過ぎではなく、私たちの周辺に本当にある話なのかもしれない。
しかし、トゥーランドットの物語がそうであったように、激しい感情を抱く女性なら、それを良い方向に爆発させることで、劇的なハッピーエンドに転ぶ可能性が高い。
それこそ「最後に愛は勝つ」ということになるのではないだろうか。


2023/10/20

富田菜摘さんの「廃材アート」にひと目惚れ

10月の最終週は、ひとり旅の計画を立てていた。
しかし、風邪っぽいので、念のため、取りやめることにした。
発熱はないのだが。
ただ、私の周囲では、旅先でコロナに感染した、というケースが非常に多い。
無理をして旅行することもないと判断した。
チョット慎重すぎるだろうか。




この日は、昼時に東京駅に到着した。
みどりの窓口を探し、切符の払戻しを済ませた。
その後、駅構内を歩き、「蕎麦29東京」という肉そば専門店を見つけた。

肉そばか・・・おいしいのかな?(*'ω'*)

コロナ禍に、蕎麦やラーメンに唐揚げを乗せるのが流行った。
肉そばも流行りそうな気がする。
いや、すでに流行っているのか。
ただ、この日の私は風邪っぽくて食欲がなく、肉そばを食べる気分ではなかった。

そういえば、肉というと、会員制焼肉レストラン「29ON」の社長Yさんをチョット知っているのだが、もしかすると蕎麦29東京は、Yさんのグループ企業なのだろうか??
ネットで調べると、違っていた。
こちらはJR東日本傘下のフード事業のひとつであった。
また、JR東日本のホームページには、JRの駅ナカでよく見かける「いろり庵きらく」も、JR東日本のフード事業と書いてあった。

なるほど、蕎麦屋は堅実で儲かるんだ!
JR東日本は、その場所を賃貸に供せず、自前で蕎麦屋にするくらいなんだから。

その後は、東京~銀座~新宿と移動。
新宿高島屋のタイムズスクエアへ。

今回は、富田菜摘さんの展示会である。
以前から、富田さんの作品を見てみたいと思っていた。
新宿高島屋は行きつけないので、場所がよく分からない。
NEWOMANが目印になるのは覚えていたが、方向音痴の私はウロウロ、、、NEWOMANを探すまで新宿駅の周囲をほぼ一周してしまった。






新宿高島屋の入口で案内板を見ると美術画廊は10階にある。
エスカレーターに乗って10階へ。

私は、ついに富田さんの作品を見れる、ということで、とてもワクワクしてギャラリーに入った。
しかも、入口の男性スタッフと話すと、本日は富田さん、いらっしゃいますよ、というので、驚いた。
呼んでくれるというので、作品を見ながら待つことに。

富田さんのアートは、ひと言でいうと、「廃材アート」である。
どれもクール、キュートで、じっと眺めてしまう。
特に、目が何ともいえないのだ。
私は、富田さんの「廃材アート」にひと目惚れしてしまった。

なんて、カワいい恐竜サンたち・・・(*'ω'*)iii








しばらくすると、ひとりの女性が私のそばに付くようになった。

「あのう、高島屋の人ですよね?」
「いえ、作家です、、、」
「ええ!? 富田さんご本人?」
「はい」
「これは、失礼しました」

チョット高島屋の人っぽい雰囲気だったのだ。。。

富田さんと話しながら、10~15分ほど作品を見て回った。
以下、私の手帳の富田菜摘さんとの美術談義より抜粋。

「廃材はどのように入手されているのですか?」
「主にファンが供給してくれます。今日も廃材が届きました!」

ムムム(*'ω'*)
富田さんは原材料費がほぼゼロということ??
ファンがくれた廃材を使ってインスピレーションで作るのだろう。

「針金を使って、くっつけているのはなぜ??」
「自分自身に溶接技術がないということもありますが、溶接すると廃材が変色したり傷付いたりするので、よくありません」
「なるほど」
「大きなものは組み立ててギャラリーに搬入するのではなく、ばらしたまま搬入してギャラリーで組み立てることができます」
「それは針金だと可能ですよね」
「そうですね」

「廃材で基本的には、何を作るの??」
「必ず生き物を作ります」

「ところで、富田さんは個展をあまりやってないでしょ~?」
「えっ?」
「3月にリンネバーの小島社長から富田さんのことを教えてもらって、なかなか見る機会がなくて・・・すっかり諦めていたんです」
「いえ、私、結構、あちこちでやってますよ」
「本当に?? 関西拠点じゃないの??」
「いえ、違います。こないだも関東で展示会をやりました、、、むしろ、関東メインです。もしよかったら、インスタを見てください」
「あ、インスタですか。なるほど」








「ところで、私の記憶違いかもしれませんが、富田さんは、銀座の資生堂で2019年とか2018年とかに、展示をされてなかったですか??」
「あ、やってました♪」
「やっぱり、あの作品は富田さんでしたか」
「よく覚えていらっしゃいますね。資生堂ビルのショーウィンドウの展示です」
「そうそう。とてもインパクトがあって、いまも記憶に残っています」

ただ、当時の記憶はあるが、写真フォルダを調べても、その写真は見つからなかった。

最後に。
富田菜摘さんと記念写真を撮らせていただいた(かなり緊張した!)。
展示会にいってもなかなか出会わない作家もいるが、富田さんのように初回でいきなり出会う作家もいる。

この日は、本当にラッキーだった!


2023/10/18

トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!

東劇でMETのオペラを2本見てきたのは、9月のことだ。
そのうちの1本は、定番中の定番、プッチーニの「トゥーランドット(Turandot)」である。

プリンセス・トゥーランドットは中国の紫禁城で父親とともに暮らす絶世の美女で、常に他国の貴族や王子などから言い寄られている。
ただ、強烈な男嫌いで、全ての男たちを拒絶している。

トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!

拒絶にも限度があると思うが、残忍で冷酷な中国のプリンセスということで、業界有名人(?)となっている。

彼女は求婚者に3つの謎かけをする。
全問正解なら結婚すると約束をするが、難問なのでどうせ解けないのだ。
これまで挑戦者の男たちは全員処刑され、城下町の道ばたにその生首が吊るされている。
今回は、戦争に敗れ放浪中のカラフ王子がトゥーランドットにひとめぼれをし、3つの謎かけに挑む。

そんなストーリーである。




トゥーランドットはプッチーニの遺作で、「誰も寝てはならぬ」が有名だ。
このアリアは第3幕でカラフが歌うものだ。

誰も寝てはならぬ。
誰も寝てはならぬ。
お姫様、あなたも同じ。
冷たい寝室で(ひとり孤独に)、眺めているのか、(夜空の)この星々を。
(彼女は)愛と希望に打ち震えている。

しかし私の秘密は胸の内に閉ざされたままです。
誰も私の名前を知ることはできません。
しかし、私はあなたの唇に誓います。

太陽の光が輝くとき、私の口づけがあなたを溶かすでしょう。
あなたの沈黙を破るでしょう。
そしてあなたは私のものになるでしょう。

確かこんな歌詞であった。

その後、ストーリーは下記のように展開する。
トゥーランドットの3つの謎かけをカラフが見事正解し、結婚が事実上決まったにもかかわらず、プリンセスはなお結婚をしぶる。
誰もカラフの名前を知らないからである。
愛する者の名前を呼べなくてはプリンセスは永遠の愛を誓えないし祝福もできない。
さて、どうするか。

するとここでカラフは、もし夜明けまで自分の名前が判明しなければ結婚、判明すれば自分は死ぬと誓うのである。
いきなりそう言われてもプリンセスの方もかえって困ってしまうが、ほとんどヤケクソで(と思われる)、彼女は国民に向け、彼の名前が判明するまでは誰も寝てはならぬ、と命ずるのである。
そして、もし判明せずに夜が明けたら国民を皆殺しにするという無茶苦茶な命令を出す。

唯一彼の名前を知っていそうなのは、カラフの家臣の娘リューである。
彼女はカラフに片想いをしているが、プリンセスに拷問されても黙秘を貫き、彼の幸福のために死を選ぶ。
これで脈がなくなり、プリンセスの負けとなる。




彼女が求婚者を殺すのは、誰からも支配されたくないからである。
私は男には絶対に服従しないという。
が、そのような感情は、先祖のロウ姫が男に弄ばれた悲劇、つまり彼女の過去のいまわしい記憶から来るもので、彼女は激しい恋をするたび、そのいまわしい記憶にさいなまれて拒絶していた。
こんなかんじでトウーランドット姫の心情や動機の説明がなされるが、プリンセスの今回の拒絶は本心からではなかったと思われる。
第1幕ではトゥーランドットはじっと黙ったままだったが、それはかえって彼女の好意を示唆しているようにも思える。

彼女は実は愛に飢えており、彼の愛に応えたかった。
が、愛に対して臆病すぎるため、いつものように拒絶してしまった。
男女の出会いは不思議なもので、出会ったときに本能的に運命の出会いと感じることがあっても、それはそれで恐いのである。
彼女の彼に対する強い憎しみは強い愛の裏返しである。




東劇の帰り道、私は歩行者天国を歩き、コンビニと喫茶店を探して西銀座のほうまで歩いた。
古びた商業ビルのあるガード下の交差点で、出勤途中のクラブのママを数人見かけた。
女は真実の愛に賭け(男がそれに)敗れたとき、クラブのママになるのではないか、私はふと、そんなことを思った。
偽りの愛の相手と結婚し一生を共にするよりは・・・誰とも結婚しないほうがいいということだ。
でも、ちょっとこれは、彼女たちを美化しすぎだろうか。

まあ、それはさておき、後日。
私は日本ソムリエ協会のブラインドテイスティングコンテストの決勝戦を見に行った。

場所は目黒の雅叙園東京。
会場に到着したのは12時30分。
決勝戦は14時過ぎからだったが、13時から一部の観客向けに、ブラインドテイスティングの「プレ」イベントがあった。

私はそれにも参加したが、ぜんぜん当たらなかった!
WSET3保有者であるにもかかわらず、情けない、、、








テイスティングしたワインは3種類。
1問目は正解だったが、2、3問目は不正解だった。

答えを聞くと、難問ではなかったが、問題を3問全て正解するのは難しいものなのだ。
もし私がトゥーランドット姫の美貌にひかれて求婚し、3つの謎かけを出されたら??
アッサリ処刑されて終わったかも。。。

自分の専門分野でもそうだが、試験問題を作るより、試験問題を解く方が大変である。
知識を駆使すればどのような問題でも作れる。
ただ、解くためにはリアルタイムで受験生として練習や訓練をしていないとダメなのだ。
その点、ブラインドテイスティングコンテストの出場者たちは、常に練習や訓練をしているから、見事に当てられるのであろう。






テイスティングコンテストが終わったのは4時過ぎ。
雅叙園の帰り、カフェでコーヒーを飲みながら手帳を開いた。
このとき、私は1週間前に見たトゥーランドットのことを思い出した。
幕間でナビゲーターの女性が、歌手のクリスティンガーキー(トゥーランドット役)にインタビューするくだりがあるが、このくだりについて、手帳にメモが残されていた。

「あなたはご自分の役をどう解釈していますか?」
「一般的にトゥーランドット姫は冷酷で残忍な女とみなされています。しかし、人は誰しも仮面をかぶって生きているのです。本当の彼女はそのどちらでもないわ」
「では、どうしてあんなひどいことをしたのかしら?」
「彼女がカラフの愛を断固拒絶したのは、彼女がとても心優しくて臆病な性格だからよ」
「どういうこと?」
「彼女は怯えつつも大きな幸せを求め日々情熱的に生きている女性なの。それをカラフが鋭く察知し、強引に結婚を迫ったのよ」
「なるほど。ところで、この2人、将来、幸せになれるでしょうか?」
「そうねえ、未来のことは分かりませんが、、、」彼女はユーモアたっぷりに客席の私たちを指差して、最後にこう言った。「私は、彼らが幸せになれると信じます!」

2023/10/14

好きな人と気になる人のちがいは?(2)

編集者が私の原稿を整理し、デザイナーに入稿すると、本の体裁を得て私のところに戻ってくる。
出版界ではこれをゲラというそうだ。
そういえば、以前投資分析の論文を書いたときも、本のデザインの入った原稿が送られてきて、東洋経済の編集者からゲラを校正してくださいと言われた。
私は著者の立場で、最初のゲラ(初校ゲラ)をチェックする。
このチェックを校閲というが、著者の修正指示は重要で、原則全て反映されるという。

お気楽な私は、執筆というのは原稿を出せば、ハイ、それまでよ、なのかと思っていた。
しかしそうではないのだ。
ゲラが来てからが第2ラウンドなのである。
自分の書いたものを自分で校閲し(著者校閲という)、間違いを見つけ出し、修正をかけたり、足りない事項を加筆しないといけないのだ。
だから時間をかけ、校閲をする必要があるのだが、自宅で座ってだとなかなか集中もできない。
そこで外にゲラを持ち出し、時間のあるとき、電車内や喫茶店などで見て、コツコツ赤ペンで直している。
ただ、私の場合、実際、最もはかどるのはデパートの中の喫茶店で、私は柏高島屋のくまざわ書店に併設されたカフェドクリエにいることが多い。
(2023/09/30「オードリーヘップバーン語録(6)私たちにはもとより愛の力が備わっているのです」)


(柏高島屋カフェドクリエ)


(柏高島屋カフェドクリエ)


(柏高島屋カフェドクリエ)


初校ゲラを全て編集者に戻すと、編集者は私の校閲を反映させた修正版を作り、それをデザイナーに再入稿し、デザイナーが再修正したものが編集者を通じ、私のところに戻ってくる。
これが再校ゲラである。
私が再校ゲラを校閲すると内容は確定する。

私は先週から再校ゲラを見ていたが、ようやく全校閲が終わり、編集者に戻した。
私は、いわゆる「修羅場」(少女漫画家の大島弓子的な言い回し!?)からほぼ解放された。
あとは本が出るのを待つばかりである。

ただ、解放とは名ばかりで、本音をいうとまったく気楽ではない。
私は、本番前に舞台袖で待つ演奏家や俳優のような緊張感で、本が出るのをじっと待っているのである。
今さらジタバタしてもしょうがないので、「果報は寝て待て」というのだろう。
もう書いて出してしまったのだから、なるようにしかならないのだし、受験生が、提出した答案のことを考えたってしょうがないのと同じだ。




(パレット柏の掲示板より)


さて、本のことはほっといて、今回も、ゲラチェックのとき立ち寄ったパレット柏の掲示板の話をしようと思う。
掲示板に書かれている好きと気になるの違いについて、前回とは違った観点から分析をしてみたいと思う。

まず、好きになったら相手のことを知りたくなるのが自然である。
好きなら知りたくなる。
知りたいということは、気になるということだ。
相手の虜になっている。
強い好意がすでにある。
よって、両者の関係は、強い好きが気になる、ということで、掲示板の図の通りだと思う。

そういえば、かつてこのブログに出てきた「黒色すみれ」の歌に、そのような歌詞をアーティストのヒグチユウコが付けているのを思い出した(2019/07/23「黒色すみれと見切り席の追っかけ男」)。

黒色すみれ×ヒグチユウコ「すきになったら」


先ほどの案内板の図によれば、好きは気になるの周辺部にあるわけだが、何となく、好きというのは健全で、淡い感情のように思える。
典型例は、ビーチやスキー場などで出会った人との恋である。

それは強く芽生えて、季節が代わるとともに自然消滅する。
もしかなったとしても、相手とはすぐ終わってしまう。
好きならその感情は抱いた時がピークで、以後、親密になると様々な幻滅があるから、結果、長続きしないのである。
つまり、好きというのは気軽で若々しい感情なのである。
だから、抱くのもカンタン、消えるのもカンタン。

これに対して、気になるは、何となく不健全で、濃い感情のように思える。
中心部の気になるは周囲の好きと比べると、人間の情の深さ(感情の濃密度)が違う。
典型例は、ドラマによくある禁断の愛や不倫である。

それは強く芽生るが、自身によって直ちに抑圧されている。
そして、我慢を伴いつつ時間をかけて次第に醸成される好意のように思える。
例えば、禁断の愛や不倫であったりすると、好きになってはいけないから、気になる、ということなのではないか。
あるいは、付き合うには2人の間に障害があり、好きではなく気になるということにしておくのではないか。
つまり、自分はそれを好意とは認めたくない、あるいは無意識的潜在的な好意で自覚がないだけなのかもしれないが、、、結論としては、気になるには、チョット危険な要素がありそうな気がする。

ところで、親は子供のことが必要以上に気になるものだ。
だとすれば、気になるというのは、親子間の愛情のような深いものの前身ともいえそうである。
もしかすると、親が子に対して抱くような、相手を管理したい、支配下におきたい、独占したい、育てたい、といった欲望も含んでいるのかもしれない。
また、自分の頭のなかでは非常に親密な関係を想像できて、距離感が近いということがいえそうである。
にもかかわらず、実際は親子のように一緒にいられないのであれば本人にとってストレスだ。

気になるの正体は、気軽な恋愛感情ではなく、恋愛ストレス!!

そのため、欲求不満が爆発し、そこから自分を見失うほどの狂気の恋愛に発展し得るのが、気になるの方である。
だから、まあ、その男性(女性)のことが気になっても、気にしないよう努めるのがいいと思う。
気になって、どうしようもないときは、外を出歩いてみるといいと思う。
運命の糸で繋がれているなら、引き寄せる力が働き、バッタリ出くわすかもしれない!?

2023/10/12

「私、NISA、やってます!」

こないだは、久しぶりに講演をしてきたが、依頼者はリピーターであった。
私の尊敬する終活講座のY先生は、ほとんどがリピーターからだといっていたし、ワイン講座のT先生も同じく、受講生のほとんどはリピーターなのである。
やはり、講師業でもリピーターの獲得が重要なのだ。

依頼者は、茨城県内の障がい者支援施設。
去年の会場は、つくば市内の施設内の会議室であった。
そのときは30名ほどの人が聴きに来ていた。




今年の会場は、つくば市内のショッピングモールの会議室。
私は場所が分からず、インフォメーションセンターの前で電話した。
すると、担当職員が迎えにきて、彼に案内されて行った会場には50名ほど来ていて、ほぼ全席埋まっていた。

これって、、、リピーター効果そのもの??(*'ω'*)

この日の講演テーマは、法律ではなくマネーであった。
障がい者向けのマネーリテラシー講座である。

去年のネットリテラシー講座は簡単な内容にした。
これに対し、今回は、チョット難度を高めに設定してみた。
「お金は大事です」「無駄遣いしないように」、それは誰だって分かっている。
そういうマネー講座は、退屈に感じるのではないか、と思ったのだ。

もっとも、様々な障害を抱えている方がいるため、レベル設定はビミョウなモンダイであった。
そもそも、超簡単な内容にするのが一番無難である。
とはいえ、私は今回、あえてその選択をしなかったわけだが、それは、少し難しめの方がおもしろかった、という反応も実際にあるからである。
結局は、その場の雰囲気や反応などを見て、話す内容を柔軟にコントロールするのがいいと思う。
そういうわけで、今回の障がい者向けのマネーリテラシー講座は、お金の基本的な話から始まり、、、お金は人生の目標を達成するための手段である~経済的自由とは?~金融資産の分類~リスク資産~株式投資~インフレと現金の関係~自己投資の重要性~人生の目標を決める、などなどを喋った。

すると、最後の質疑応答で、障がい者の方から次のような発言が出た。

まず、男性が挙手し、「私、NISA、やってます!」と発言した。
彼の様子からすると、きっと積立てがうまくいっているのではないか。
私は、株主優待で何かおいしいものでも食べているのですか??とは聞かなかった。

次に、女性が「今後、インフレで現金が目減りするのであれば、現金のままではだめですよね」と質問した。
この質問、私には、女性が投資をする時代の兆候としか思えなかったが、私の回答は全員に向けられるものなので、投資をするべきかどうかについては明言を避けた。

他には、男性から「ドコモのdポイントは、お金なのか、そうではないのか」というユニークな質問が出た。
こ、これは、、、私が講義のなかで、それとなく、現金と預金と国債がほぼ同じもの(同等物)である、という説明をしたからだと思われる。
なかなか手ごわい質問だ!

最後は職員からクレジットカードのリスクについて質問があった。
カードはリスクもあるが便利な代物である。
キャッシュレス時代にあって、カードもまた、リスクがあっても避けるべきものではなく、うまく活用するべきものだろう。
是非はともかく、今後ますます、インターネットとスマホを駆使しないと生きてはいけない。

以上が、今回の私の障がい者向けのマネーリテラシー講座の話である。

さて、名講師というと、私以外に、あと2人いる。
次は、その2人の名講師の話をしようと思う。
その2人とはもちろん、私の尊敬する終活講座のY先生とワイン講座のT先生である。


Yさんへのお礼のガラス工芸品


上記は、Y先生に送ったお礼の品物だが(坂東市さざ波硝子店)、Y先生については、これまで私のブログをお読みの方はご存知と思う。
コロナ禍の2020年8月に初登場したファイナンシャルプランナー1級の先生である。
最初、Yさんって、どうってことない先生と思っていたのだが、だんだん、そうではないことが分かってきた。
ある時、仕事で話したおじいさんが、昔のYさんと偶然面識があって、彼女の印象を聞くと、「とにかく、Yさんはすごい人です!」と言っていた。
70歳近くのおじいさんが、年下の女性を「すごい人」と形容するとは、、、彼女は本当にすごい人なのだ。
ただ、具体的にどうすごいのかは??だが。。。


WSETワイン講座


次に、ワイン講座のT先生。
T先生も、Yさんとよく似たタイプの控えめで上品な名講師・・・これまで私のブログをお読みの方はご存知と思うが、コロナ前の2019年に登場したWSETディプロマの先生である。
以下、過去記事の引用である。

ああ、そういえば、私はこのブログでT先生のことをほとんど書いたことがなかったなあ。
では今回少し書いておこう。
まず、ワインの先生というと、気取っている、お高くとまっている、難しい話をする、というイメージで見られがちである。
実際、ワイン友達の話を聞くと、なかにはそういう先生もいるようである。
しかし、T先生は気さくな庶民派である。
また、私が知っているワインの先生の中で、最も「楽しい授業」をする先生なのである。
先生の授業を受けていると、いつも私は楽しくてしょうがない。
やはり、ワイン講座は楽しくなくては!!と私は思うので、先生が担当するWSET3の講座を選んだのだった。
しかし、まあ、かなりの美人でもあるので、先生を独占したい常連の男性ファンたちのため、先生の話はこれくらいにしておこう。
(2019/09/07「わたしのワインの先生(1)」)

私の本が無事に出たら、Y先生とT先生にも、渡しに行かなくては!!(*'ω'*)

2023/10/04

「添好運」が私に教えてくれたこと

10月になった。
街を歩くとハロウィンの影が見えてきて、今年もあっという間だったな、と思う。
何があっという間だったかはともかく、その次は恋人たちのクリスマスが控えており、こちらを考えると気分は深刻である。
そうやって今年も、忙しくしているうちに年末が来て、大晦日が終わるのだろう。

先日は日比谷駅でおりて、ミッドタウン日比谷でランチをしようと思った。
が、正面玄関横のレクサスカフェがリニューアルオープンのため休業中であった。
そういえば、エキュート上野も、一部店舗がリニューアルオープンの準備中で、駅構内が閑散としていたのを思い出した。






それにしても、ミッドタウンなのに、やけに人が少ない。
何で??
10月最初の月曜日だから??
不思議な日もあるものだなあ、と思ったが、今はちょうど、季節の変わり目、節目なのである。

私はミッドタウンの正面玄関を出た。
そして、すぐ近くの香港料理店「添好運(Timhowan)」へ向かった。
実は、「添好運」は、現在、私の気になるレストランのひとつである。
私が気になる理由は、リーズナブルであるがミシュラン店であることと、大学の後輩で香港出身の方が、おすすめしていた店だからである。
私は入口で、男性店員に声をかけた。

「あのう、ここって、いつも行列ができてたと思うんですけど・・・今日はこちら、入ってもいいんでしょうか?」
「入れますよ。中へどうぞ^^」

というわけで、私は意外にも、並ばずに、直ちに入店できた。




メニュー表にラーメンがないので、、、どんぶり物を注文した。
先ほどの男性店員が運んできたのは、何とも斬新などんぶり物であった。

このどんぶりは・・・私がABCクッキングで卵や小麦粉をかきまわす入れ物(ボウル)にソックリ(*'ω'*)!!

食べてみると、、、甘い味付けで、食べやすい。
分かった。
これは香港の屋台料理だ!!
香港に屋台があるかどうかは知らないが、たぶん、あるだろう。
アジア諸国の屋台の料理、あるいは、日本のたこ焼き、お好み焼き、焼きそば、そんなメニューをイメージするといいだろう。

後輩の言う通り、気軽に食べられるし、なかなかおいしかった。
が、私の当初の期待や想像とは大きく違っていたため、その点で、私は十分な満足感を得られたわけではなかった。




店を出て振り返った。

それにしても、この日の「添好運」は拍子抜けであった。
これまではランチタイムを問わず、店先に長い行列ができていて、いつも満席で、私はこの店を通りすがりに眺めるだけだった。
しかし、この日ばかりは不思議なことに、都内はどこも人がまばらであったから、やはりこの店にも行列がなく、店員に聞いてみたら、あっさり入れたのである。

なるほど、「添好運」は私に、いいことを教えてくれた。
私は、ふと、こう思った。

いつも男たちから愛の告白をされている彼女も、「添好運」と同じようなものではないかと。
つまり、これまでは彼女をものにしたい男たちの行列のようなものが常にできていて、私は彼女を眺める程度であった。
が、ある時期、どういうわけか、寄り付く男がいなくなる。
「添好運」と同じで、まあ、そういうこともある。
すると彼女は、突然来客の途絶えたお店の経営者のような気分になって、不安や焦りを覚え、自分から周囲を気にしはじめる。
たまたまそのとき、通りすがりに勇気を出し、私だけが彼女に問い合わせてみる。

「あのう、あなたって、いつも行列ができてたと思うんですけど・・・週末のご予定は、いかがでしょうか?」
「週末は大丈夫ですよ^^」

と、彼女はあっさり、ランチもデートもOKする。
案外、恋愛の勝敗なんて、そんなふうに簡単なタイミングで決まるのではないだろうか。

2023/10/01

好きな人と気になる人のちがいは?(1)

編集者が私の原稿を整理し、デザイナーに入稿すると、本の体裁を得て私のところに戻ってくる。
出版界ではこれをゲラというそうだ。
そういえば、以前投資分析の論文を書いたときも、本のデザインの入った原稿が送られてきて、東洋経済の編集者からゲラを校正してくださいと言われた。
私は著者の立場で、最初のゲラ(初校ゲラ)をチェックする。
このチェックを校閲というが、著者の修正指示は重要で、原則全て反映されるという。

お気楽な私は、執筆というのは原稿を出せば、ハイ、それまでよ、なのかと思っていた。
しかしそうではないのだ。
ゲラが来てからが第2ラウンドなのである。
自分の書いたものを自分で校閲し(著者校閲という)、間違いを見つけ出し、修正をかけたり、足りない事項を加筆しないといけないのだ。
だから時間をかけ、校閲をする必要があるのだが、自宅で座ってだとなかなか集中もできない。
そこで外にゲラを持ち出し、時間のあるとき、電車内や喫茶店などで見て、コツコツ赤ペンで直している。
ただ、私の場合、実際、最もはかどるのはデパートの中の喫茶店で、私は柏高島屋のくまざわ書店に併設されたカフェドクリエにいることが多い。


(柏高島屋椿屋珈琲)


(柏高島屋カフェリビエラ)


(柏高島屋スターバックス)



(柏高島屋カフェドクリエ)


さて。
先日ランチを食べた後、ふと立ち寄った公民館(パレット柏)で、掲示板を見ていた。
そのとき、自習スペースで勉強する学生たちの書いた距離感に関する書き込みが目にとまった。

距離感、、、私の現在の注目テーマのひとつである。
私は掲示板を見ながら、いろいろ考えた。
まず、距離感を私なりに定義すると、こうなった。






距離感とは、彼(彼女)と私は親しくなれそうかなれなそうか、という直観的な感覚のことである。
距離感が近いなら・・・同性なら親友になり、異性なら恋人どうしになる可能性があるだろう。
それは親しさの本質というか、親しい関係に存在するフシギな感覚が、距離感が近いということだと思われる。
親近感があるとか、同類であるとか、感性が同じとか、共通の趣味があるとか、これらを含め、直観的に合うということだから、気楽な関係になれるだろう。
しかし逆に距離感が遠いなら、住む世界が違う、人種が違う、育ちが違うというか、どこまでいっても交わることのない人間関係が想定される。

その後、自分にとって距離感がキーワードとなる周囲の人を考えた。

1人目は距離感が遠すぎの外交官X氏。
フランス料理店では、フランス人の店員に突然フランス語で気さくに話しかける、とてつもないインテリで、さしあたって欠点の見当たらない人である。
私は彼を本当にすごい人だと思ったが、友達になりたいかというと、そうは思わなかった。

2人目は弁護士のT先生。
金融や会計、投資にも詳しく、頭脳明晰、人格者などなど・・・言うことなしの大先生。
T先生と私は気さくに自然体で話せるが、それは私たちの間の距離感の近さが決め手と思われる。
ここで、距離感についてのもうひとつのポイントを言うとすれば、自分と似ているものを持つかどうか、である。
なりたい自分を持っていること、なりたくない自分を持っていないこと、良い意味で部分的に同質で、認めあえることが重要だと思う。

3人目はスタートアップ業界でフリーライターをしている元新聞記者のF氏。
コロナの渦中に知り合い、これまで何度か食事をしたり、メールで近況を話したりする間柄であるが、彼とは細く長く、関係が続いている。
彼は食事のときもメールでも、いつも私に向かって何かを愚痴っているように思える。
話すとどことなく、マイナス思考を感じるのだが、そんな彼がスタートアップ業界というイケイケな若者の集まるところに関わろうとするのは、私には分かる!!のである。

4人目以降は何人かの女性について考えた。
が、これについては、書くのをやめておく。

最近何となく思うのだ。
相手が男でも女でも、ビジネスでもプライベートでも、「最初」のうちは距離感が近すぎない方がいい、ということを。
最初からご縁があるとか、運命の出会いではないかとか、そういうことが強く感じられる場合もあるだろう。
しかし、その場合、かえって本能的に相手を振り払ってしまうことがあるのである。
それは相手の都合による一方的な関係作り(圧力)だからである。
また、自分はまだ心の準備もできていないから戸惑いがあるからである。

では、自分が本能的に振り払った結果、どうなるか?
実はその男性(女性)に対して特別な感情がある、あるいは必要なビジネスパートナーであるから、今度は自分の方から近付きたいんだけど・・・それが難しくなってしまう。
お互いにへんに意識をしていて、それが、かえって難しくなってしまうのである。

ということで、、、相手のことが気になるのは、なぜなのか??
答えは恐らく、そのような状態がいまも続いているからではないだろうか。