2024/06/24

蝶々夫人(1)離れ離れになって3年だが、心変わりは一切ない

東劇でMETのオペラを2本見てきたのは、9月のことだ。
そのうちの1本は、定番中の定番、プッチーニの「トゥーランドット(Turandot)」である。

プリンセス・トゥーランドットは中国の紫禁城で父親とともに暮らす絶世の美女で、常に他国の貴族や王子などから言い寄られている。
ただ、強烈な男嫌いで、全ての男たちを拒絶している。

トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!

拒絶にも限度があると思うが、残忍で冷酷な中国のプリンセスということで、業界有名人(?)となっている。

彼女は求婚者に3つの謎かけをする。
全問正解なら結婚すると約束をするが、難問なのでどうせ解けないのだ。
これまで挑戦者の男たちは全員処刑され、城下町の道ばたにその生首が吊るされている。
今回は、戦争に敗れ放浪中のカラフ王子がトゥーランドットにひとめぼれをし、3つの謎かけに挑む。

そんなストーリーである。

以上は、2023/10/18「トゥーランドットは求婚されるとその男を殺してしまう!」より。




先日。
私は銀座の東劇で、METライブビューイングオペラ「蝶々夫人(Madama Butterfly)」を見てきた。
こちらもプッチーニオペラの代表作である。

蝶々夫人は、カルメンと同じくらい、単純な話である。

第1幕。
舞台は明治維新後の長崎。
ゲイシャの名前は蝶々といって、15才の美少女だが、実は、ハラキリをして名誉の死を遂げたサムライを父に持つ、武家の令嬢である。
父の死で家が没落し、名誉を捨て、売春宿で体を売って生きている。

ある日、長崎に赴任してきた米国海軍士官ピンカートンが、美しすぎる蝶々に一目惚れをする。
彼は、(日本人には莫大な金だが)わずか100円で身請けをし、形ばかりの盛大な結婚式を挙げる。
そして、(米国の特権で)99年契約で借り上げた高台の豪邸に彼女を囲った。

これが悲劇のはじまり。






第2幕。
蝶々は、高台の豪邸に住み、ピンカートンの妻となっている。
しかし、これは形だけの結婚契約である。
当時長崎ではこのような結婚契約が、普通にあったという。

「当時の長崎では、洋妾(ラシャメン)として、日本に駐在する外国人の軍人や商人と婚姻し、現地妻となった女性が多く存在していた。また19世紀初めに出島に駐在したドイツ人医師のフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトにも、日本人妻がいた。下級の軍人が揚屋などの売春宿などに通って欲望を発散する一方、金銭的に余裕がある高級将校などは居宅に女性と暮らしていた。この際の婚姻届は、鎖国から開国にいたる混乱期の日本で、長崎居留の外国人と日本人女性との同居による問題発生を管理したい長崎奉行が公認しており、飽くまでも一時的なものだった。相手の女性も農家から長崎の外国人居留地に出稼ぎに来ていた娘であり、生活のために洋妾になったのである。互いに割り切った関係であり、この物語のように外国人男性との関係が真実の恋愛であった例は稀である」




ピンカートンは、蝶々に情熱的にアタックし、プロポーズをし、永遠の愛を誓い、結婚式まで挙げた。
しかし、祖国アメリカにはフィアンセがいて、帰国後は彼女と結婚し、蝶々のことは忘れている。

かたや、蝶々は、彼を終生の夫と信じ込んでいる。
自身の家と宗教を捨て、キリスト教に改宗したため、親族からは絶縁されている。
貯金はあと僅かとなり、下女のスズキは狼狽している。
だが、彼女は売春の道に戻るつもりはなく、ただ、家にじっとして、彼の帰りを待っている。

ここで、蝶々夫人は、有名なアリア「ある晴れた日に」を歌う。
離れ離れになって3年だが、心変わりは一切ない。




ある日、領事のシャープレスが訪ねて来る。
ピンカートンが祖国で結婚したことを彼は知っているが、蝶々を目の前にすると、良心の呵責から真実を切り出せない。
2人の結婚を取り持った公証人のゴローも、蝶々夫人の世話をする下女のスズキも、ピンカートンの愛を信じる蝶々夫人にかける言葉がない。
その後、ヤマドリ公爵というバツイチの富豪が現れ、蝶々夫人にプロポーズを繰り返すが、蝶々夫人は断固拒絶する。

実は、蝶々夫人は、ピンカートンそっくりの息子を育てているのだが、その後、妻と一緒に帰国したピンカートンにその息子を取り上げられてしまう。
母としての生きがいをも奪われた彼女は、かつての父と同じく、自ら名誉の死を選ぶ。

これが悲劇の結末。




オペラが終わったのは夕方5時。
外はまだ明るい。
劇場の前の赤信号の交差点で立ち止まり、どこかに寄り道しよう、と思った。

私は、東劇~銀座三越の交差点~松屋方面~京橋と歩いた。
いくつかのギャラリーを巡ったが、ポーラミュージアム銀座では、オペラに関する写真展「OPERA DE PARIS」をしていて、タイムリーで非常に良かった。






ポーラのビルを出た後、私は、京橋駅の向かいのブリリアアートギャラリーに入った。
黒田征太郎さんの個展「悲の器、水と光」が開催されており、初日で画家本人が在廊していた。

おや、部屋の奥で、壁に向かって、ライブペインティングをしている人がいる。
あの人が、黒田さんなのだろうか?




黒田さんの足元はおぼつかず、絵筆を持つ手が震えている。
壁画に描かれた太い線は、グダグダになっている。
キャプションを見ると、米軍のB29による空襲の体験談が書かれていたので、黒田さんは戦前の生まれで、80才以上だ。

そういえば、壁に絵を描くのは、体力がいる、しんどい、ということを、3年ほど前に日本橋のアートホテルで大きな壁画を描いた女性画家と話したときに聞いたことがある。
しかし、黒田さんの展示作品を見ていくと、どの作品も描きっぷりが似ていて、どうもこれは彼の作品のスタイルのようである。




以下は、帰宅後に手帳のメモに書いた蝶々夫人の雑感である。

蝶々夫人をトゥーランドットと比べると、なかなか面白い。
トゥーランドットは賢明で疑り深かった。
あらゆる事情を洞察し、意中の相手でも、殺して追い払ってしまった。
しかし、女王の権力や圧力に屈さず、殺されなかった男なら、女王の戦略的パートナーとしてふさわしいので、結婚をOKするということであった。

これに対し、蝶々は正直で純粋すぎた。
直ちに意中の男を受け入れた。
その後は、意中の相手を、ただ信じて待った。

ある時、自分の人生に劇的変化をもたらすような意中の相手が出現することがある。
このとき、早い者勝ちが理屈で、すぐにOKしたくなる。
だが、賢明な女性は、我慢する、いったん遠ざける、返事を保留する。
素晴らしい恋愛には、障害が必要で、意中の相手なら即答することで障害がないので、返事を保留して障害を作り出すということだ。
保留後のやりとりや、障害を乗り越えるプロセスで、相手の愛や真剣さを見極めることができる。

もっとも、蝶々の場合、彼女の置かれた当時の状況を考えると、女王のようにふるまうのは無理な話だ。
しかし、もし彼女が他の名誉ある仕事をしていたらどうか、あるいは、自分のやりたいことを仕事にしていれば?
彼女は、我慢する、いったん遠ざける、返事を保留するというのは、わりと簡単なことであったと思う。