2024/02/19

彼女の本性は「ワルい女」である







最近、某女子大で集まりがあって、歌人Sさん(女性)と知り合った。
最初見たときは、ファッションの世界に身を置くデザイナーではないか?と思うほどオシャレで、パーティーのとき、思い切って話しかけてみた。
「デザイナーさんですか?」と私が聞くと、「ワタシ、歌人ですよ^^」との答えだった。

まさか、文学の世界の風流な女性とは思わなかった。
ふつうに短歌を詠んだりするというので、興味を持たずにはいられない。
その言葉遣いの上品さと教養の深さは、こちらにとって未知の世界である。
彼女が専門の短歌というと、こちらは学校の国語の授業で習った程度だが、和歌などを詠むときには季節の変化をとらえ、うまく言葉にするということが重要だと記憶する。
ということで、以下、私もチョット季節感のある書き出しにトライしてみたい。






先日ふらりと行った湯島天神は雪のあとでした。
予報では、もうすぐ真冬の寒さも遠のくようですが、境内では、早咲きの梅と受験生の絵馬と出会いました。
2月下旬には、暖かな風にのってスギ花粉が運ばれてきます。
ここ数日、家に帰ると目がかゆくなったりするので、来週は鼻水も出はじめ、体調が停滞すると思います。
そうしたら花粉症もいよいよで、仕方がなく近所の医者にいくでしょう。
またしばらく、マスクの日々です。

まあ、これは風流というわけではないが季節感はあるだろう。

続いて本題。

私は、本を出したので、次は新しいことを始めようと思っている。
その前に、ひと息つきたいのだ。

何度かブログにこう書いてきた。
しかし、本を出して3ヶ月がたち、ひと息もつけたことだし、そろそろ何をするのかということについて述べておこうかと思うのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■新規事業??
アーティストのためのコンサル??
適宜スポットでのサポート、あるいは継続的なサポート??
ただ、やり方がよく分からないので、実験台を探しています。。。
そこのアナタ(・・;)!!!
お問い合わせはメールで受付中、お気軽にどうぞ!⇒inquiry@efandc.com
氏名、連絡先、自己紹介、ホームページ等は、お書き添え願います。
また、アーティストご本人のみ、お問い合わせ可能です。
今後は、会社ウェブサイトにて告知等を行う予定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

これに関連して、以下は2018年12月、有楽町のカドカワシネマで見た映画「ヴィヴィアンウエストウッド最強のエレガンス」の写真である。










当時、この映画は、私にとって重要な意味があった。
書斎にしまってある2018年の手帳を開いて読んでみると、この映画について簡単なメモがしてある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一般に、自伝というのはどのような偉人のものもつまらない話になりがちだ。
説教や自慢話にあふれているとまでは言わないが、往々にして美化されすぎている。
その意味で、フィクション、エンタテインメントの要素が大いにあるだろう。
しかし、この映画はそうではなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヴィヴィアンウエストウッドというこの悪趣味なブランド、、、私は自分が着るために買いたいとは思わない。
しかし、売れるか売れないかという商売上の問いに対しては、売れるだろう!と当時答えただろうし、いまも同じように答えるだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
彼女の本性は「ワルい女」である。
そこに彼女の魅力がある。
女性にありがちな、人から良く思われたいという気持ちがない。
好きなように生きて、気が済んで、いま自伝を作ったのだ。
彼女はもうすぐ寿命で死ぬんじゃないか。
(なお、2022年12月29日死去)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ヴィヴィアンウェストウッドは実力があるがゆえに、常に社会の不自由を感じていた。
したがって、反権力、人権派となった。
しかし、そもそも当時の保守的なイギリスで反権力であること自体が自分にデメリットしかもたらさない選択であったと思う。
その点、彼女は損な人生の選択をしているように見えるが、最終的には、イギリスの爵位「Dame」を獲得した(日本でいうと勲一等?)。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
社会に迎合して生きる、男に迎合して生きるのがアイドルや芸能人であるとすると、彼女の生き方はその正反対で、エレガント!だ。
現代社会では、アイドルも芸能人も、ある意味、自分の人格的な部分やプライバシーも含め、全てを消費者に売るという生き方を余儀なくされるのだが、だからこそ、彼(彼女)の商品価値があるといえるわけだ。
しかし、彼女はアイドル級の美人であったにもかかわらず、実に、美しく、正しく、誇り高く生きたように見える。
彼女の人生に「品位」というものがあるのもそのためだろう。
そのような生き方で有名となり、名誉も財も得たのは、彼女の才能と努力のたまものであると思う。
彼女こそ、正真正銘の女性アーティスト!である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2024/02/14

人生100年時代の終活フェア




私の終活本が出たのは、2023年11月10日。
もう、3ヶ月たつ。
きのうは柏駅近くの丸井MODIのジュンク堂書店に行った。
すると、人生100年時代の終活フェアというのがやってて、私の本がいいところに並んでいた。
私の本、結構、売れてんの⁉️🤔

2024/02/13

あんみつ先生の役に立たない人生相談!?



※以下は、フィクションです!

◆あんみつ先生の役に立たない人生相談のご案内◆
・要予約
・申込方法は、inquiry@efandc.comに申込のメールを送付してください
・お名前とメールアドレスと希望日時をご明記のうえ、簡単に自己紹介と相談内容をお書きください
・オンライン
・申込後、日時を決定します。なお、希望日時に添えない場合は調整をします
・10分以上の遅刻はキャンセル扱いとなります
・キャンセル料はありませんが、事前連絡はしてください
・法令違反のおそれのある相談は不可です(弁護士法、税理士法、金融商品取引法など)
・秘密厳守いたします


佐藤愛子「こんなふうに死にたい」


私の書斎の本棚には御年100才の大作家佐藤愛子先生の本が何冊も並んでいる。
ある夜、私は酔っ払って、ふらっと書斎へ行き、「こんなふうに死にたい」を手に取って読み始めた。
酔いがさめ、縁起の悪いタイトルの本を読んでいることに気付いた。
私はすぐ、本を閉じ、お腹が空いたのでキッチンへ行った。
ミルクたっぷりのホットココアを飲み、眠くなってベッドに入った。

ぐっすり眠ると翌朝は、小鳥の鳴き声で目が覚めた。
とても良い気分で寝室のカーテンをあけたが、いつもと同じ朝だった。
その後、私はひとりで、紅茶とヨーグルトを食べた。
同居人のママ殿は泊まりで出かけており、私ひとりなのだ。
食後、私は書斎へ行き、朝のメールチェックをした。
それからまた、本棚の佐藤愛子先生の他の本を手に取り、読んだ。
今度は「上機嫌の本」である。


佐藤愛子「人間の煩悩」「上機嫌の本」


佐藤愛子「役に立たない人生相談」「何でこうなるの我が老後」


そして、「人間の煩悩」「役に立たない人生相談」「何でこうなるの我が老後」、なかでも、「役に立たない人生相談」という本が気になった。

ふむふむ(*'ω'*)
人生相談は相談相手の役に立たなくてもいいのだな。

しかし、100才の大作家によると、何でこうなるの!!と言いたくなるくらい想定外の老後が私たちを待ち受けているというのだ。

いや、老後だけではないはず。

私たちは誰だって、日々、人生、何でこうなるの!!という思いでドタバタ生きているのではないだろうか。
などと思ったが、それなのになぜこの大作家は上機嫌でいられるのか、フシギなことである。
例えばこんなふうに死にたい、と思うことがあっても、実際には仕事が忙しかったりするし、人間には煩悩があるから、ココアを飲んでぐっすり寝ると朝が来て良い気分なのだ。

まあ、それはともかく、、、大作家佐藤愛子先生のいうように、人生相談は必ずしも役に立たなくてもいいのではないか。
ふと、私はそんなことを思ったのだ。

ビジネスの世界では、ペイン(課題)というものがあり、何らかの意味でのソリューション(解決法)を提供しなくては話にならない。
しかし、人生相談は、役に立たないなら役に立たないなりに、独自の価値を提供することができるのではないか、とも思う。

ということで、本日より、あんみつ先生の人生相談を始めます。
が、看板はあえて、「役に立たない」人生相談とします。
自分の専門には、こだわりません。
結論にも、こだわらないことにします。

私は、2階のサンルームへ。
窓際の明るいところに座り、佐藤愛子先生の「役に立たない人生相談」を読み始めた。

おもしろいのですぐ読み終わった。

それでは、いよいよ、今日からあんみつ先生の「役に立たない人生相談」を始めます。
どのようなものかお教えしましょう。
相談を受けるのはもちろん、役に立たない先生のあんみつ先生です。

例えば相談者が株式投資信託で損をした年金生活のおじいちゃんの場合、あんみつ先生に向かって、「私の老後、何でこうなるの!?(# ゚Д゚)キー」と聞いてもよし。

ええと、そう聞かれたら私はどう答えようかしら♪

「そうですね、あなた、どんなふうに死にたいの?」
「!!!」
「老後を考えるなら、まず、そこから考えましょうよ」
「・・・というと??」
「ファイナンシャルプランナーに資産設計をしてもらうと、案外、投資信託の損はどうってことない場合が多いんです」
「そうなの??」
「はい。だから、積み立てた投信を、損のまま、ほったらかしておけばよかったんです。ほったらかし投資というでしょう」
「ほったらかし、、、」
「老後のことも投信のことも、あなた、人生の覚悟が足りませんね。それなら今後は、投資をしないほうが人生気楽でよいのではないですか」
「そ、そうですね。どうもありがとうございました、、、」

おっと、、、おじいちゃんには、もっと優しい言葉をかけてあげるべきだったか。
でも済んだことを、私はマッタク気にしません(*'ω'*)
続きましてドタバタと、、、ガッツリ化粧をしたおばあさまが相談に来た。

「ねえ、聞いてよ!!」
「聞いてますって」
「毎日、頭に来ることばかりなのよ!!(# ゚Д゚)キー」
「どうしてです?」(化粧のノリが悪いから?)
「あたしは、毎日家でグウタラしている定年退職後の夫のことで悩んでいるのです」
「夫のことですか、、、愛しているんですか?」
「い、いや別に。。。」

ふむ、このような場合、何と言えば気が済むのだろうか。。。

「そうですね、奥さん、家の中に夫がのさばっているうちが花なんですよ」
「どういうこと?」
「私は投資講座のほかに、終活講座の先生もしています」
「終活って、遺言とか成年後見とか?」
「そうです、よくご存知で。私は一応、金融経済法律の先生ということになってるんです」
「あら、ただの人生相談員なのかと思ったら、あなた、なかなかやるわね!」
「いえ、それほどでもありませんよ。さて、あなたが頭に来るということは、夫は理解できる言葉で喋っています」
「というと?」
「夫は、まだ認知症にはなっていません。あなたも夫も、元気ということです。介護不要のそこそこハッピーなセカンドライフというべきではないでしょうか」
「そ、そう言われるとそうね、、、向かいの奥さんは毎日、夫の介護をして疲れて自分も寝ているもの。どうも、ありがとうございました。」

これは、なかなかいい答えだ。

今の時代は、ネットで検索すれば何でも分かる。
だから、こうすべき、ああすべきなどと、ロボットのように正解を答える指導員みたいな先生は人数も用も足りている。
どうすればいいか分かっちゃいるけどそれができないのが人間なのだ。
だから人生相談をしたいのだと私は思うのである。

2024/02/11

愛するあなたへ全財産を与える遺言書の書き方!?

チョット嫌な予感がする。
私の書いた本は、終活の本である。
終活とは、端的にいうと、「死ぬ」準備=「墓」に入る準備をすることである。

年末年始、私は、風邪でダウンして、寝込んでいた。
最初にママ殿が風邪を引き、それが私にも感染したのだ。
正月明け、私はママ殿を総合病院に連れていったが、ママ殿は、風邪をこじらせて肺炎になっていた。

1月、薬物治療で症状は改善。
ママ殿は自宅療養をした。
2月の再診では、医師から、もう完治しています、心配ない、といわれた。
しかし、家に帰ると、ママ殿は胸のあたりに手を当て、まだ違和感が残っている、いやな予感がする、などというのだった。

「ママ殿は、そんなに、いやな予感がするんですか、、、」(*'ω'*)
「アナタ、覚悟しておいていたほうがいいわヨ!」ママ殿は、やけに深刻な雰囲気で、「私は・・・今度風邪を引いたら、今度こそ肺炎で死ぬわヨ」
「ハハハ、まさか~。脅かさないでくださいよ。今の時代、気を付けていれば、そう簡単に肺炎で死にゃしませんよ。今回は年末年始で不運でしたよね」
「そうね、、、つい我慢して、後手後手に回ってしまったわ」
「ところで、ママ殿・・・いい機会なので、本格的に終活をしてみるのはどうですか?」
「終活・・・」
「遺言とエンディングノートを書いておき、いつ死んでもいいように準備しておきましょう」
「そ、そうね、、、去年、息子が書いた終活本が、早速、母親の役に立つとは、何とも皮肉な展開だけど」
「まさにこれは実用書なのですから」
「でも、この本、意外と難しいのよ」
「まあ、書かれていることは法律の知識ですからね。しかし、息子の書いた本なら、多少難しくても何とか読めるんじゃないですか」
「そうなのよ。フシギと・・・」
「ああ、そうだ」私は思い出した。「書斎の本棚に、佐藤愛子先生の遺言というエッセイもあります。読み疲れたら気分転換で、そちらも読んでみるといいですよ」
「へえ、、、アナタの本より面白そうだから、すぐ持ってきて」

我が家の書斎の本棚に、佐藤愛子先生の「私の遺言」という本があるのだ。
私はその本を手に取ってきて、ママ殿に渡した。
ママ殿は家事をしなきゃ、と言っているが、もうしばらく、読書でもして静かに過ごす方がよさそうである。




その後、私は、自分自身の終活のことも考えた。
今のうち、自分も終活しておいたほうがいいのではないか!?と思った。
医師は、風邪をこじらせて肺炎で死ぬ人も多いといっていたし、これからの時代、新種のウィルスに感染して、突然、死んでしまうこともありそうだ。
そこで私が考えたのは、愛する人に全財産を与える遺言書を、したためるということであった。

私の終活本の中では、典型的な核家族(父、母、子供2人)で事例を書いた。
そのため、愛する人に全財産を与える極端な遺言の書き方を、書いていなかった。
ちょうどいいので、このブログにでも、書き方を残しておこうか。

遺言には大きく分けて3つの方式がある。
・自筆証書遺言
・公正証書遺言
・秘密証書遺言

このうち、1人で手軽に書けるのが自筆証書遺言である。
自筆というだけあって、パソコンで作るのはだめ。
最近の改正で財産目録をパソコンで作ってもよいことになったが、遺言のメインの部分はなお、自筆に限られる。

とはいうものの、自筆証書遺言は書き方の簡単な決まり事があるだけで、それさえ守ればわりと柔軟な記述が可能である。
余事記載として、子供へのメッセージなどの記述もできる。
遺言に書けば効力が発生する遺言事項と比較し、これを「付言事項」などというが、自筆は手軽に書けるからミスがあると無効になってしまうということもあり、その点、注意が必要である。

それでは、愛する人に全財産を与える遺言の書き方を、自筆証書遺言の方式で実際書いてみよう。

まず、相続人の誰かに全財産を与えたいなら、全財産をその者に相続させると書けばいい。
例えば既婚者の私が奥さんに全財産を相続させたいなら、そのことをただ書けばいいので、話は簡単である。
ただ、遺留分(最低限もらえる遺産の取り分)がある相続人がいる場合、全財産を与えるならその者の遺留分を侵害することになるので、あとで遺留分を請求されて相続人たちの間でもめることが想定される。
この権利は、遺留分侵害額請求権といわれる。

次に、相続人以外の誰かに全財産を与えたい場合、どうすればいいのか。
この場合、全財産をその者に遺贈させることになる。
遺贈とは、遺言書により贈与をすることである。
通常であれば遺贈の相手は相続人以外の誰かで、例えば内縁の妻、連れ子などが考えられる。

例えば独身の私が大好きなAさんに全財産を遺贈する場合を考えてみる。
この場合も、私に相続人がいるとしてその遺留分が問題となるが、そもそも兄弟姉妹には遺留分がないため、全財産を遺贈する遺言があれば何ももらえない。
これに対して、子供、配偶者、親などには遺留分があり、Aさんが遺贈を断った場合には、法律の相続のルール(法定相続)に従って、彼らに遺産が渡ることになる。
しかし、一般に、Aさんに全てをあげたい人は、相続人にはなるべくあげたくない、と考えている可能性が高い。
そこで、遺言に但書(要するに、第2希望のようなもの)を付けておくことが考えられる。
例えば、「私は全財産をAさんに遺贈する。但し、Aさんが受け取らない場合は社会福祉施設B法人に遺贈する」といったように遺言書を書いておくのである。

なお、遺言書は、日付(年月日)、氏名、ハンコを忘れずに。
ハンコは、実印がよい。
紙は、100均に売っている普通の便せんで十分だ。
筆記用具は、油性ペン、万年筆など、消されないものがよいだろう。

書いた遺言書を、どこに保管するのかも問題である。
最近、法務局に自筆証書遺言を預けられる便利で簡単な新サービスができた。
今のところ保管料は1通3900円である。
相続開始後の家庭裁判所で遺言の検認手続が不要となるのも利点であり(法務局における遺言書の保管等に関する法律11条)、少なくとも自宅の金庫などにしまうよりは、良いと思う。


法務局遺言書保管手数料一覧
(法務局資料より)