2024/07/21

湯島天神の男坂、女坂

「墓石が焼けるように熱いから、墓参りはイヤよ!」とママ殿は私に言った。
「そうですよね~(*'ω'*) 私ひとりで行ってきます」
「この暑さで、すぐ腐るから、お供え物は、いらないわ」
「分かってますよ。墓石に水をかけて、報告だけしてきます」
「私のことも、おばあちゃんに報告しておいてね」
「分かってます、分かってます」

7月は命日の月である。
7月5日は、愛犬の命日。
7月10日は、ママ殿のママの命日、、、つまり、私のおばあちゃんの命日である。

ということで、先週、私は、お盆の墓参りに、酷暑のなか、行ってきた。




柏市内のペット霊園「どうぶつセレモニー」。
我が家の愛犬は、6年前の7月5日に死んで、ここに埋葬された。

場所は、国道16号線沿いのセブンパークアリオ柏の近くである。
工業団地の交差点から倉庫街に入ると、その外れに小さな民家がある。
小さな民家の庭が、ガーデン形式の墓地になっている。

管理人は不在で、事務所の扉はカギがかかっていた。






自分だけかと思っていたら、よく見ると、小屋の中に、ニワトリが1匹、潜んでいた!(上記写真左)。
記念写真を撮ろうと思って何度か呼んだ、床下から出てこなかった。

まあ、この暑さでは、、、仕方がないか。

ちなみに、写真右奥の仕切りの向こうが火葬場である。
また、右手前の建物の内部は、銭湯の下駄箱のような部屋なのだが、こちらはペットの遺骨の保管場所となっていた。

どこかに愛犬の遺骨があると思うのだが、、、番号が分からなかった。




続いては、このブログではお馴染みの「圓通寺」。
東京スカイツリー近くの圓通寺には、ママ殿の実家の墓がある。
これまで何度か書いたが、圓通寺とは縁が通じるお寺ということで、私は大変に縁起がよいところだと思っている。
そこで、都内の用事のついでに立ち寄ったりもするのだが、なぜか私にはぜんぜん良縁をもたらさないのだ。

これは、いかなることか。。。




いつもは、近くのスーパーで買い物をして、花を飾ったり、供物を置いたりする。
しかし、この暑さでは、、、誰だって、やる気が出ないと思う。
時期的にお盆だが、他の家のお墓を見ても、花や供物はとくに見当たらなかった。

私は、墓石にチョット水をかけると、セブンイレブンで買った冷たいお茶を置いてみた。
が、、、直射日光で焼けるように暑く、私自身が、ペットボトルのお茶を自分で飲んでしまった。
置いていってもゴミになるだけなので、飲んで持ち帰ろう。

その後、私は、銀座~上野広小路~湯島天神へ。

高台にある湯島天神は、天神下の交差点を真っすぐ行き、合同庁舎の方の坂道を上ると、表から境内に入ることになる。
しかし、交差点を左折し、すぐ路地裏に入ると裏参道で、男坂という急階段にあたる。
男坂は、38段の石段だが、これがまた、階段の幅が狭くて急である。
しかし、男坂の右手には、ゆるやかで、踊り場のある女坂もある。






今回は荷物があり、女坂から境内に上がった。
上がり切ると、私は、38段あるという男坂を見下ろした。
こちらはまるで登山道だが、頂上まであっという間だ。

男坂と女坂、、、なぜこちらが男坂で、あちらが女坂なのだろうか。
私は、2つの坂を見下ろして少し考えた。

ふつうに考えると、女は男より、か弱い生き物だから、こちらが女坂である、というような説明になると思う。
しかし、昨今の女は、か弱く見せておいて、野蛮で凶暴で攻撃的であったりもするので・・・そのように考えるのは実情にそぐわないであろう。
また、例えば妊婦が安産の御守りがほしいときは、こちらから上がるというのもありそうだが、湯島天神は学問の神様である。
ということで、私は次のように考えた。

男は、せっかちで、目的地まで多少危険でも話が早い方がいい。
なので、こちらが男坂ということなのである。
これに対し、女は、慎重で、危険を好まず、話が早いのをかえって警戒する。
目的地まで、時間をかけても安全の方がいい。
なので、こちらが女坂なのだと思った。

なるほど、、、男女の関係が一気に進まないのも、まあ、そういうことなら当然か、と私は思った。
また、男と女は親しいようでも別々の他人なのであり、男は女より先に上がって、頂上で女の到着を待っているものなのだ。
そして、女は、男をさんざん待たせて、ゆっくりとやって来るものなのだ。




狭い境内は、暑いので、人もまばら。
湯島天神の境内を歩いたが、いまは受験シーズンではなく、花が咲いているわけでもなく、
庭園の方は工事中(庭の手入れ中)だった。
受験生の絵馬を眺めてから、本堂で、お参りを済ませた。

さて、湯島天神で何を祈ったかというと、、、ここは受験生にとって非常に有名な学問の神様である。
御利益があるとすれば、私にも、学問に関する御利益があるというのが理屈である。
しかし、私は、それをもう得ているような気がしているのだ。
いくつか先生の肩書があるし、今年4月から昭和女子大学現代ビジネス研究所の研究員にもなった。
ということで、この日の私は、学問とはまったく別のご利益を求めて祈ったのだった。

そして、帰るとき、恋みくじを引いた。
「湯島天神の恋みくじ」か、、、最近は福徳神社ばかりで、ここのおみくじは、久しぶりに引いたような気がする。