湯島天神は、菅原道真を祀った学問の神様の神社である。
初詣のときは、受験前で、非常に混雑するが、今は、まだ空いている。
私たちは、初詣では自分勝手な願い事をするものだ。
しかし、年末なら1年の無事を神様に感謝することもできる。
そんなお参りの仕方もあっていいと思い、私は勝手に「終わり詣」と名付け、毎年12月に、ふらりと立ち寄り、参拝している。
忙しい師走に、ホッとする時間が作れるので、私的には、おすすめの参拝方法である。
今年は12月20日、湯島天神に立ち寄った。
私は、例年どおり、御朱印帳を持参し、御守り売場の横の窓口で、巫女さんに御朱印帳とお金を渡した。
書きあがるまで、しばらく境内を散歩。
恋みくじのハコの前で、ふと立ち止まり、ハコを眺めた。
1枚、引いてみようか(*'ω'*)
いや、やめておこう。
湯島天神の恋みくじといえば、Rさんのことを思い出す。
そういえば、Rさん、最近、どうしているだろう?(*'ω'*)
彼女は着物が似合う美人だが、今度、サントリー美術館にでも行こうと、メッセージを送り、それっきりだ。
そこから、だいぶ経過したが、彼女からの御返事はない。
彼女は、以前と同じ御仕事をしており、御忙しいようだ。
私は、御朱印帳を受け取った後、湯島天神を出ると、大通りを上野広小路交差点方面へ歩いた。
御徒町から、電車を乗り継ぎ、新宿へ。
新宿西口の損保ジャパン美術館(SOMPOミュージアム)では、年末まで、「カナレットとヴェネツィアの輝き」という展示会をしている。
本日の私の目的は、湯島天神の終わり詣と、この展示を見ることだった。
これは、ヴェネツィアの風景画の展示会である。
カナレットは、ヴェドゥータの巨匠である。
ヴェドゥータ(Vedute)とは景観画という意味で、特別な技法を用いて描かれたものを指す。
この技法で、ヴェネツィアの美しい風景を描いた代表的画家が、カナレット。
本名は、ジョバンニ・アントニオ・カナル。
舞台芸術家で父のベルナルド・カナルと区別するのに、小さなカナルという意味で、カナレットと呼ばれるようになった(下記の肖像画の左側)。
カナレットの絵は、ヴェネツィアを訪れるイギリス人観光客に人気だった。
そこに描かれているヴェネツィアの風景は、写実的ではあるものの、実際の景色そのままではない。
解説によれば、名所の建物や、古代遺跡、架空の建物などを巧みに組み合わせて構成されているという。
そうして、観光客がおみやげに買いたくなるようにしたのだ。
その後、館内を歩くと、次の部屋の解説ボードに、カプリッチョ(capriccio)のことが書かれていた。
カプリッチョとは、イタリア語で、音楽の世界では、奇想曲などと訳される。
一般に、気まぐれで、自由自在な展開を見せる曲だ。
上記の絵がカプリッチョ。
美術の世界では、「架空の景観をあたかも現実に存在するかのように描いた」(美術館解説より)ものが、カプリッチョである。
カナレットはカプリッチョの作品も多く遺した。
まあ、確かに・・・音楽も、絵も、あるいは、女性も・・・その美しさは、ありのままに限らず、部分的にウソや誇張が含まれているだろう。
その後、私は、階段を降り、3階の展示室へ。
最初に、損保ジャパン所蔵の名画ゴッホ「ひまわり」がある。
しばらく「ひまわり」を眺め、次の部屋へ進むと、そこから先はまた、ヴェネツィアの風景画が並んでいた。
ただ、これまでのものとは雰囲気が違う。。。
何となく、この部屋の絵は、躁鬱の世界のようだ。
何枚かの絵を見ているうち、私は、目の前の病んでいるような絵、ゴッホの絵のような、メンヘラ的画風で、自分自身の精神がさいなまれていくような気分になった。
ひと口に風景画といっても、物質的客観的で、淡々としているとは限らない。
私は出口の方へ。
しかし、そこに飾られていた最後の絵は、本展示会の締めであるが、これまでのものより一段と大きく、前半で見たような透徹した見事な風景画だった。
(ウィリアム・ジェイムズ・ミュラーの作品「ヴェネツィアのカナル・グランデサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望む」William James Miller The Grand Canal Venice, Looking towards Santa Maria della Salute)
健全で迫力がある。
青い空と青い海。
運河と聖堂の見える港町。
絵の中央、遠くに見える像は、運命の女神だという。
「その奥の白い横長の壁面は、かつて 「海の税関」とも呼ばれたドガーナ。端の塔の上には、2体のアトラス像が支える球体の上に立つ、運命の女神の像が小さく見えている」(美術館解説より)
なるほど、運命の女神像か。
運命の女神・・・私にとっての運命の女神とは、、、もしかすると彼女は、海の見える港町の出身なのかもしれない。
まあ、それはさておき。
ゴッホの「ひまわり」の前後から病みかけていた私は、この健全なる絵のおかげで自分自身を取り戻し、爽快な気分で美術館をあとにしたのだった♪