2024/10/24

六本木アートナイト。何となく分かる・・・でも、よくは分からない、それがアートだ

 


9月27日。
慶應の三田キャンパスの近くにある、港区産業振興センターのピッチイベントにいってきた。
ベンチャー企業4社の社長や幹部が登壇したが、中でも注目は、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社だった。
ここは、アーティストとしても有名な落合陽一氏が代表取締役をしている売り出し中のベンチャー企業である。
2023年8月、ナスダックに上場も果たしている。

そのピクシーの登壇者が、会社方針のひとつ、「敬意と衝突」について語ったのが、私には非常に印象的だった。
以下は、敬意と衝突についての要約で、私なりの考えも含めてのものだ。

人はそれぞれ違うので分かり合えない。
が、相手に対し敬意をもって接するのが原則だ。
それと同時に衝突する必要もあるという。
衝突することで新しい価値が生まれる、衝突を恐れないマインドが備わっていなくては、良い仕事はできないからである。
衝突は必要かつ重要なプロセスとわりきれるかどうか、これは、ビジネスの世界に関わらず、何かを創造したい人も同じだと思う。




トークセッション後の交流会。
私は、会場を歩き回り、何人かと名刺交換をした。
やはり、慶應からふらふら来たお兄さんがいて、私は彼と少し話した。
わかれるとき、私は彼に、六本木通りのルルレモン(lululemon)の場所を聞いた。

「あれ、もう帰るんですか?」
「ええ。今日は六本木でアートのイベントがあるんですが、遠山さんの路上ライブを聞きたいのです」
「遠山さんって、スープストック東京の社長の?」
「そうです。こないだのイベントのとき、遠山さんは、六本木通りのルルレモンの前でやるといってたが、ルルレモンって、どこだか知ってます?」
「六本木ヒルズの近くの芝生のところですよ」
「ああ、あそこか」








ということで、六本木アートナイトでは、雨の中、「新種の老人」遠山正道氏の路上ライブを見てきた。

遠山さんは、スープストック東京や、Art Sticker(The Chain Museum)などの社長である。
また、画家でもあり、女子美術大学の教授でもあるというスゴい人だが、ふだんカジュアルな格好(作業服など)をしていて、ぜんぜん社長業には見えない。
そして、実際話すと非常に気さくな人柄である。

ライブが始まると、自作の歌詞を30分ほど、気ままに歌っていた。
私は、雨の中、人ごみに入るのがイヤで、少し離れた場所で、傘を差しながら聴いた。

歌詞は面白いが、結構シリアスだな。。。

アーティストや詩人・・・彼らは、何気ない日常の出来事や風景を、こんなふうに想像力を働かせて見たり感じたりしているのか、と思った。
彼らは、一般には想像もできないことを想像し、それを言葉にしたり、絵にしたりしているのだ。
これは、想像というよりは妄想といってもよさそうである。
鑑賞者は、その妄想的世界に共感できるかできないか、ということだと思うが、、、何となく分かる・・・でも、よくは分からない・・・アートや文学って、そんなものではないだろうか。






10月のある日。
私は、京橋のブリリアアートギャラリーで、落合陽一氏の展示会を見てきた。
9月のまだ暑いうち、ギャラリーの前を通りかかったとき、チョット気になっていたが、、、今回、ピッチイベントをきっかけに、初めて落合陽一氏の作品を間近で見てみようと思ったのだ。

ここまで来る途中、近所のポーラミュージアムに立ち寄ったが、アンリマティスの所蔵作品が展示されていた。
ポーラのギャラリーは、たくさんの客で、賑わっていた。
が、ブリリアのギャラリーで、私は、30分ほどの滞在中、1人の客とも出会わなかった。

まあ、この周辺の現代アートのギャラリーも、私が行くと、いつも、1人か2人の客がいるかいないかだから、これが普通なのだと思う。
しかし、果たしてこれで現代アートは、ビジネスとして成り立つのかどうなのか。
また、現代アーティストは作品を売って十分なお金がもらえるのか・・・などと思ってしまった。











落合陽一氏の展示は、理系男子が部屋にこもって夢中になって作っていそうな、ハードボイルドな作品群であった。
私は、ひとつひとつの作品を眺め、とても楽しい時間を過ごした。

例えば、工学部出身のアーティストや、建築系のアーティストなどもそうだが、私は、緻密に作り込まれた美の世界、計算された美の世界だと感じる。
芸大出身の女性アーティストの感性とは、違ったセンスがあり、これは、女性の感性よりも男性の理論によるものだと思う。


(参考文献・Yahooファイナンス)


2024年11月7日追記。
2024年10月25日、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社は、ナスダック上場廃止を発表し、11月に上場廃止見込みとのこと(Yahooニュース)。

海の向こうの話とはいえ、著名人の落合陽一氏が代表取締役をしており、投資の世界では、ビッグニュースといえる。
いくつかのニュースサイトの記事を読むと、経営基盤の脆弱な同社が上場コストを負担するのが厳しいから上場廃止するのだという。

上記チャートは、同社のADR株価チャートである。
このピッチイベントのとき、N先生が「ピクシーの株、ものすごく下がってます」と言っていたのを、私は思い出した。
実際にこの目で見たくなり、ネットで調べると、Yahooファイナンスに普通に出ていた。

こ、これは・・・上場以来、全然上がっていないではないか!
まあ、何というか、、、様々な事情があるとは思われるが、これは、さすがに、株主は怒ります。

2024/10/01

ギャラリー南製作所訪問










2024年6月15日。
兜町の日本テクニカルアナリスト協会本部で定時総会があった。
総会の終了後、東京証券取引所の近所のビルの地下にある「小楠国」で懇親会が行われたが、この店は、本格的な中華の店だった。
エビチリも麻婆豆腐も、激辛で、おいしかった。
中華饅頭に豆板醤を塗って食べるのも、私には斬新。
本格中華には、サッポロの黒ラベルが合うように思う。

このとき、私は、N氏と知り合った。
彼は証券業界を隠退し、夫婦でギャラリーをやっているという。
私は彼に、今度、ギャラリーを見に行く、と伝えた。
しかし、その後は忙しくて、訪問は9月になってしまった。





2024年9月21日。
私は、六本木に行く途中、寄り道をして、大田区にあるギャラリー南製作所を訪問した。

品川で京浜急行の羽田空港行きに乗り換え、大鳥居駅という小さな駅で下車した。
暑いので、コンビニで冷たいお茶を買い、飲みながら、下町の住宅地を歩いた。
15分ほどで、ギャラリー南製作所に到着。
この日は、「佐藤和子展・縞帳と紙布と紙子」の初日だった。

古い建物の中に入ると、N氏と奥さんがいた。
挨拶をして、名刺交換をすると、ギャラリーの主は、N氏ではなく、奥さんの方であった。
廃業して使わなくなった実家の町工場を、ギャラリーとして再利用しているという。




入口脇にドラム缶があり、山盛りの金属片が入っている。
以前は金属加工業を営んでいたのだろう。
町工場の建物だけあって、屋根は高く、広々とした空間である。
イベントにも適していると思った。
壁際に古びたアップライトピアノが置いてあり、実際、ライブや演劇などもよくやるそうだ。

奥さんと話した後、今度は、N氏と話した。

この辺りは住宅街だが、昔は町工場がたくさんあったそうだ。
80年代バブルの頃は、大田区の町工場は好景気に大いに沸いていた。
町工場の経営者たちは、競って株式投資や不動産投資をした。
しかし、バブル崩壊で大ダメージを受けた。
その後、大田区の町工場は、どんどんダメになっていった。
不景気と円高と資産価格の下落、全ての材料がアゲインストである。

私が聞いたのは、日本経済の教科書の通りのエピソードだった。








N氏と一緒に、佐藤さんの展示作品を見て歩いた。
紙で作った着物、あるいは肌着などが展示されているが、どれも地味である。
展示作品が地味だと、素人の私は、少々退屈。

おや、、、これは?

大きな織機が置いてある。




「この機械は、織り機ですね?」
「そうです。和紙というのは、織ると思いのほか、頑丈になります」
「織るのは、重労働でしょうね」
「ええ、佐藤さんは、ご高齢なので、これが最後の展示会になると思います。ちなみに、佐藤さんの作品は、最近、イギリスで話題になり、売れているのです」
「エエ! イギリスで認められているなんて、スゴいですね」
「そうでしょう。こちらへ来てください」

N氏が私を案内し、すみっこのテーブルの前にいくと、高級和紙の小さなパンフレットが展示されていた。
それには英語で文字がビッシリ書かれており、高価な洋書の1ページのようだった。
私は、パンフレットを手にとったが、手帖ほどのサイズなのに、高級感と重厚感があった。

「これは?」
「佐藤さんの和紙で作ったパンフレットです。英語でPRが書かれています」
「すごく、イイ紙ですね」
「はい。実は、何十年も前の昔話ですが、佐藤さんの知人の男性が、佐藤さんの和紙が世界に売れる!と確信し、自腹で海外向けのパンフレットを大量に刷ったんです」
「なるほど、これが、、、」(そんな昔に、世界に売れると確信したのか・・・)
「しかし、当時はまだ規制も厳しかったし、そもそも彼にはコネクションも販路もなかったので、佐藤さんの和紙の海外進出は、失敗に終わりました」
「やはり、無謀ですよね。でも、佐藤さんの作品は、彼には、よほど魅力的だったんだろうなあ」
「そうですね、、、」

私は少し考えてから、N氏に質問をした。

「あのう、、、ギャラリーって、シロウトでも、できますか?」
「ええっと・・・あなた、ギャラリーをやりたいんですか?」
「いや、ええと、チョット聞いてみただけです」
「まあ、国家資格もいらないし、誰でもできますけど。ただし、儲かる商売じゃあないですよ」
「そうでしょうねえ、、、」
「そうですよ、、、」
「そういえば以前、京橋のギャラリーで、顔なじみのおばちゃんに、私もギャラリーをやってみたい!と言ったことがあったな。絵はそう簡単に売れるものではない、家賃を払うのが大変よ、と叱られました(汗)」
「ここは自社物件ですが、家賃なしでも厳しいですよ」
「そうなんですか」
「そうですよ、、、」

時計を見ると午後2時を回っていた。

「あ、用事があるので、私、もう帰ります」
「またいらしてください」




私は、ギャラリー南製作所を出ると、来た道を戻った。
典型的な東京の下町の住宅地だ。
バブルの頃、この辺りは町工場がいくつもあったはずだ。
しかし、いまは、作業服を着た人もいないし、金属加工音なども聞こえなかった。

予定通り、六本木へ。
これから、倉敷安耶さんの「Breast」を見に行く予定なのだが、予約時間まで、まだだいぶ時間があるので、東京ミッドタウンのベンチに座って、休憩した。
私は、ペットボトルのお茶の飲み残しを飲みながら、行き交う人たちを眺めた。




そういえば、佐藤和子さんの若い頃の写真は、ギャラリーに飾られていなかったが、若い頃の彼女は、美人だったのだろうか。
やがては知人男性の信じたとおり、佐藤さんの作品は世界に・・・いや、イギリス(欧米)に認められたのだ。
それは、佐藤さんが、あのような写真のおばあちゃんになってからの話であるが、そのとき知人男性は、もう死んでいたと思われる。
ただ、アーティスト自身が生きているうちに世界に売れたのであれば、超ラッキーといえるだろう。
これは、なかなかスゴいことではないか。

私は、アート(アートビジネス)への投資というのは、非常に難しいものだな、と感じた。
そして、彼はきっと、佐藤さんの「作品」に惚れたのではない、と思った。

まだ日本で売れていない彼女の作品を、海外に輸出するビジネスなんて、普通なら勝算がないと考えるだろう。
それなのに、高級和紙のパンフレットを大量に刷って、アートビジネスを起業するなんて、着手のタイミングが早過ぎるのではないだろうか。
ただ、この和紙の作り手は彼女なのである。
恐らく、彼は、彼女から、和紙を全て買い上げたかもしれない。
私は、何やらこれには、ビジネスの理屈ではない事情があるような予感がした。