実は、このときAさんは、亀有のラローズジャポネのカフェにいた。
友達と一緒にパーティーをしていたが、私に呼ばれ、三越前のBNAホテルまで、倉敷さんの壁画を見に来てくれたのだ。
そういえば、Aさん、いま、どうしているだろう?(*'ω'*)
私は、あの日以来、彼女とは約3年半、一度も会っていない。
3年半は、長い空白である。
私は、夜遅く、彼女にメッセージを送ってみた。
すると、彼女の返事は、以前と変わりなく、元気だった。
そういえば、Aさん、いま、どうしているだろう?(*'ω'*)
私は、あの日以来、彼女とは約3年半、一度も会っていない。
3年半は、長い空白である。
私は、夜遅く、彼女にメッセージを送ってみた。
すると、彼女の返事は、以前と変わりなく、元気だった。
以前と同じようにワインの仕事をしており、以前と同じように忙しい。
日曜日以外、休みがとれないと愚痴っているのも同じだ。
雑談の後、いずれまた日曜日に、アートホテルの展示会(ホテル雅叙園百段階段)に行く約束をしたが、約束をすることは簡単である。
ただ、実現に関しては、3年半もたつと、その見込みが、あまりないような気がする。
彼女の返事も、どこかそっけなく、暗黙の社交辞令のようなものではないかと思えた。
私たちのスケジュール調整は、今後も、うまくいかないのかもしれない。
(2024/12/06「アリオ亀有、ラローズジャポネ、香取神社」より)
12月15日。
私は、ひとりで、ホテル雅叙園に行き、ギャラリー「百段階段」を見てきた。
キレイなホテルの正面玄関脇に、ギャラリーの受付がある。
エレベーターに乗って、3階に上がると、扉の向こうは旧雅叙園の建物になる。
最初、雅叙園はレストラン(日本料理と北京料理の料亭)として始まった。
披露宴の用途で利用されるようになると、総合結婚式場サービスに事業を拡大。
その後、さらに発展して、高級ホテル事業者となった。
百段階段の建物は、「料亭」の雅叙園である。
昭和の終わりまで使われていたが、いまは都の有形文化財となっている。
100段ある階段の途中に、いくつか踊り場があり、踊り場から宴会場の部屋に入れる。
要するに、階段状の料亭なのだが、各宴会場の襖、壁、天井などに、見事な絵が描かれている。
私が見ているとき、ガイド付きの鑑賞ツアーのグループがいた。
そばでガイドの話を聞いていると、今回の企画は「百段百景」という。
普段、ここはギャラリーで、現代アートなどが飾られるが、今回はあえて何も飾らず、百段階段そのものの見事な画を堪能する、ゼイタクな企画とのことである。
この部屋は例外で、現代アートが飾られていた。
一番左は、見覚えのある絵だった。
ひと目で分かった。
これは、加藤美紀さんの絵だ。
女性が素敵な着物を着ている。
彼女の絵は、百段階段に似合う画風で、実に華やかだ。
その後、再び階段を上がると、最上階に着いた。
最上階は、雅叙園の庭を見下ろせる展望部屋である。
昔の建物なので、たいして高くはなく、絶景を見下ろせるというわけではなかったが、百段階段を解剖した面白い現代アートが飾ってあった。
雅叙園を出た後は、スターバックスへ。
ダークモカチップフラペチーノと、ピザパンを食べた。
最近、スターバックスでは、この組み合わせばかり食べているが、結構、満腹になるのだ。
その後、私は、南青山へ。
国道246号線と骨董通りの交差点そばの「東京ウィメンズプラザ」に行った。
ここで、午後2時から昭和女子大学総長の坂東眞理子先生の出られる「リーダーシップ111設立30周年シンポジウム」というイベントがある。
私は、坂東先生のファンのひとりとして、気軽にこのシンポジウムに参加したのだが、一体どんな内容のイベントなのか。
ズバリ、ジェンダー平等の勉強会であった!
参加者は、ほぼ女性。。。
ただ、客席を見ると、男性も少数いた。
私は、1つ手前の路地に迷い込んで遅刻したため、2階席へ。
パネリストは、坂東先生のほかに3人いたが、社会を変える女性リーダーたちのネットワークの集会であった。
ミッションは女性活躍、女性差別撤廃である。
案内チラシを見ると、1994年設立時のメンバーが一覧で載っている。
おお、そこに坂東先生の名前もあるではないか!
ほかに有名人は、サントリー取締役で外務大臣も務めた川口順子氏もいる。
シンポジウムの話を聞くと、坂東先生は、日本のジェンダー平等における超重要人物と分かった。
男女雇用機会均等法が制定されたのは、昭和バブルの1985年。
ときの労働局長赤松良子さん(のち文部大臣)は「均等法の母」とも呼ばれる。
昭和は景気が良かったが、民間企業の女性の仕事は、雑務やお茶くみをすることなど、男性のように活躍できなかった。
しかし、霞が関の官庁は、難関国家公務員試験とそれに基づく序列的なキャリア制度があるため、女性も男性のように活躍する余地がある。
そう考えて、坂東先生は、東京大学を卒業してキャリア官僚になった、といっていた。
そして、総務省に入った坂東先生は、男女雇用機会均等法を役所や民間企業などに周知、実行させる業務に従事し、ジェンダー平等の推進役として大活躍したのだ。
イベント終了後。
私は、客席にいた何人かの女性と話す機会があった。
名刺交換をした女性たちは、やり手の人ばかりであった。
なかでも、元リクルートの著名編集者がいた。
リクルートの有名な情報誌「週刊住宅情報」、その編集長をしていた渡邊嘉子さんである。
いまは、ご自身の出版社を経営しており、女性活躍応援マガジン「オピニオンプラス」(季刊誌)を作っている。
私は、その場で、サンプルを2冊いただいた。
週末に通読したが、非常に良い記事ばかりなので、ここで宣伝しておこうと思う。