2024/08/14

The Chariot

前回記事に書いたように、私は、7月後半から原稿の執筆に行き詰まっていた。
8月になると、私は夏風邪を引き、1週間ほどダウンしてしまった。
すると、数日遅れでママ殿も、同じ症状になり、ダウンしてしまった。

以前なら、発熱の時点で、各々が、かかりつけの医者に行ったが、いまは感染リスクの問題がある。
どこも、医院や診療所の発熱外来が別枠になっていたり、受診がしにくくなっているようである。
そこで、私は、バファリンを飲んで、ただ寝ていることにし、その後、熱が下がって症状が落ち着いてから、ママ殿と一緒に病院にいった。
このとき、ママ殿は、まだ熱があり、症状のピークだったが、ママ殿にとっては、ちょうどよいタイミングだった。
まあまあ元気の私は、後期高齢者のママ殿の代わりに受診手続をしたり、調剤薬局も発熱者はいきなりは入れないので、私がいることで何かとスムーズであった。

検査をしてもらい、処方薬をもらい、ほぼ元気になったのは8月6日のことである。
これで心理的にも一区切りがつき、食欲もわいてきた。
その後は、他社原稿の監修、講演の資料の作成、アポイントメントなどを、のらりくらりとこなした。






早く病院にかかって楽になりたい、処方薬をもらって早く仕事に復帰したい、というのは患者側のニーズとして当然あるのだが、病気がちの高齢者でもなければ、風邪は自然治癒力で良くなるので、病院に行かないで自力で治せる。
以前、医者が言っていたが、風邪はそもそも特効薬がない、ドラッグストアの売薬でも十分、ひどいことになりそうなら病院を受診する必要があるが、そうでなければゆっくり寝て治すのが原則だと。
つまり、風邪は「薬」ではなく「時間」を使って治す「ウィルス」の病気なので、それならば、コロナと同じような対処をするのが正しいのだろう。

個人的には、単なる風邪の患者を、コロナの患者と同列に危険とみなして、受診抑制するのは、あまり良い気はしないが、仕方ないことだと思う。
コロナを経て時代は変わったということなのだ。
風邪をひいたら受診する、症状を軽くする処方薬が欲しいだけのウィルス保有者は迷惑患者の扱いになったわけである。
まあ、考えてみれば風邪以外の深刻な病気で病院を受診している患者にとっては、迷惑患者そのものだ。

そこで、病院側は予約のない発熱患者の受診を認めず、発熱患者には、まず電話をさせる。
電話口で問診し、場合によっては医師に確認し、家で寝て治せる程度の判断なら、やんわり、来ないでくださいと門前払いをする。
どうしても受診したい状況なら、通常の時間とは別の発熱外来で対応する。






8月9日。
両国駅から徒歩3分ほどのところにある、おしゃれな喫茶店「アンティークカフェウール倶楽部」。
私は、都内の用事を済ませた後、遅めのランチで久しぶりに訪問した。
普段、外でカレーライスは食べつけないのだが・・・今回は病み上がりで、辛いモノ=刺激物が食べたくて、注文してみた。
すると、ここの欧風ビーフカレーは適度に辛くて、とてもおいしかった。
ハンドドリップのコーヒー付きで1200円とはリーズナブル!

アンティークカフェを出た後は、両国駅構内のステーションギャラリーに立ち寄った。
改札を入ると突き当りに、昔の電車の写真が展示されているトンネルのようなスペースがある。




両国駅は、かつては重要なターミナル駅であった。
当時使われていたが、いまは事実上使われていない幻の3番線ホームがある。
総武線のホームから見下ろせるが、レッドカーペットの敷かれたステーションギャラリーはその3番線ホームへと繋がる通路である。

面白そうなので、ギャラリーロードに入ってみた。
昔の鉄道写真を眺めつつ、中央にある謎の黒い物体に近付いた。

何で、こんなところに?(*'ω'*)






これは、よくあるヤマハの黒のアップライトピアノだが、どうしてここにピアノがあるのか!?
確かにストリートピアノは流行りだが、ずいぶん変な場所に置いてあるものだ。
5時までは自由に演奏できるようだ。
スマホ撮影用の機材も置いてある(写真右端)。

私は、しばらくこのピアノをじっと眺め、鍵盤をいくつか押してみた。
音は普通に出るが、古びて、いまいちのピアノに見えた。

ここで、私は以前、研究員として調査のため訪問した高齢者コミュニティーの出来事を思い出した。
私が行ったとき、体操の先生がいて、高齢者向けの簡単な体操を教えていた。
体操の先生は、「年をとると、脳と指の繋がりが悪くなり、反射的に動きませんよね~」などと言った。
すると、「そうなのよ~(-_-;)」「そうそう」と高齢者のみなさんは同意した。
「だから、じゃんけんポンで、指の運動をしましょう」と体操の先生は言い、「これもなかなか難しいんですよ。認知症にならないように、頑張りましょう!」
ということで、グーチョキパー体操が始まり、私もそれをやってみたが、正直いうと、自分はグーチョキパー運動をするような高齢者にはなりたくないと思った(若ければ誰でもそう思うだろう)。

そうだなあ、、、今、ピアノを弾いてみるのは、悪くないかもしれない(*'ω'*)

認知症対策のための指の運動とか、そういう目的ではない。
必ずしもピアノに限ったことでもないのだが、今好きな曲を弾いたり好きなことをして後悔のないように生きたい、ということである。






夕方、両国から浅草橋へ移動し、お馴染みの東京タロット美術館へ。

今回、受付で引いたタロットは戦車(The Chariot)だった。
タロット美術館の資料によれば、スピーディー、前進、ハッキリとした結果が出る、勝負に勝つ、などと解説があった。

なるほど、、、戦車のタロットとは、開戦(バトルスタート!)の意味合いである。

いまから戦争を始める!
ターゲットに向かって攻め込め!
どんどん仕掛けろ、勝ちにいけ、派手にやっちまえ!

ということである。
少なくとも受け身的ではだめで、思い切って何か行動する時が来ているようだ。




ただ、このカードのデザインを見る限り・・・かわいらしくて、平和で、無邪気で、私は拍子抜けしてしまう。
どこがどう好戦的なのか?

う~ん、そうだなあ、、、(*'ω'*)

このラブリーな3匹のピンクひよこ(?)たちのタロット、、、私がこれから誰にどんな戦争(?)を仕掛ける示唆なの?
もしかすると、私は今、何か好きなことをして、後悔のないように生きる・・・そういうことの示唆なのかも?
確かにそれは前進である。




「タロットカードの78枚のうち、22枚で構成されたカードを大アルカナといいます。アルカナとは、ラテン語で「神秘」「秘密」という意味で、大アルカナは番号と表題が書かれた寓意画となっています~中略~タロットを読む時は、直観が大切です。直観は考えるよりも早く、遥か遠くからやって来る「報せ」です。あなた自身に宛てられた、あなたが読めるように託されたメッセージです。見た夢と同じように、そのカードがどのように見えたのかが鍵となります。まずは、あなたが感じたことにフォーカスしてみてください。」(東京タロット美術館資料より)

2024/08/10

神田明神の男坂門



この日は新宿に用事があり、そのついでに西武線で下落合駅に足を伸ばした。
線路沿いの大通り(新目白通り)を10分ほど歩くと、ARTMedium(アートミディアム)という小さなギャラリーがある。
私はここに、アンダーグラウンド系の色本藍さんのインスタで紹介されていた遠藤望恵さんの個展を見に行った。

テーマは、チョット危ない「SM緊縛」。

土日明けの月曜で、遠藤さん不在の可能性が高いと思ったが、ご本人が在廊していた。
まあ、そういうことならと思い、普通に挨拶して記帳して、こちらは色本藍さんのインスタ経由で見に来たことを伝えた。
すると、彼女は自身の作品とテーマについて、わりと詳しく語ってくれた。
また、彼女自身はSM緊縛の集まりの観察者のひとりであり、とあるモデルの女性を追いかけて描いているといった。




私は、なるほど、といって頷いたが、他方で、エクスキューズ的な説明だと感じた。
恐らく、鑑賞者の興味は、この絵のモデルはどういう人物か、ということにある。
それをいつも聞かれるから、彼女は先に、自分はモデルではない、そのような趣味はない、と答えたのだと思った。

じゃあ、誰だろう・・・と思いつつ、私は、とりあえず、彼女に名刺を渡した。

「お名刺、いただきます、、、」
「あ、遠藤さん、名刺の裏も見てください」
「ウラ?(・・;)」
「私の終活本の紹介が書いてあるでしょ」
「シュウカツ?」
「はい。もしご興味があれば、アマゾンで私の著書をご覧ください。面白いですよ」
「はあ、、、就職活動の就活ではなく、終わりの方の終活ですね。あとで見てみます^^」
「ああ、そうだ。私は趣味でエッセイも書きます」
「エッセイ?」
「はい。実は、そこに色本さんの京橋の展示会のことが載っています。あのときは通りすがりだったのですが、、、」
「あ! そういうことですね」
「はい。私は、色本さんとは直接の面識はないんですが、彼女も将来有望なアングラ系アーティストだと思います」
「はい」
「私は、これから用事があるので、そろそろ帰らないと。。。今日は色本さんのご縁で、素敵な絵を見れて、とてもよかったです^^」
「どうも、ありがとうございます」








束縛される
吊るされる
解放される

彼女の絵を見て、私は、苦楽を共にするという言葉を思い出した。
楽しみだけでなく、苦しみも共にするのは重要だ。
このとき、相手の醜い部分、悪い部分、本性がよく出る。
また、楽しみを共にするだけでは、少々出来すぎで、美しすぎる。
それだと、良い部分だけが見えて、期待や幻想が膨らんでいき、長い目で見ると、相手に抱いている思いは裏切られるだろう。
楽しみをともにする場合は、演技力が問われるというのか、、、だが、苦しみをともにする場合は、真実の愛や優しさが問われそうだ。

ほとんどの場合、ふたりは楽しみから仲良く共有して、のちに苦しみの共有で、ぶつかるようになる。
すると、逆に、苦しみから先に共有しておく方が、のちに、うまくいきそうである。
例えば、分かりやすいものだと、かつての遠距離恋愛である。
会いたいが会えない、話したいが話せない、どこで何をしているか知りたいが分からない、ほとんど連絡も取れない。
たまに、テキトーな手紙や(固定)電話が男から1本あるだけ。
女は不信感を募らせるが、男は忙しい。
あるいは、その逆。

遠距離恋愛は、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思う。
しかし、いまはそういう苦しみを味わうことも難しくなった。
インターネット、スマホ、交通の発達のおかげで、障害というほどのものはないからだ。

そうだなあ、、、私は遠藤さんのSM緊縛の絵を眺めながら、思案した。

悪趣味で変態な女が、ふたりの愛を確かなものとするため、男を十二分に苦しませたいと考えたとする。
そのためには、どうするかであるが、、、遠距離恋愛のような障害も現代的には今一つ効果が薄いとなると・・・どうしたものか。
お互い、公平で適度な苦しみであること。
会えない、話せない、知ることができない、連絡も取れない、そんな超不便なことを・・・一体どうやって男にも課せられるだろうか。
まあ、それはともかく、人生の悪い時期に出会う男女・・・というのは、これまでも何度か書いてきたが、それがどうして良い組み合わせかというと、相手の悪い部分や本性を先に見ておけるからではないか。




私は、ギャラリーから、駅方面に向かった。
帰りは下落合駅ではなく高田馬場駅である。
途中、学生街に入ったが、いまは夏休みで静かだった。

実は、私は7月29日に新宿の用事のついでに見に行ったが、そのとき、何やら遠藤望恵さんのこの連作が、最近の投資家と株式市場の関係を象徴するようにも思えた。
楽しみをともにする上昇相場は、投資家にとって苦しみもないため、すべからく内容の伴わない「バブル相場」となる。
相場は期待で上がり、このとき、ファンダメンタルズの裏付けなど不要だ。
これに対して、苦しみをともにする下落相場はどうか。
投資家にとって苦しみの時間では、投資のもう1つの真実の側面を味わえるだろう。
今後、本格的にマーケットが崩れることになれば、そこでようやく、ファンダメンタルの悪化が明らかになるだろう。
ただし、投資家は烏合の衆の集まりで、楽しみをともにできても苦しみをともにできない。

問われるのは、両者の関係が、どちらなのか・・・である。
もし投資家のような金銭の繋がりとうわべだけの関係であれば?
しかし、感情的な繋がりのある、欠点や秘密、悪い部分も知っていたりする、近しい関係であれば?

私は、その後、前回記事に書いたように、神田明神へ。




以下は前回の記事の2024/08/01「開花楼、男坂」より。

神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。

湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。

なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。






私は登り切って、男坂を見下ろした。
女坂とはどこで合流するのだろう。

Googleマップで調べてみた。

神田明神の男坂と女坂は、少し離れた場所から神田明神裏手に向かって登るようになっている。
また、写真を見ると、女坂も男坂と同じくらいきついのが、神田明神の特徴である。
どうも、こちらは、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思った。

両者の合流地点は、結局、神田明神男坂門である。
門を入ると右手に、ご神木と、さざれ石がある。
その目と鼻の先が神田明神の本殿である。




2024/08/01

神田明神の開花楼、男坂



最近のスターバックスは夏休みで平日昼間も混雑している。
前回書いたように、私の原稿の執筆は現在、行き詰まっている。

さて、どうしたものか(*'ω'*)>>>

しかし、何かに行き詰まったとき、私は無理にとりかからない方がよいと思っている。
そのままの関係で、ほっといて、またよくなるのを待てばいい。

例えば、自分のからだに、紐や鎖が絡まって身動きがとれないとしよう。
ほどこうとすると大変な労力である。
手先の器用さも必要で、ほどけないと、イライラする。
そこで、思いきって切ると、話は早いし、ラクチンである。
これ以上の事態の悪化はなく、問題はすぐ収束する。
解放後、物事は少しずつ、良い方向に動き出す。

これは合理主義的な正解肢のように思える。

しかし、実際、そううまくはいかない。
解放後、物事が自分の想定していたように動かないことが多いからである。
そうなると、切ったのは失敗(?)の評価となる。
その後は自己正当化プロセスになるため、物事がうまくいくまで、おいそれとは撤退できない。
実は、紐や鎖が絡まって身動きがとれない状態をガマンしている方が、ぜんぜんよかった、という評価になる場合がよくあるのではないか。




先日、都内で用事を済ませた帰り、神田明神に寄った。
原稿執筆の行き詰まりを打破するには、神頼み(!)ということで、末広町駅で降りた。

神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。






湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。

なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。




神田明神では、お参りだけ。
猛暑なので、人もまばら。
私は境内のベンチで座って休み、しばらく、スマホで原稿を書き進めた。

おお、意外と捗る、、、
ズバリ、原稿執筆の行き詰まりを打破するカギは、KAIKA&神田明神だったようだ(*'ω'*)

その後、私は末広町から京橋へ。
京橋駅のビル1階にアートスペースがあるのだが、久しぶりに、チョット覗いてみた。
波多野州平さんの写真展「Before Us」。










私は数枚の写真を眺めながら、女の心境の変化を考えた。

あるとき、女は変化を求め、真っ赤な口紅を付ける。
真っ赤な口紅を見せつけるようにして出歩いたりする女もいるが、どこかで意中の男と対面するときだけ、それを見せる女もいる。
写真の中年の全身赤の女は、前者であり、男なら誰でもいいタイプだ。
赤い服は派手すぎて、チョットいただけない。。。
後者の女は、男を選ぶ気品のあるタイプで、意中の男と対面するならドレス風の白い服を着る。
髪の毛は結ぶなどして乱れをなくす。
靴は、ブーツなどでカッコつけず、カジュアルな銀のサンダルあたりを選ぶ。
これで彼女はシンデレラに見える。

先ほどの話に戻ろう。
束縛が男女間の愛だとすると、そのような愛の紐や鎖を断ち切ることで楽になれるが、自由だとそれはそれで物足りず、以前の縛られた状態が懐かしくなってくる。
すると、以前より強く縛られることを望むようになり、ある者(前者)は別の者に対してそれを求め、ある者(後者)は断絶した相手に近付くのではないか。
紐や鎖が絡まって身動きがとれないなら、それをあえてほどこうとはせず、切断もせず、その状態でフツーに過ごしていればよいのだと思う。
つまり、受け入れるということだが、私は、たいていの場合、それが正解肢だと思う。