この日は新宿に用事があり、そのついでに西武線で下落合駅に足を伸ばした。
線路沿いの大通り(新目白通り)を10分ほど歩くと、ARTMedium(アートミディアム)という小さなギャラリーがある。
私はここに、アンダーグラウンド系の色本藍さんのインスタで紹介されていた遠藤望恵さんの個展を見に行った。
テーマは、チョット危ない「SM緊縛」。
土日明けの月曜で、遠藤さん不在の可能性が高いと思ったが、ご本人が在廊していた。
まあ、そういうことならと思い、普通に挨拶して記帳して、こちらは色本藍さんのインスタ経由で見に来たことを伝えた。
すると、彼女は自身の作品とテーマについて、わりと詳しく語ってくれた。
また、彼女自身はSM緊縛の集まりの観察者のひとりであり、とあるモデルの女性を追いかけて描いているといった。
私は、なるほど、といって頷いたが、他方で、エクスキューズ的な説明だと感じた。
恐らく、鑑賞者の興味は、この絵のモデルはどういう人物か、ということにある。
それをいつも聞かれるから、彼女は先に、自分はモデルではない、そのような趣味はない、と答えたのだと思った。
じゃあ、誰だろう・・・と思いつつ、私は、とりあえず、彼女に名刺を渡した。
「お名刺、いただきます、、、」
「あ、遠藤さん、名刺の裏も見てください」
「ウラ?(・・;)」
「私の終活本の紹介が書いてあるでしょ」
「シュウカツ?」
「はい。もしご興味があれば、アマゾンで私の著書をご覧ください。面白いですよ」
「はあ、、、就職活動の就活ではなく、終わりの方の終活ですね。あとで見てみます^^」
「ああ、そうだ。私は趣味でエッセイも書きます」
「エッセイ?」
「はい。実は、そこに色本さんの京橋の展示会のことが載っています。あのときは通りすがりだったのですが、、、」
「あ! そういうことですね」
「はい。私は、色本さんとは直接の面識はないんですが、彼女も将来有望なアングラ系アーティストだと思います」
「はい」
「私は、これから用事があるので、そろそろ帰らないと。。。今日は色本さんのご縁で、素敵な絵を見れて、とてもよかったです^^」
「どうも、ありがとうございます」
束縛される
↓
吊るされる
↓
解放される
彼女の絵を見て、私は、苦楽を共にするという言葉を思い出した。
楽しみだけでなく、苦しみも共にするのは重要だ。
このとき、相手の醜い部分、悪い部分、本性がよく出る。
また、楽しみを共にするだけでは、少々出来すぎで、美しすぎる。
それだと、良い部分だけが見えて、期待や幻想が膨らんでいき、長い目で見ると、相手に抱いている思いは裏切られるだろう。
楽しみをともにする場合は、演技力が問われるというのか、、、だが、苦しみをともにする場合は、真実の愛や優しさが問われそうだ。
ほとんどの場合、ふたりは楽しみから仲良く共有して、のちに苦しみの共有で、ぶつかるようになる。
すると、逆に、苦しみから先に共有しておく方が、のちに、うまくいきそうである。
例えば、分かりやすいものだと、かつての遠距離恋愛である。
会いたいが会えない、話したいが話せない、どこで何をしているか知りたいが分からない、ほとんど連絡も取れない。
たまに、テキトーな手紙や(固定)電話が男から1本あるだけ。
女は不信感を募らせるが、男は忙しい。
あるいは、その逆。
遠距離恋愛は、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思う。
しかし、いまはそういう苦しみを味わうことも難しくなった。
インターネット、スマホ、交通の発達のおかげで、障害というほどのものはないからだ。
そうだなあ、、、私は遠藤さんのSM緊縛の絵を眺めながら、思案した。
悪趣味で変態な女が、ふたりの愛を確かなものとするため、男を十二分に苦しませたいと考えたとする。
そのためには、どうするかであるが、、、遠距離恋愛のような障害も現代的には今一つ効果が薄いとなると・・・どうしたものか。
お互い、公平で適度な苦しみであること。
会えない、話せない、知ることができない、連絡も取れない、そんな超不便なことを・・・一体どうやって男にも課せられるだろうか。
まあ、それはともかく、人生の悪い時期に出会う男女・・・というのは、これまでも何度か書いてきたが、それがどうして良い組み合わせかというと、相手の悪い部分や本性を先に見ておけるからではないか。
私は、ギャラリーから、駅方面に向かった。
帰りは下落合駅ではなく高田馬場駅である。
途中、学生街に入ったが、いまは夏休みで静かだった。
実は、私は7月29日に新宿の用事のついでに見に行ったが、そのとき、何やら遠藤望恵さんのこの連作が、最近の投資家と株式市場の関係を象徴するようにも思えた。
楽しみをともにする上昇相場は、投資家にとって苦しみもないため、すべからく内容の伴わない「バブル相場」となる。
相場は期待で上がり、このとき、ファンダメンタルズの裏付けなど不要だ。
これに対して、苦しみをともにする下落相場はどうか。
投資家にとって苦しみの時間では、投資のもう1つの真実の側面を味わえるだろう。
今後、本格的にマーケットが崩れることになれば、そこでようやく、ファンダメンタルの悪化が明らかになるだろう。
ただし、投資家は烏合の衆の集まりで、楽しみをともにできても苦しみをともにできない。
問われるのは、両者の関係が、どちらなのか・・・である。
もし投資家のような金銭の繋がりとうわべだけの関係であれば?
しかし、感情的な繋がりのある、欠点や秘密、悪い部分も知っていたりする、近しい関係であれば?
私は、その後、前回記事に書いたように、神田明神へ。
以下は前回の記事の2024/08/01「開花楼、男坂」より。
神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。
湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。
なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。
私は登り切って、男坂を見下ろした。
女坂とはどこで合流するのだろう。
Googleマップで調べてみた。
神田明神の男坂と女坂は、少し離れた場所から神田明神裏手に向かって登るようになっている。
また、写真を見ると、女坂も男坂と同じくらいきついのが、神田明神の特徴である。
どうも、こちらは、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思った。
両者の合流地点は、結局、神田明神男坂門である。
門を入ると右手に、ご神木と、さざれ石がある。
その目と鼻の先が神田明神の本殿である。