2024/09/16

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  • アートホテル(2)KAIKA
  • 回顧録・すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」
  • 夢遊病の女
  • Where are you going?

■執筆者
加藤光敏
詳しいプロフィールについては、KADOKAWAのウェブサイトをご覧ください。

■連絡先
inquiry@efandc.comまたはmitsukato117@gmail.com

2024/09/15

Where are you going?

「ママ殿は、お彼岸の墓参りは行きますか?」
「あなた、代わりに行ってきて」
「そうですよね~、この暑さでは、やはり、、、」
「行きたくても、もう、しんどくて、遠出する気にならないわ」
「9月なのに異常な暑さです」

9月11日。
私はひとり、圓通寺に、墓参りに行った。
ひとりなので、都内の用事があるとき、途中で立ち寄った。




曳舟駅前のスーパーで、花を買い、スカイツリーのふもとの圓通寺に着いたのは、炎天下の12時過ぎ。
路地のコンクリートも、境内の石畳も、墓地の墓石も、ヤケドするほどの熱さに違いない。

重たい水桶を持って、境内をヨロヨロ歩き、墓地の方へ。
私は、墓地の入口の木戸の前で、傘をとじた。
最近の私は、暑さ対策で、傘をさして歩いているのだ。

墓前に花を供えてみたものの、この日差しで、せっかくの花も、すぐ枯れてしまいそうだった。
私は、墓石にたっぷりと水をかけた。
しかし、焼け石に水とは、まさにこのことだ、、、
暑すぎて、墓前に長居はできない。

私は、数分で墓地を出た。
水桶を戻すため境内に戻ると、社務所からちょうど住職の奥さんが出てきた。
いつものことだが、挨拶をした後、しばらく世間話になった。
ゴシップ好きの住職の奥さんと話していると、やはり、例の件が話題となった。




圓通寺を出た後は、押上駅から都営浅草線で、宝町に向かった。
宝町の駅前には国立映画アーカイブという日本映画の資料館がある。
いまは、ぴあフィルムフェスティバルの最中であった。

名画の上映会で、なかなか面白そうだ。
ちょっと中に入ってみるか。

おや、珍しい、、、国立映画アーカイブに、行列ができているなんて。
若い人も結構いる。
最近は、ネットフリックスやアマゾンで昔の映画を簡単に見れるが、映画館のスクリーンで見るのは、やはり、別格である。

でも、これから私は大事な用事があって、映画1本見る時間はないのだ。
ということで、私は、1階ホールの学生のポスターの展示会だけを見ることにした。





ともすれば、最近の若者はこうである、Z世代とは~というように、マスコミは一括りにして決め付けようとする。
すると、それに影響された中高年が、彼らを偏見の目で見たりして、世代間の対立は深まる。
しかし、表層的理解、典型的理解では、個々の事情を問題にせず、無理解に等しい。
いつの時代も、私たちの青春や人生は、同じようなモンダイを抱えており、世代を超えて同じように悩んだりしているのではないかと思う。

このポスター展、5~10分ほどで見終わる簡単なものだが、非常に素晴らしかった。
学生らしい直球勝負のポスターばかりだった。

直球勝負、、、自信がないと変化球勝負をしたくなる。
が、打たれてもいいから直球勝負をする、そのマインドは大事だ。










私は、特に印象に残った上記3枚のポスターを繋げ、いろいろ考えた。

鎖・・・分離の予感・・・わたしのゆくえ。

あなたは鎖を断ち切る・・・あなたは彼(彼女)と別れる。
そして、あなたはどこへいくのか?

You break the chain and break up with him(her). 
And where are you going?

こんな感じで、どうだろう。
これから、なかなか面白いストーリーが展開しそうである。




大事な用事が済んだので、私は、宝町から都営浅草線で三田に移動した。
慶應義塾大学三田キャンパスを訪問するのは、約半年ぶりだ。
訪問の目的は2つあって、1つは、図書館で、原稿の内容の確認のため、調べたいことがあった。
もう1つの目的は、大学の近所のアルファコンテンポラリーという現代アートのギャラリーに行くため。
ただ、結論からいうと、調べものは早く終わったのに、ギャラリーには行けなかった。

私は、調べもののあと、館内のデスクに座り、スマホの充電をしていたが、私のスマホに急用の連絡が入ったのだ。
そのため、私は急いで、三田から先ほどの宝町に戻ることになった。
まあ、たいしたモンダイはなかったが、、、帰り道は、ため息まじりに、宝町駅前のラーメン屋「ゆかり」に立ち寄った。




最近まで、ここには、ギャルリーフロレゾンという小さな画廊があり、今年2月に閉廊し、4月からラーメン屋「ゆかり」になった。
前回は、オープンしてまだ2ヶ月ほどで初々しかったが、もうすぐ半年たつのか。

月日がたつのは早い。。。

私は、入口で食券を買い、厨房のそばのカウンター席へ。
立ち食いそば屋のような物件で、店内は、かなり狭い。




カウンター席の壁に、張り紙がある。
インスタのフォロワーには無料サービスをしてくれるというが、この紫のエプロン姿の女性が、オーナーのゆかりさんである。
厨房では、こうして紫のエプロンを着て、ひらすら、ラーメンを作っている。
客対応をしているときの彼女は笑顔を絶やさないが、ラーメンを作っているときの彼女は真剣そのものだ。

ああ、真剣に何かを作っている女性ほど美しいものはない、、、

5分ほど待つと、アシスタントの女の子が、ラーメンを運んできた。
私は、インスタのフォロワーであることを伝え、味玉をGET。




うーむ、やはり、おいしい(*'ω'*)//♪
ほんのり甘くて、いやされるラーメン。
いやされたい近隣のサラリーマンのみならず、女性にも、おすすめである。

店を出ると、外は暗かった。
昼間は相変わらず、ばかみたいな暑さなのに、日はどんどん短くなっていく。
ビル街を歩くと、何となく秋風を感じた。




翌日9月12日。
アルファーコンテンポラリーの展示会の最終日である。
しかし、私は午後、柏市の南部に出かけていた。
柏市社会福祉協議会の依頼で、「エンディングノートの書き方」講座をするためである。

会場は、南部近隣センター「ふれあいプラザ」。
のどかな山奥の公民館で、私には、ここが柏市とは思えなかったが、、、




受講者は20人ほど。
社会福祉協議会主催ということもあってか、高齢者のほか、(赤十字マークの札をぶらさげている)障害者も多かった。
辺鄙な場所なのに、20人もよく集まったものだ。

エンディングノート講座が終わったのは15時過ぎ。
最寄りのバス停までダッシュすれば間に合ったが、先生というのは、生徒のようにすぐには帰れないのだ。
関係者への挨拶、受講者からの質問の回答、、、あとは、帰りのバス停の場所が分からず、あちこち探してしまった。
そのため、アルファーコンテンポラリーの展示会には、間に合わないことが確定。
私は、残念な気持ちで、15時52分のバスに乗り、五香駅へ。
五香駅からは新京成で松戸駅に出て、常磐線の下りに乗り、取手駅に向かった。

仕方がない、、、展示作品を見るのは、諦めるか。

いや、待てよ、調べてみよう(*'ω'*)

ええと、次の展示会は、、、チャンス、あるのかな?

ある!!!

スケジュールを調整して、あとで、申し込んでみよう。





5時近く、取手駅に到着。
最近、取手駅西口のロータリーが整備され、駅ビルの正面玄関の近くにバスの発着場が移った。
帰りのバスを待っているとき、私はふと、正面玄関のガラス張りのスペースを見た。
ポスターが立てかけてあり、目にとまったのだが、それは、日本酒の飲み比べのイベントの案内であった。

10月5日(土)1100-1530
アトレ取手4階VIVA

ワインではなく、日本酒のテイスティング。
茨城県は蔵元が多いが、このようなイベントを取手でやっているとは、知らなかった。
バス待ちの間、スマホで検索。

ほうほう、早速、申し込んでみよう。
フム、予約完了♪

私は、第3部の1330ー1530を選んだ。

2024/09/11

夢遊病の女



東劇で、METライブビューイングオペラを見てきた。

以前、「連隊の娘」を見たことがある。
これはドニゼッティのオペラだった。
今回は「夢遊病の女(夢遊病の娘) La Sonnambula」で、こちらはベッリーニの作である。

ただ、どちらもベルカントオペラであり、音楽的に似ている。
つまり、美しい歌声を聴いてウットリするコンセプトのオペラなのである。
例えば、ワーグナーやプッチーニのような、派手で、ドラマチックで、豪快なオペラではない。
ベルカントオペラの代表的な作曲家は、ベッリーニ、ドニゼッティーのほか、学校の音楽室でお馴染みのロッシーニがいる。

本作「夢遊病の女(夢遊病の娘) La Sonnambula」は、スイスの山村が舞台である。
ただ、METのオペラは現代版で、舞台はブロードウェイの稽古場である。
ここで、ミュージカルの出演者たちが「夢遊病の女」の稽古をしている、という変わった設定である。


(METライブビューイングオペラアンコール「夢遊病の娘」)


大好きな男を美人にもっていかれるなんて、本当に頭に来る!!

箒を持って掃除中のリーザは、ひどく不機嫌である。
リーザは宿屋の女主人で、地位と権力のある男性が好みだ。
こないだまで、彼女は村の金持ちの息子エルヴィーノと付き合っていた。
が、結局、彼はアミーナのところにいってしまった。
そして今日は2人の結婚式当日である。

アミーナは、村一番の美女、村のアイドルである。
しかし、彼女は孤児で、幼い頃、水車小屋の管理人テレーザが引き取って育てた。
アミーナは、エルヴィーノと結婚すれば玉の輿、シンデレラガールだが、実は、夢遊病である。

この山村には、夜中、幽霊が現れるといわれているが、まさか、その幽霊の正体が、アミーナだったとは!

というような、あらすじである。




以下は、Wikipediaからの引用。

第1幕
第1場:村人たちがアミーナとエルヴィーノの婚約を祝っているが、宿屋の女主人であるリーザはアミーナに嫉妬する。アミーナは村人たちに感謝の歌を歌う。公証人、ついでエルヴィーノが現れる。エルヴィーノはアミーナに指輪と花を贈る。結婚契約が署名され、アミーナとエルヴィーノは愛の二重唱を歌う。
見知らぬ人物が村に現れる。彼は実は領主のロドルフォ伯爵だったが、村人は誰も彼のことを知らなかった。テレーザはロドルフォ伯爵に、この村は白い服の幽霊に呪われているから夜は家に帰らなければならないといい、人々は帰宅する。ロドルフォ伯爵がアミーナを好んでいるらしいと見たエルヴィーノは嫉妬からアミーナと喧嘩するが、やがて仲直りする。

第2場:リーザの宿屋に宿泊したロドルフォ伯爵は、窓から突然アミーナが入ってきたのに驚くが、すぐに夢遊病であり、テレーザの言っていた幽霊とは彼女のことであることに気づく。伯爵はアミーナを混乱させないように部屋の明かりを消して外に出る。アミーナはそのまま伯爵の部屋のベッドで眠る。
ロドルフォ伯爵の正体はすぐに村人にばれ、人々は伯爵にあいさつするためにやってくるが、部屋の中には女性の姿があった。リーザは事情を知っていたが、エルヴィーノの手を取って部屋にはいり、部屋の中を明かりで照らす。アミーナは目ざめるが、何が起きたかわからず混乱する。エルヴィーノほかの村人はアミーナが浮気したと思いこんで彼女を非難する。エルヴィーノはアミーナに結婚の破棄を宣言して去り、アミーナは気絶する。

第2幕
第1場:村人たちはロドルフォ伯爵の城館を訪れ、エルヴィーノとアミーナの間の仲介をしてくれるように頼もうとする。エルヴィーノはまだ怒っており、かつてアミーナに贈った指輪を彼女の指から外して奪う。

第2場:テレーザの水車小屋のそばで、リーザはエルヴィーノと結婚しようとしている。ロドルフォ伯爵はアミーナが夢遊病であることを説明して止めるが、エルヴィーノは信じない。表の騒音を聞いたテレーザが出てきて、アミーナが眠っているから騒がないように頼む。リーザがエルヴィーノと結婚しようとしていることを知ったテレーザは、ロドルフォ伯爵の部屋で拾ったリーザのハンカチを出してみせる。エルヴィーノはリーザも浮気していたと思って幻滅する。
エルヴィーノはロドルフォ伯爵に対して、アミーナが夢遊病である証拠を見せろというが、そこにテレーザの水車小屋の屋根裏の窓から眠ったままのアミーナが出てきて、ランプを手にしたまま歩きはじる。そのまま橋を渡って村人たちの前までやってくる。彼女はエルヴィーノのために祈り、自分が指輪を奪われたこと、かつてエルヴィーノから花をもらったことを眠ったまま話し、しおれた花を取りだす。
エルヴィーノは指輪をアミーナの指に戻す。目をさましたアミーナにエルヴィーノは謝罪する。アミーナは再び喜びに満ちる。





帰り道は喫茶店へ。
私は、ミルクティーを飲みながら、夢遊病のことを調べた。

そもそも夢遊病とは、どんな病気なのかしら?(*'ω'*)

夢遊病は、睡眠障害のひとつであり、精神疾患にあたる。
寝ている間に、歩いたり、何かをしてしまう。
眠っているので、本人は無意識で、何も分かっていない。
どこかに行ってしまわないように、頬を叩いて起こしたり、制止したり、刺激を与えてはいけない。
攻撃される恐れがあり、危険である。
よほどの場合は警察や救急車を呼ぶべきだが、そうでなければ見守るのがよい。

なるほど、、、酒癖の悪い酔っ払いみたいなものか。
泥酔中に何かやらかして、記憶にございません、これと同じようなものか。
あるいは、認知症の高齢者の徘徊にも似ている。

私は、もし彼女がそのような夢遊病だったら?と考えた。
伯爵とアミーナのように、狭い部屋に一緒にいる場合を考えてみる。

いつも良い夢、幸せな夢なら問題ない。
が、見る夢はコントロールできないから、もし彼女の夢が突然、悪夢に変わったら・・・例えば、大好きな男と一緒にいるときに大嫌いな男が登場すると、突然、殴られるかもしれない。

また、悪い夢でなくとも、厄介である。
例えば、料理と犬が好きな夢遊病の女と付き合っているとしよう。
彼女は夢の中で料理をしていて、肉や魚をさばいてるつもりだが、実際には台所の包丁を振り回している。
また、彼女は夢の中で飼犬の散歩をしているつもりだが、実際、鎖で繋がれて連れ回されているのは、自分だったりする。

まあ、実際そんなひどいことは起きないだろうが、一緒にいて危険というよりは、むしろ彼女をひとりにしけおけないということである。


(La Sonnambula: "Ah! non credea mirarti" (Natalie Dessay)  夢遊病の女「ああ、信じられない」ナタリー・デセイ)


最後の場面。
2人の仕切り直しの結婚式で歌われた、このような歌がある。

苦しみを乗り越え
無実が証明され
彼女は、より美しくなった

私は手帳を開き、夢遊病の女の雑感をメモした。

第1幕の結婚式のとき、アミーナが夢遊病であることを、本人も周囲も知らなかった。
もしこのまま結婚していたら、2人は大いにモメただろう。
しかし、紆余曲折を経て、彼女が病気であることが分かり、かえって良かったのではないか。
2人は愛し合っているので、彼女に重い病気があっても、2人の関係は揺るがない。
彼女のどのような障害も、彼の愛情をより確かなもの、深いものにするだけだった。

なるほど、、、分かった!(*'ω'*)

夢遊病の女は、病気や障害があり、愛を信じることができず、愛を確かめたい女のことだ。
愛しているという言葉や、結婚の申込や約束だけでは、愛の言葉だけ信じ、夢を見ている状態である。
純愛といえば素敵だが、愛は不確かで、手ごたえがない。

不確かな愛を確かめるにはどうすればいい?
それは、やはり肉体的に愛を確かめる行為が、必要になるだろう。

2024/09/08

回顧録・すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」

※前回記事の両国の都立復興記念館にちなんで、2019年3月の記事を一部改めて再公開しています。

都内でお花見といえば、春先のニュースに必ず出て来るのが上野公園の桜である。
しかし、伝統的にはお花見といえば隅田川の河川敷の桜である。
江戸時代の浮世絵にも定番で描かれているが、特に向島が有名である。
川下りの船上で桜を眺めるのが江戸っ子の粋であった。
向島は現在の東京スカイツリーの周辺になる。


東京スカイツリー


隅田川


隅田川、隅田公園周辺の桜のお花見の様子


今日は用が早く終わり、向島の桜をひとりで見に行った。
ついでに、すみだ郷土文化資料館にも行った。
すみだ郷土文化資料館は隅田公園のそばにある。
東京スカイツリー駅と対岸の浅草駅のどちらからも行けるが、私は東京スカイツリー駅から歩いた。
先に隅田公園を通り抜け、河川敷を花見散歩してから資料館へ向かった。
今回は「東京大空襲展」という反権力の企画展をしており、これが非常に力作なのであった。


すみだ郷土文化資料館


東京大空襲はB29による無差別爆撃である。
そもそも太平洋戦争の最初の本土空襲は、1942年4月18日、ドゥリットル隊によるものだった。
この本土空襲は、1941年12月8日真珠湾奇襲攻撃を受けた米軍の報復と考えられているが、すでにこの時が米軍最初の「無差別爆撃」なのであった。
新宿の岡崎病院を破壊し、機銃掃射で子供を射殺したと書いてある。
このわずか2ヶ月後、日本海軍はミッドウェー海戦で主力部隊の大型空母を全隻喪失し、歴史的な大敗を喫する。
以後、戦局は日本軍の防戦一方となる。
このミッドウェー海戦であるが、実は当時の司令部内でも疑問視されており、「ミッドウェー作戦をわざわざ決行する必要があるのか」と言われた。
それなのに山本五十六長官が作戦を強行した動機はいろいろあると思われるが、ひとつには、米軍にこのような本土への無差別爆撃を二度とさせないようにするためだった。
ただ、天候のあやと、度重なる不運で、日本海軍は「まさか」の大敗を喫したのであった。

まあ、日本海軍は仕返しの仕返しをしようとしてやられたのである。
やられたらやり返せ、目には目を歯には歯を、などと言うので、仕返しをするのは仕方がないことだと思うのだ。
しかし、神様の考え方としては、仕返しの仕返しはだめですよ、ということなのだろう。
仕返しの仕返しをしようとすると、もとをたどれば自分が種を蒔いているので、自分がひどい目にあうようにできている、ということなのだろう。
確かに、それは正しい結末だと思う。
そうならないと、報復合戦が続いてしまうからである。

さて、その後の米軍の主な本土空襲は、1944年11月ごろから再び始まった。
最初は必要最小限、軍需施設のみであった。
だが、年明けに有楽町~銀座にB29が襲来して、ついに日本の中心地が爆撃された。
これは主に有楽町の新聞社を狙ったものだが、銀座の街も被害を受けたので、恐らく米軍の「最後通告」の意味もあったのだと思う。
しかし、日本政府の圧力でこの空襲は国民に周知されなかったため、最後通告としての成果は得られなかったようだ。
たぶん、、、であるが、この空襲で日本国民が大騒ぎをすれば、状況は変わった、東京大空襲も避けられた、と私は思う。
こういう言い方はよくないと思うがあえて言うと、日本人がおとなしすぎるのが災いで、3月10日の東京大空襲までもつれてしまった、という感じだ。
そうすると、現代のおとなしい日本人にも非常に良い教訓になると思うのである。

有楽町~銀座が空襲された後、日本政府は次の空襲の場所を東京の下町と想定した。
ここは当時、日本の製造業の中心で人口密集地、今と違って経済の中心地でもあった。
しかし、下町の住民にはそれがきちんと周知されなかった。
そして、東京大空襲が本当に来てしまい、罪のない多くの庶民が焼け死んだのだ。
その被害の規模と程度が政府の想定をあまりにも上回っていたため、政府はパニックとなっただろうが、ここまでやられるともはや感情論にもなるだろう。
米軍はそこまでやるのか、許せない、本土決戦でもなんでもしてやる、という雰囲気が日本国全体に醸成されたものと思われる。


すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」
(すみだ郷土文化資料館「東京大空襲展」資料より)


現代人から見てここで最も重要なのは日本政府の不作為である。
また、当時は軍国主義の統制社会であったから、10万人死んで焼け野原になっても日本国民は政府に従い続けなくてはならなかった、ということも重要である。
では、米軍は次に何をしたか。
広島と長崎の原爆投下である。
たぶん、、、であるが、東京大空襲で日本国民が大騒ぎをすれば、状況は変わって、原爆投下も避けられた、と私は思う。
こういう言い方はよくないと思うがあえて言うと、日本人がおとなしすぎるのが災いで、原爆が投下される流れができてしまった、という感じもするのだ。
そうすると、現代のおとなしい日本人に非常に良い教訓になると思うのであるが。

私は思うのだが、どういう状況でも日本人は、日本政府に対して従順すぎるのではないだろうか。
また、そのような日本人が社会的に模範とされている、ということも問題である。
なお、私はべつにアメリカの味方や代弁者ではない。
昔の話を持ち出し、いまのアメリカに恨みを抱くよりも、昔の話から教訓を得る方が、はるかにまともな神経の持ち主だと思う。
それに、原爆の恨みを晴らすためにアメリカに何かをすると、きっと報復合戦が続いてしまうだろう。

2024/09/01

アートホテル行(2)KAIKA




神田明神は、御茶ノ水からいくと、正面の鳥居から入ることになる。
しかし、末広町や秋葉原からだと、明神下の交差点から、①直進して坂を上がると左手に有名な鰻屋「喜川」があり、その脇の参道から入るか、②明神下の交差点を左折して男坂と女坂のどちらかから入るか、である。
私は明神下の交差点を左へ曲がり、手前の男坂に行き着いた。

湯島天神と同じく、神田明神にも男坂、女坂がある。
神田明神の場合、男坂を上がる途中、KAIKAというオフィスビルがある。
案内板があり、かつてここに料亭「開花楼」があったという。
千駄木の森鴎外記念館周辺(観潮楼)もそうだが、ビルが建ち並ぶ以前は、高台の見晴らしがとてもよかった。
開花楼では、作家の島崎藤村が結婚式をあげたという。

なるほど、KAIKAとは運命の開花の意味だったとは。
ローマ字だと何のことか分からないではないか。








私は登り切って、男坂を見下ろした。
女坂とはどこで合流するのだろう。

Googleマップで調べてみた。

神田明神の男坂と女坂は、少し離れた場所から神田明神裏手に向かって登るようになっている。
また、写真を見ると、女坂も男坂と同じくらいきついのが、神田明神の特徴である。
どうも、こちらは、お互い、公平で適度な苦しみで、良いと思った。

両者の合流地点は、結局、神田明神男坂門である。
門を入ると右手に、ご神木と、さざれ石がある。
その目と鼻の先が神田明神の本殿である。








以上は、2024/08/10「神田明神の男坂門」より。

さて。
私は、お盆前に夏風邪で1週間ほど寝込んだが、まだ夏風邪があとをひき、体調が悪い、、、
夏風邪は長引くといわれたが、本当だった。

しかし、風邪に特効薬のようなものはないのだ。
原稿の執筆も捗らないまま、、、何か元気の出る薬のようなものがないだろうか(*'ω'*)ウーム





そこで、8月21日、気分転換に、ぶらりと上野~東京へ。
お昼過ぎ、東京から両国のアンティークカフェウール倶楽部に到着。

前回記事にあるように、ここは、お盆前に行ったばかりだが、今回は、コーヒーとガトーショコラのケーキセットを注文した。
食後、会計の前にトイレを借りた。
そのとき、トイレの手前の狭い通路に絵が飾られていて、私は、その絵が気に入ったので、スマホで撮影した。





私は、美術のデッサンのヌードモデルはどれくらいのギャラがもらえるのだろう、などと思った。
最近は、演劇や音楽の世界でセクハラなどのニュースが話題になることもあるが、それなら、美術の世界は、なおさらでは?
そういうことが芸術の名のもとに正当化されていてもおかしくないが、実際どうなのだろう?

その後は、両国駅の反対側へ。
国技館通りを歩いた。
最近の私は、傘をさして歩くようになり、すっかり傘が必需品となった。
もちろん紫外線対策もあるが、日中の強い日差しに当たると疲弊するし、汗をかき、屋内のエアコンで身体が冷えてしまう。
これが、今回の夏風邪の原因と考えられた。




両国国技館の前を通り過ぎ、旧安田庭園へ。
そこから、隣接の刀剣博物館へ。
ただ、私は刀剣に興味がないので、エントランスだけ見て、脇道に入ると、まもなく、同愛記念病院の看板と入口が見えた。

刀剣博物館の向かいの建物が、同愛記念病院か。
実はここは、お相撲さんが通院する整形外科の名医として有名である。
骨折した人から、骨折したらここがおすすめと聞いたことがあるが、実際どうなのだろう?





刀剣博物館と同愛記念病院の路地をしばらく歩き、左折すると、都立横網町公園がある。
私は、公園の中を突っ切って表門の方へ。
そちらは、都立復興記念館があり、やけに大きくて立派な建物であった。
静まり返っていて、この酷暑に涼しそうなところである。
ただ、何となく不気味に見える。

1923年9月1日は関東大震災の日。
1945年3月10日は東京大空襲の日。

いずれも、墨田区はひどい被害を受けた。
復興記念館は、そのような展示がされているが、正直、気軽に見たくなるところでもない。
が、時期的に、関東大震災はいつ起きてもおかしくないし、北朝鮮のミサイルだって飛んで来る可能性はゼロではないのだ。
今度、機会があれば、見てみよう。

あ、、、ペットボトルのお茶が。。。(*'ω'*)

私は、コンビニを探し、大通りに出た。
さらにジグザグ歩くと、やけに広い道になった。

その道路は、見覚えのある平坦な道だった。
しばらく歩くと、信号待ちの若い女性がいる。
髪の毛が紫色で、黒い服を着ていて、一見して、アーティストっぽい。

信号が青になり、私も彼女に後れて横断歩道を渡った。
少し歩くと、通りの向こう側に見えてきたのは(*'ω'*)、、、KAIKAの文字の看板であった。




アートストレージホテル東京KAIKA。
なるほど、両国駅から浅草方面に歩いて、東側に道をそれたから本所吾妻橋の南にたどり着いたのだ。

アートホテルKAIKAには、長い間、行ってなかった。
浅草駅から隅田川を渡り、何度か作品を見に行ったことがある。
手帳を調べると、去年8月、大澤ハルさんの展示作品(上記写真)を見に行って以来である。







ここは、今流行りのモダンな造りのアートホテルで、1階にギャラリーとカフェがある。
せっかく通りがかったので、ギャラリーを見て、カフェで休憩することにした。

今回は、上田まおかさんという女性アーティストの展示会だが、入口脇のこの小部屋(ギャラリールームA)に展示されるアーティストは、強烈な個性があり、売れっ子、あるいは売れっ子予備軍が厳選されているような気がする。
恐らく、場所がほぼ浅草で、外国人観光客が行き帰り、ほぼ必ず見るところだからではないか。

これに対して、カフェにも展示作品が何点かあるが、こちらはカフェの雰囲気に合う、モダンなインテリア作品が選ばれていると思う。
アートホテルKAIKAの1階は、全体的に、とても素晴らしいギャラリーに仕上がっていると思う。





ギャラリーAとカフェの間には、お馴染みの金網の展示室がある。
その中に、ユニークな作品が監禁されている。
が、相変わらずスマホで撮影しにくいし、一生懸命に目を凝らして中を見てしまう。
それにしても、ここで、大仁田厚の金網デスマッチと、乱闘劇をイメージしてしまうのは私だけ?(*'ω'*)

その後、カウンターでアイスティーを注文。
夏休みだからか、カフェはほぼ満席だった。
私はアイスティーのトレイを持って、仕方なく、一番遠い、はじっこの席へ。。。

おや(*'ω'*) こんな作品、、、前は、あったっけか?






またしても女性のヌードだ。
今度のヌードは、ずいぶん、スケールが大きい。

歩いてキャプションを見に行くと(絵の左隅の壁にある)、この絵は倉敷安耶さんの作品であった。
絵の女性は、シェークスピアの「ハムレット」の登場人物オフィーリア。
オフィーリアが川に転落して死んだシーンと書いてある。

そもそもハムレットは詳しくないんだよなあ、、、(*'ω'*)
解説を読んでも、よく分からない。
さすがに、「To be or not to be(生きるべきか死ぬべきか)」というハムレットのセリフは知っている。
が、それは絵とは関係ないようである。

私は、アイスティーを飲みながら、彼女の絵をしばらく眺めて過ごした。
美しい絵だ、、、




帰りがけ。
ギャラリールームAの前から、カフェの絵を眺めた。
以前と違い、手前の荷物の山が片付いて、よく見通せるようになった。

そういえば、今となっては昔の話。
合コンや飲み会でも、私は、はじっこの席に座ることがわりと多かった。
当時はまだ、他人にお酒を飲ませる、すすめる習慣があり、お酒に弱い私は、自分のペースで飲めて、すすめられにくい場所を選んだ。
つまり、それは、はじっこの席。

はじっこの席だと、当然だが、出会いの回数は少なくなってしまう。
だが、私の少ない経験上、はじっこの席には、意外と素敵な出会いがあるように思う。