最近のスターバックスは夏休みで平日昼間も混雑している。
前回書いたように、私の原稿の執筆は現在、行き詰まっている。
さて、どうしたものか(*'ω'*)>>>
しかし、何かに行き詰まったとき、私は無理にとりかからない方がよいと思っている。
そのままの関係で、ほっといて、またよくなるのを待てばいい。
例えば、自分のからだに、紐や鎖が絡まって身動きがとれないとしよう。
ほどこうとすると大変な労力である。
手先の器用さも必要で、ほどけないと、イライラする。
そこで、思いきって切ると、話は早いし、ラクチンである。
これ以上の事態の悪化はなく、問題はすぐ収束する。
解放後、物事は少しずつ、良い方向に動き出す。
これは合理主義的な正解肢のように思える。
しかし、実際、そううまくはいかない。
解放後、物事が自分の想定していたように動かないことが多いからである。
そうなると、切ったのは失敗(?)の評価となる。
その後は自己正当化プロセスになるため、物事がうまくいくまで、おいそれとは撤退できない。
実は、紐や鎖が絡まって身動きがとれない状態をガマンしている方が、ぜんぜんよかった、という評価になる場合がよくあるのではないか。
先日、都内で用事を済ませた帰り、神田明神に寄った。
原稿執筆の行き詰まりを打破するには、神頼み(!)ということで、末広町駅で降りた。
神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。
湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。
なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。
神田明神では、お参りだけ。
猛暑なので、人もまばら。
私は境内のベンチで座って休み、しばらく、スマホで原稿を書き進めた。
おお、意外と捗る、、、
ズバリ、原稿執筆の行き詰まりを打破するカギは、KAIKA&神田明神だったようだ(*'ω'*)
その後、私は末広町から京橋へ。
京橋駅のビル1階にアートスペースがあるのだが、久しぶりに、チョット覗いてみた。
波多野州平さんの写真展「Before Us」。
私は数枚の写真を眺めながら、女の心境の変化を考えた。
あるとき、女は変化を求め、真っ赤な口紅を付ける。
真っ赤な口紅を見せつけるようにして出歩いたりする女もいるが、どこかで意中の男と対面するときだけ、それを見せる女もいる。
写真の中年の全身赤の女は、前者であり、男なら誰でもいいタイプだ。
赤い服は派手すぎて、チョットいただけない。。。
後者の女は、男を選ぶ気品のあるタイプで、意中の男と対面するならドレス風の白い服を着る。
髪の毛は結ぶなどして乱れをなくす。
靴は、ブーツなどでカッコつけず、カジュアルな銀のサンダルあたりを選ぶ。
これで彼女はシンデレラに見える。
先ほどの話に戻ろう。
束縛が男女間の愛だとすると、そのような愛の紐や鎖を断ち切ることで楽になれるが、自由だとそれはそれで物足りず、以前の縛られた状態が懐かしくなってくる。
すると、以前より強く縛られることを望むようになり、ある者(前者)は別の者に対してそれを求め、ある者(後者)は断絶した相手に近付くのではないか。
紐や鎖が絡まって身動きがとれないなら、それをあえてほどこうとはせず、切断もせず、その状態でフツーに過ごしていればよいのだと思う。
つまり、受け入れるということだが、私は、たいていの場合、それが正解肢だと思う。