2025/03/09

Index

■最近の記事
  • (第3部エピローグ)私の書いたことが本になるなんて(2)
  • (第4部)名画「舞踏会の手帖」を紐解く
  • コンスタンチンシェルバコフのラフマニノフ
  • ウン、これなら間違いない。確かに、あなたは本を出したわ
  • サロメ、あるいは、なぞうさ?
  • 私のマドモアゼルルウルウを求めて
  • 縁が通じるお寺「圓通寺」訪問
  • 投資顧問の大御所、楽天投信投資顧問の東眞之社長との再会
  • 短冊って何かしら?
  • 愛するあなたへ全財産を与える遺言書の書き方!?
  • あんみつ先生の役に立たない人生相談!?
  • 人生100年時代の終活フェア
  • 彼女の本性は「ワルい女」である
  • 私はついに(*’ω’*)//!!中村萌さんご本人とお会いできた♪
  • ラーメン食べ歩きの道は険しい
  • 創業手帳の「ライトニングトーク」
  • 卒業前の再会
  • もし私が峰不二子のような美女に誘惑されて、危険な精神状態に陥ってしまったら・・・
  • 聖心女子大学のカフェでカレーを食べた。ピリ辛で、おいしかった( ゚Д゚!!)
  • 昭和女子大学の学食で、苺のドーナツを食べた。甘くて、おいしかった( ˘ω˘)/
  • 大作家で著名なフェミニスト坂東眞理子総長と歓談♪
  • 神田明神の異業種交流会
  • 坂東眞理子先生の名著「女性の品格」を読む
  • このジュエリー(Psyche)は、本物の蝶の羽根を使用しているそうだ
  • 色本藍、東京藝術大学大学院、美術研究科油画技法材料研究室、修士課程
  • ズバリ、彼女は大物になるような気がする(*'ω'*)!!!
  • Don't Trust Pretty Girls
  • 八重洲茶寮の企業顧問向け異業種交流会
  • アートの世界に逃れる?
  • アートホテル行(1)BNAWallアートホテルイン東京
  • 絵画の起源とされるエピソード
  • これは、夏バテ防止にとても良いのではないか
  • 屋台のチョコバナナ
  • 女の世界
  • ギャラリーフロレゾン跡地再訪
  • 蝶々夫人(1)離れ離れになって3年だが、心変わりは一切ない
  • 蝶々夫人(2)くれぐれも安易に「結婚してほしい」などと相手に申し込んで、やりっぱなしにしておかないことだ
  • 私の努力が報われる!?
  • 1980年代のデジャヴュ、、、
  • 湯島天神の男坂、女坂
  • 人生楽しんだもの勝ち・・・なるほど!!(*'ω'*)
  • 2つの新NISA講演会
  • 神田明神の開花楼、男坂
  • 神田明神の男坂門
  • The Chariot
  • アートホテル行(2)KAIKA
  • 夢遊病の女
  • ビミョウな関係
  • 分離の予感?
  • 倉敷安耶さんの「Breast」
  • ギャラリー南製作所訪問
  • 六本木アートナイト。何となく分かる・・・でも、よくは分からない、それがアートだ
  • 戸田建設「Tokyo Dialogue 2024」
  • 坂東眞理子先生のお茶会「マリコズカフェ」に行く!
  • 終活講座の秋
  • もうすぐ、クリスマスだ(*'ω'*)
  • わたしのInner Landscapes
  • リラックスする犬
  • アリオ亀有、ラローズジャポネ、香取神社
  • アサヒスーパードライミュージアム忘年会ツアー
  • 東京會舘クッキングスクール×NINJAミキサー=フランス料理のタダ食い
  • アートホテル行(3)雅叙園百段階段
  • 錦糸町パルコのABCクッキングで「洋風おせち」を作った
  • カナレットと、ヴェネツィアの輝きと、・・・の美しさと
  • クリスマスは、ABCクッキングで、苺のショートケーキを作った
  • 神田明神の終わり詣
  • 2拠点生活と作家という肩書
  • 年末年始、姪っ子の犬を預かった
  • 新年早々、妻家房
  • 家督相続と隠居と事業承継と(1)
  • 家督相続と隠居と事業承継と(2)
  • 家督相続と隠居と事業承継と(3)
  • トッピングの罠?
  • 黄昏の犬
  • 青山骨董通り散歩
  • バレンタインは、ABCクッキングで、ハートのティラミスを作った
  • ここに、ワイドショーで見た、上川陽子さんが来るのか(*'ω'*)
  • とるに足らない雲の力学

■執筆者
加藤光敏
詳しいプロフィールについては、KADOKAWAのウェブサイトをご覧ください。

■連絡先
会社のウェブサイトのContactよりお問い合わせいただけます。

2025/03/01

とるに足らない雲の力学

2月のある日。
朝のニュースでは、この冬、最も寒くなるといわれていた。
私は、最も厚いマフラーをひっかけて家を出た。

お昼前に、銀座に着いたが、非常に寒かった。
私は、歌舞伎座の方へ歩き、脇の路地を歩き、ギャラリームモンという小さなギャラリーへ。
ギャラリームモンでは、新春恒例のグループ展「鸞翔鳳集 RAN SHO HOU SYU」が開催されており、その案内が来たので、ふらりと立ち寄ったのだ。
その後、4丁目交差点のソニーギャラリーの展示会に行った。
今回の展示会のタイトルは、「とるに足らない雲の力学」。







田凱氏によるこの写真展は、非常に素晴らしかった。
展示されている写真は、平凡な日常の中にある景色だが、解説を読むと、興味深い詩が書かれていた。
私は、立ち止まって考えた。

田凱氏の詩によれば、「それは探し求めるものではなく、 ある瞬間、不意に訪れるもの」だという。
そして、「私はイメージを捕まえない。イメージが私を選ぶのだ」とある。

さらに詩はこう続く。

「都市の喧騒の中で、その手は触れない。むしろ、カメラがそっと撫でるように、 世界を映し取る」「すべては自然に、あちら側からこちらへと、私の内に降り立つ」




以下は、私なりの解釈である。

フォトグラファーの彼が、とびきり美しい女性や芸術的な景色を探し求め、撮影の旅に出る。
しかし、あちこち回って、お目当てのものを捕まえにいくと、なかなかイイ写真がとれない。
そこで、野原に寝転んで、ぼんやり、雲を見上げていると、ある瞬間の雲の形状が芸術的で、彼の理想とする写真にハマっていたりする。

彼は、その雲を見て、感動して、直ちに写真を撮る。
ただ同時に、少しガッカリもするだろう。
明日からは、撮影の旅に出ず、ただ、雲を眺めていればよいのではないだろうか。

勤勉で常に忙しくしている人間より、余裕をもって生きている人間の方が、成果が出てしまう。
意外と世の中、そんなものではないだろうか。





私は、そんな解釈をして、ソニーギャラリーを出た。
エスカレーターをおりて、2階の日産のショールームの窓際で休んだ。
椅子に座り、4丁目の交差点を見おろすと、和光のビルの時計が、ちょうど3時を指すところだった。

まもなく、鐘が鳴り始めた。
私は、これは良いタイミングだと思い、スマホで撮影をした。




その後、往年の名車「ダットサン」の真っ赤な車体に目がいった。
現在の基準では、スタイリッシュではないのかもしれないが、とても、かわいらしい車である。

日産自動車の傑作だ・・・いや、待てよ、、、(*'ω'*)

いま、日産自動車は経営危機で、ホンダとの統合でも、もめている。
経営が火の車なので、ダットサンの赤を展示したのでは?




1階のショールームのフォーミュラカーも真っ赤だった。

私は、その後、向かいの三越へ。
喫茶店を探したが、2階に「ラデュレ」というおしゃれな喫茶店があったのに、それがない。
インフォメーションの女性に聞くと、すでに1年ほど前に閉店した、といわれた。

アレ、、、そうだっけ?(*'ω'*)






私は、三越を出て、銀座駅の地下道を歩いた。
和光ビルの地下の出入口にショーウィンドウがあり、色鮮やかな赤いドレスが飾られていた。
これが、ひときわ、私の目をひいた。
確かに、紺や白のドレスよりも、赤いドレスの方が、女は目立つ。
銀座の待ち合わせでも、人込みの中で、男にすぐ見つけてもらえる。

それにしても、私は、先ほどから、赤いものばかり見かけるが、最近の銀座のテーマカラーは、赤なのだろうか。

その後、私は、スターバックスへ。
あえて、パッションティーを頼んだ。
テーブル席に座り、鮮やかな赤のパッションティーを飲むと、私は、「赤」=「情熱」=「パッション」ということを思った。




しかしながら、先ほどの「とるに足らない雲の力学」は、情熱とは相反する、受け身の極意だと思うのである。
自分から探さず、偶然に身を委ねる。
それは、写真家としての彼の自信の現れなのだと思う。

勤勉で常に忙しくしている人間より、余裕をもって生きている人間の方が、成果が出てしまう。
意外と世の中、そんなものではないだろうか。

白いドレスの美女は探し求めるものではない。
ある瞬間、不意に訪れるものだ。
私は彼女を捕まえない。

私は、いつも、アートに学ばせられる。
私は、受け身でいることにした。

田凱氏の詩によれば、「それは探し求めるものではなく、 ある瞬間、不意に訪れるもの」だという。
そして、「私はイメージを捕まえない。イメージが私を選ぶのだ」とある。

さらに詩はこう続く。

「都市の喧騒の中で、その手は触れない。むしろ、カメラがそっと撫でるように、 世界を映し取る」「すべては自然に、あちら側からこちらへと、私の内に降り立つ」

では、ラーメンでも食べて帰ろう。


2025/02/21

ここに、ワイドショーで見た、上川陽子さんが来るのか(*'ω'*)



先日、つくば市内で、上川陽子元法務大臣の講演と懇談会があった。
近所でもあり、面白そうなので、見に行ったが、こういった政治イベントの参加は、初めてである。

午前中のうちに仕事を終わらせ、お昼過ぎに出発。
守谷駅で乗り換え、つくばエクスプレスで、研究学園駅に着いたのは3時過ぎだった。
会場のイーアスつくばは、駅から歩いて10分ほど。
開始まで1時間ほどあり、早すぎる到着であった。

私は、スーパーマーケットで、おやつを買い、イートインに入った。
お菓子を食べながら、上川議員のことをネットで調べてみた。

上川陽子氏は、静岡市出身の71歳(1953年生まれ)、東京大学卒、ハーバード大学ケネディ・スクール修了、三菱総研で研究員をしていた。
法務大臣3回、外務大臣1回(岸田内閣)歴任。
大物女性議員のひとりで、次期総理候補として最有力だと思う。
同じ東大卒の坂東眞理子先生のお知り合い(?)のようだが、昭和女子大学で講演をしたことがある、と書いてあった。

ふむふむ(*'ω'*)スゴイ~!!





まだ時間があるので、私は、イートインを出て、しばらく、ショッピングモールを散歩した。
映画館(MOVIX)があったので、ちょっと、中を覗いてみた。

最近は、どんな映画が、はやっているのだろうか。
久しく、映画を見ていないなあ、、、(*'ω'*)

その後、開場時間になったので、モール内の会議室へ。
スーツ姿の男性たちにまじって、選挙戦用のオレンジ色の上着を着たスタッフが数人いる。
ずいぶん賑やかだ。
私は、名前を告げて受付を済ませた。
すると、茨城県警の屈強な男性(SP)がやって来て、手荷物検査とボディーチェックを受けた。

私は、会議室の中に入り、最後列の席へ。
スマホを眺めていると、議員秘書の女性が挨拶にやって来た。
前の席があいているので、ぜひ、前へどうぞ、といわれた。
そういわれると、いいです、とは言いにくい。
私は、思い切って、上川さんに最も近い最前列の左側の席に座ることにした。




超至近距離だ。
茨城県警のSPにマークされてしまいそうだ。

ここに、ワイドショーで見た、上川陽子さんが来るのか(*'ω'*)

国光さんは、予算委員会があり、到着が少し遅れたが、上川さんは、時間どおり到着。
上川さんが、ひとりで、30分ほど、講演をした。

上川さんの実物は、うちの近所に住んでいそうな、ごくフツーの女性であった。
特別な感じがするということはなかった。
が、上川さんの講演は、アグレッシブで、非常に面白かった。
集まった男たちを圧倒するような覇気と喋り方で、私は、釘付けになった。




議員の演説というと、仕事帰りの駅前などで、マイクの選挙演説を聞かされることがある。
それは、正直言うと、うるさいなあ、と思うだけで、通り過ぎてしまうものだ。
しかし、こうして、会議室などで、対面の話を聞くと、ぜんぜん違うのである。

さて、この集まりについて少し説明しておこう。

これは、党派的な政治集会ではない。
弁護士、司法書士など、法律業界人が集まり、主に、高齢者の社会保障制度に関する法改正について、議員と率直に意見交換をするための場である。
士業の先生の協会や団体にも、政治的組織(政治連盟)というものがある。
自分たちの権益の獲得や維持のため、いろいろな政治活動をしていかないといけないからだ。
国家資格の先生といったって、士業事務所のほとんどは、零細個人事業主なのだ。





講演終了後。
上川さんは、屈強なSPに促されて、あっという間に帰ってしまった。
サインをもらいたかったのだが、、、
部屋を出る前に、私は、左隣にいる青年と、少し話した。

「先生、ご挨拶、よろしいですか」
「よろしくお願いします。お名刺、ありがとうございます。おや、◯◯社(某大手企業)の方なんですね」
「はい。私は、自民党員として、ここに来ました。将来、政治家になりたいんです」
「おお、スゴい。政治家志望ですか。もしかして、自民党から出馬して国会議員になるんですか?」
「いや、国会議員は、私には無理です」
「そうですか。上川さんもそうだけど、国会議員は、すごい経歴の人たちばかりですよね」
「ええ。上川さんもすごいですが、国光さんも、すごいですよ。医者で、国会議員ですから」
「なるほど。国会議員が無理なら、県議会議員は、どうです?」
「私は、市議会議員ができたらいいな、と思っております」
「市議会議員ですか。世間からあまりうるさく言われないし、ひっそり稼げて、なかなかイイかもしれないなあ(笑) 選挙に出たら、ぜひ、頑張ってください。では、私は忙しいので、これで失礼します」







数日後。
私は、茨城県の県庁所在地水戸市に行った。
水戸生涯学習センターから、終活講座を頼まれたので、担当者と打ち合わせをした。
その後、水戸法務局で、相続と遺言書の無料相談会があり、私は、相談員のひとりとして参加した。

相談会は、無事、夕方に終わった。
帰るとき、法務局の職員から、(法務局主催なので)お礼を言われたが、差し入れに、リアルゴールドをもらった。
帰りの電車内では、水戸エクセルで買ったおみやげの干し梅を食べながら、リアルゴールドを一気飲みした。

リアルゴールド・・・結構、おいしい(*'ω'*)!!


2025/02/18

バレンタインは、ABCクッキングで、ハートのティラミスを作った

先日は、バレンタインデー企画ということで、ABCクッキングで、ハートのティラミスを作った。
ただし、グループ受講ではなく、iPadのレシピ動画を見ながら、ひとりで作るコースである。

去年12月の「クリスマス企画のショートケーキ」も、ひとりで淡々と作った。
このときは初めてのひとりコースで、戸惑いながら作ったが、ケーキの出来はイマイチだった。

今回は、うまくいくだろうか!?(*'ω'*)




前回と同じく、米粉をベースに、スポンジケーキを作った。
米粉のスポンジケーキは、若干パサついていて、ケーキのうまみも、物足りないとは思う。
しかし、誰でも簡単に作れる優れものである。

私は、動画を一時停止しては、作業工程を確認。
動画の指示どおり進めていき、最後に、電子レンジで、3分ほどチンをして完成。
スポンジケーキ作りまでは、すべて、順調にいった。




続いて、3枚のフィルムを貼り合わせ、ハート型の枠を組み立てる作業へ。
これも何とかうまくいき、キレイなハート型のフィルムが完成。

ちなみに、向かいの美人の女子大生は、思うようにいかず、歪んだハート型のフィルムが完成していた。
ただ、先生不在なので、お互いに話すこともなく、自分のケーキ作りで精いっぱいであった。

そして、いよいよ、スポンジケーキのカットの工程に入った。
前回、クリスマスのときのショートケーキ作りでは、うまくカットできなかった。
そこで、今回は慎重にスライスをしていった。

急がば回れというが、私は、苦手なことや、難しいことは、時間をかけて、ていねいにやることで、たいていは、うまくいくと思っている。
結果、4枚とも、キレイに薄く、カットすることができた。





ここまでは、自画自賛だったが・・・実は、ケーキ本体の組み立ての段階になり、3枚切りでよかったことが判明。
私は、4枚切りにしていたため、余った1枚をどうするか先生に聞くと、持ち帰ってもよいし、ケーキ本体にくっつけてもよいといわれた。
私は、ケーキ本体にくっつけることにした。

ケーキ本体の組み立てでは、フィルムの中にスポンジを詰める、刷毛でシロップを塗る、その上に、ティラミスのクリームをかける、このような工程を繰り返し、サンドイッチ状に高くしていく。
2枚目のスポンジをのせると、その次は、ティラミスクリームの上に、ラズベリーをのせる、という動画の解説があった。
そこで冷蔵庫を見に行ったら、ラズベリーがなく、袋入りのラズベリーパウダーというのがあったので、私は、そちらをふりかけてみた。





その後、先生に確認すると、ラズベリーは冷凍なので、裏のスペースの冷凍庫にあるということだった。
私は、ラズベリーを手に入れて、のせていった。
パウダーの見栄えがあまりよくないのが気になるが、この上に最終のスポンジをのせて、フタをするので、あまり気にする必要はなかった。

しかし、3枚目のスポンジの上に、余った1枚のスポンジも丹念に詰めると、想定外のことが。。。




次第に、ケーキ本体がふくれてきたのだ。
そのため、フィルムのV字部分が押し出され・・・ハート型ではなく、ほぼ丸い形状のティラミスになった。

まあ、仕方がないか。。。

いちごのパウダーをふりかけて完成。
マスカルポーネチーズと生クリームをたっぷり使っているので、非常においしいティラミスであった。

2025/02/14

青山骨董通り散歩




南青山の渋谷寄りに、骨董通りというのがある。
12月15日、表参道駅から、国道246号線を渋谷方面に歩き、その向こう側の東京ウィメンズプラザで、坂東眞理子先生の出られる女性活躍のシンポジウムに参加した。
その様子は、以前の記事(2024/12/19「アートホテル行(3)雅叙園百段階段」)に書いたとおりである。

東京ウィメンズプラザの手前に大きな交差点(南青山5丁目)がある。
ここは、国道246号線と骨董通りの交わる場所で、スターバックスがある。
10月のある日、私は、骨董通りの周辺の会社と、仕事のアポがあったのだが、早めに着いたので、スターバックスで休んだ。








店内は狭く、混雑しており、若い女性客が多かった。
大きなテーブル席に相席で座ると、私の向かいの3人は、すべて、おしゃれをした可愛らしい女性だった。
以前、ネイルサロンの社長に連れていってもらったことがあるマッチング居酒屋にいるような気分になったが、これから仕事の準備をしなくてはいけない。
私は、かばんから、書類を取り出し、しばらく読んだり、メモをしたりした。

そのうち、女性店員が店内を回り、キャラメルホイップのミニカップ(サンプル)を配り始めた。
私は、それをひとつ受け取ったが、ダークモカチップと違い、とても甘かった。





約1時間後、私は店を出て、目的地に向かい、骨董通りを歩いた。
先方から送られた案内を見ると、骨董通りから狭い路地に入るとある。
青山界隈は、表通りは商業施設だが、路地の方は高級住宅街である。

路地をしばらく歩き、私が行き着いた場所には、モダンな一戸建ての建物があった。
これから仕事の話をするのに意外だった。
エントランスには、大きな壁画のような現代アートが飾られており、私は、その絵の前で、社長秘書に電話をかけた。
到着を伝えると、「今からそちらに行きます」と返事があり、エントランスで10分ほど待つと、彼女がやって来た。
私は、彼女に案内されて、エレベーターに乗った。

エレベーターの扉が開くと、そこは全体的に薄暗い空間で、広く静まり返っていた。
一歩踏み出すと、私の革靴の靴音が響き、私の緊張感が増した。
まもなく、入口脇の薄暗い部屋から、黒服の女性が私たちを出迎えた。
彼女の背後、薄暗い部屋の奥に背の高い黒服の男性が見える。

どうやら、ここは、サロン(?)のようだ。

黒服の女性から、「奥の部屋へどうぞ」と言われた。
ガラス張りの応接室に入ると、女性秘書は私に「仕事場に戻ります」といって、姿を消した。
彼女は、エレベーターのなかで、「自分は滅多に入れない場所」と言っていたが、確かに、ここは特別な空間のようだ。
私のいるこの応接にも、背後に現代アートが飾られていて、挑発的な現代詩が書かれていた。
これから仕事の話をするので、私は前を向いていて、ほとんど見ることもなかったが。

私は、スマホで新着メールを読んだりして、相手の到着をしばらく待った。
その後については、仕事のことなので、秘密である(*'ω'*)

2025/02/10

黄昏の犬







日曜日の午前中。

応接のソファーで、姪っ子の犬が、たそがれていた。

2025/02/02

トッピングの罠?

「妻家房」は、全国展開している韓国料理店で、結構、有名だと思う。
サイカボウと読むのだが、私は、ここに入るのは2回目だ。

写真フォルダを見ると、前回の初入店は、2018年2月だった。
六本木で、カジュアルなワイン会に参加したとき、知り合った女性に誘われて、初めて食べた。
しかし、このとき食べたものは、そこまで辛くなかった気がする。











彼女とは何度か食事をしただけだったが、当時の彼女は、私がこのように法律の本を書いたり、マジメな仕事をするとは思わなかっただろう。
私自身も、そうなるとは思っていなかった。

人の将来とは、実に分からないものだ。
それは、大きな可能性があるということと同時に、一寸先は闇ということでもある。
だから、いつどこで何があるか、気を付けなくてはいけない。
また、良いことがあっても、喜んでばかりはいられないのである。

(以上、2025/01/13「新年早々、妻家房」より)


1月のある日の午後。
都内の用事を済ませてから、日本橋高島屋に行った。
セールの冬服を見たいのと、喫茶店で時間調整をするためだ。
館内のカフェはどこも混雑していて、私は、結局、スターバックスに入った。
スマホの充電もしたいので、相席の大きなテーブル席へ。





おや、このトッピングは、金粉!?
ラッキー!(*^^*)

スターバックスは、トッピングが有料である。
だから、私は普段、頼まないが、たまに何かのサービス(?)で、トッピングを無料でしてくれることがある。

ズバリ、今年の自分は、金運が良いのではないか。
実際そのような兆候があるのかと問われると、何とも言えないところなのだが。
ママ殿の購入した年末ジャンボ宝くじは、大ハズレだった。

あるいは、金粉≒ゴールドを買うと値段が上がって儲かる、そういう示唆かもしれない。
ゴールド価格は長年、上昇を続けており、今後さらに上昇する可能性がある。
これは、欧米日の中央銀行が超低金利の金融緩和(バラマキ)をしていたことによるものだが、天下の日銀は、先進国の中では最も遅く金融緩和を始めたということもあって、引き締めが遅れていると批判されている。

経済用語で、「流動性の罠」というのがある。
Wikipediaの解説によれば、「流動性の罠とは、ケインズ経済学を解釈した経済学者のジョン・ヒックスが発案したものであり、金利水準が異常に低いときは、貨幣と債券がほぼ完全代替となってしまうため、いくら金融緩和を行っても、景気刺激策にならないという状況を指す」とある。

金融緩和をすれば、株や不動産の価格が上がるなどして、景気は何となく良くなるし、投資をすればらくに儲かる。
らくに儲かるのであれば、政府も人々も、低金利の世界にいつまでも浸っていたいと思うようになる。
だが、このやり方は、安易すぎて、ある種の「麻薬」である。

経済を良くするためには、本来であれば、生産性の向上、構造改革といった痛みの伴う政策をする必要があるが、居心地の良さに慣れて、そういったことをさぼってしまう。
結果、実体経済は次第に行き詰まるが、私たちは株や不動産の価格だけを見て、経済は順調と信じてしまう。
そのような状況では、麻薬を切らせば経済の醜い正体が露わになる、株価が暴落するので、いよいよ麻薬を打ち続けるしか選択肢がなくなる。
そうならないよう・・・あるいは、もうそうなっているのであれば、手遅れになる前に、日銀は、どんどん金利を引き上げていくのではないだろうか(年内1%、来年以降2%、最終的には3%以上も?)。





その後は、1時間ほどで高島屋を出た。
数日前、個展を見に行ったアーティストの方から、素敵な年賀状をいただいたので、私は、寒中見舞いを出すため、郵便局へ。
ただ、郵便局は、プリントハガキを1枚売りしてくれない。
私は、郵便局の机で、ボールペンの手書きのメッセージを書いて出した。

その後、私は、六本木へ移動。
気軽にカジュアルワインのテイスティングをするワイン会に参加するためだ。
しかし、実に久しぶりの入店で、コロナ禍があったので、かれこれ5年ぶりくらいだった。

店内のインテリアは、ずいぶん変わっていた。
少し戸惑ったが、立食用テーブルの前で待っていると、ワイン会は、予定通り、始まった。
狭い場所で、立ち飲み。
私は、知らない人どうしのテーブルで相席となり、ワインの銘柄の話など、いろいろ話した。





帰り道は、上野駅のエキュートで、ラーメンを食べて、常磐線で帰った。
「じゃんがら」という面白い店名のラーメン屋があり、かなりの人気店のようである。

私は、飲んだ帰りなどに、つい食べてしまうのだが、ラーメンの分量は、気持ち少な目で、価格は800円前後とお安い。
これから電車に乗る人のことを考えると、なかなか、うまい営業戦略ではないだろうか。

また、無料でトッピングができるのも、この店の大きな売りである。
カラシ高菜、紅ショウガのほか、店員に言えば無料で擦りおろしニンニクも、もらえる。
トッピングがおいしいものだと、トッピング目当てで食べに行ってしまうこともある。
これもまた、うまい営業戦略のように思うかもしれない。




しかし、これは「トッピングの罠」なのである!

Wikipediaの解説には載っていないが、「トッピングの罠」とは、ラーメン食べ歩きが好きなエッセイストのあんみつ先生が発案した言葉である。
トッピング無料のラーメン店だと、トッピングが有料だとまず頼まない客が、無料だと入れないと損だから、せっせと入れるようになり、もしそれが結構おいしいものだと、やがて、トッピング目当ての常連になることである。

トッピングは、客にとって「麻薬」になり得るということである。

そこで、自分がラーメン屋を開業する場合に、トッピング無料にして、客に「トッピングの罠」を仕掛ければ、集客ができて良いと考えるかもしれない。
しかし、起業支援コンサル(?)として相談を受けた場合、あんみつ先生は、あまり良くないとコメントするだろう。

最近は物価が異常に高騰しており、店側がトッピングを無料で提供し続けるのは、非常に厳しいのではないか(トッピングが特殊なものであれば、コストはかなり高いはず)。
しかし、そのような状況下でも、麻薬を切らせば客が来なくなる、売上が暴落するかもしれないので、トッピング無料を続けるしか選択肢がなくなる。

ということで、トッピングは、スターバックスのように有料の方がよいと思っている。
そうすると私は頼まないし、他の客の多くも頼まないのだが、それでもいいのではないか。
無料にして、客に「トッピングの罠」を仕掛けると、手っ取り早く店の景気は良くなるが、やめられないことであれば、あとになって大変な思いをするときが必ず来るということである。

2025/01/29

家督相続と隠居と事業承継と(3)

以下は、前回までの復習である。

・家制度は戸主(こしゅ)が財布を2つ作り、財布ごとに相続する仕組みである。1つは家督相続、もう1つが遺産相続である。
・旧民法は戸主の候補者(推定法定家督相続人)を戸籍により決め、現在の戸主が死亡もしくは隠居すると家督相続が開始する、とした。なお、この隠居制度は非常におもしろい制度なので次回取り上げようと思うのだが、隠居により家督相続のみが開始し、遺産相続の方は開始しないという点が重要である。

前2回では、旧民法、旧戸籍法の家督相続の話をしてきたが、最後に「隠居制度」を取り上げようと思う。

隠居(旧民752条乃至755条)とは戸主が自ら生前に戸主の地位を退き、戸主権を相続人に承継させ、その家の家族となることをいう~(略)~戸主が老衰や病気で戸主の責任を果たせなくなることや、他家に入らざるを得ないなどの事情が生じる場合もある。それでもその家の戸主という地位を退くことができないとなると、その家にとって重大な支障が生じる場合があり又は分家が本家を守ることができないという事態が生じるおそれがある。それらを回避するために旧民法施行前から慣習とされていたものを制度として採用した~(略)~隠居者は戸主権を喪失し、新しい戸主の元でその家の家族となる。家督相続が発生し、前戸主が有していた権利義務は、一身に専属するものを除いて新戸主に移転する~(略)~隠居による家督相続の場合、隠居者は生存しているので、財産の一部を隠居者に留保することを認めている(旧民988)。その方法は、第三者に対して明らかにするために確定日附のある証書ですべきとされた(民施4条乃至8条)。留保された財産は、隠居者が隠居中に取得した財産と併せて遺産相続の対象となり、家督相続の対象にはならない。
(日本司法書士連合会研修資料より)


プロント


そもそも日本には、かなり昔から隠居の風習があった。
そのような慣習法を明治以降の旧民法が制度化した。
男の戸主は60才から隠居ができた。
家を会社にたとえると、社長を長男に譲り、自分は会長や相談役に退くようなものだろうか。
隠居するためには、まず跡継ぎを決め、その者が隠居を許可し、連名で役所に届出をする。
跡継ぎは家督相続の財産を単純承認したことになる。
これは生前贈与のようなものである。
このとき、戸主は跡継ぎに全財産を相続させないのが通例である(財産留保)。
自分の生活資金も必要だし、跡継ぎ以外の取り分も確保してあげないと、家庭内紛争になりかねないので、確保した分を自分の死後に相続させた。

このような家制度、家督相続といった旧民法の身分制度は確かに封建主義的だが、一見してこの仕組みは現在も非常に有用な場面がある。
例えば、経営者が代表取締役を退き、セカンドライフを送る「事業承継」。
跡継ぎは長男である。
ここに経営者名義の事業用地、自社株式、自宅不動産、車、上場株式等があるとする。
このうち、事業用地、自社株式を家督相続の財産と定める。
経営者の隠居が認められれば、跡継ぎの長男がその所有者となる。
ただ、人生100年の時代、セカンドライフがいつまで続くか分からないので、生活資金は手元に十分残しておく。
また、自宅は自分の死後、奥さんが住めるようにしたいし、車も引き続き病院通い等で必要である。
上場株式は手元に残すが売り時を探しており、投資顧問から投資助言をもらっている。
こちらの方は家督相続の財産ではなく、相続財産である。
自分が死んだら次男に相続させるつもりだ。
この場合、隠居により家督相続が開始するので、この部分は生前贈与するようなものだ。
他方、隠居により遺産相続は開始「しない」ので、こちらの部分は相続の範疇となる。
しかし、今はもう家制度も家督相続の制度もない。
なので、こうして自己の財産をきれいに切り分けて相続させるのは難しいのではないか。
さて、どうしたものか。

実は、民事信託で似たようなことが実現可能である。
そのスキームは資産承継の方法のひとつとして最近注目されている。
興味がある方は民事信託に関する入門書や実用書等を手に取ってみるといいと思う。

なお、最後に拙著の紹介。。。

民事信託の基本的知識が、最後の方に書かれています。
よろしくお願いします。



2025/01/28

家督相続と隠居と事業承継と(2)

前回の家督相続の続きである。
家制度は戸主(こしゅ)が財布を2つ作り、財布ごとに相続する仕組みである。
1つは家督相続、もう1つが遺産相続である。
このような仕組みで成り立つ「家」をまとめたものが「戸籍」である。
現在の戸籍は、敗戦による新法の適用で改製されたものの、続柄や筆頭者等は旧法の家制度から引き継がれた用語である。
なお、以前のものを改製原戸籍(かいせいげんこせき)という。

慶応3年(西暦1867年)の大政奉還後、明治2年(西暦1869年)の版籍奉還により形式的には土地も人民も朝廷に返上された。しかし、未だ混沌とした国家造りの中、明治新政府は治安を維持し中央集権を図り、徴税及び徴兵に資する目的としてすべての国民を詳細に掌握する必要があった。その手段として、明治4年(西暦1871年)に廃藩置県を実施したことと併せ、明治4年戸籍法33則が制定され、戸籍は編纂された~(略)~戸籍には、戸主を筆頭に、直系尊属、戸主の配偶者、直系卑属、直系姻族、兄弟姉妹、傍系親族を記載することとし、親族でない同居者を附籍者(ふせきしゃ)として末尾に記載した~(略)~戸籍は、すべての国民を住所地において世帯を単位として登録するという住民登録の性質を持つものであり、どちらかと言えば現在の住民基本台帳に近いものであり、身分関係の記載は本来の目的ではなかった~(略)
(日本司法書士連合会研修資料より)


横溝正史「本陣殺人事件」


戸籍は家制度の根幹をなす個人情報である。
横溝正史の「本陣殺人事件」でいうと、一柳家の戸籍に自分の名前を入れてもらえるかどうか、どのような続柄で記載されるのかが、その人の今後の人生を決める。
ここで問題となるのはもちろん、誰が次の戸主となるのか、である。
資産家の家の戸主は絶対的権力者である。
誰かを戸籍に入れるのも、誰かを戸籍から追い出すのも、戸主権(こしゅけん)として認められていたからだ。
では、戸主はどのように決まるのか。
旧民法は戸主の候補者(推定法定家督相続人)を戸籍により決め、現在の戸主が死亡もしくは隠居すると家督相続が開始する、とした。
なお、この隠居制度は非常におもしろい制度なので次回取り上げようと思うのだが、隠居により家督相続のみが開始し、遺産相続の方は開始しないという点が重要である。

原則として戸主の候補者は長男であった。
ただ、家庭の事情もあるので、バリエーションが用意された。
典型例は婿養子縁組である。
ここに三姉妹の家がある。
戸主が女性の場合は、それを「女戸主(おんなこしゅ、にょこしゅ)」といったが、三姉妹なら女戸主となる予定の者は長女である。
しかし、その長女が結婚するとき、結婚相手の男性がこちらの戸籍に入り、婿養子となれば、彼が長男となり、将来家督相続をして戸主の座に君臨することになるわけである。
資産家の家の長女が家を出ず、結婚相手を迎え入れると、長女の結婚は同じ屋敷に住む家族にとって大事件である。
次女、三女、彼女たちに夫や子供がいれば、一家を巻き込んだ壮絶な揉め事に発展しそうである。

ある日、「三本指の男」が農村の屋敷に転がり込んで来る。
三本指の男は長女のフィアンセで、屋敷内で威張り散らす。
こちらは廊下や食堂で顔を合わせるたび、この男を恐れ平身低頭しなくてはならない。
いよいよ、その憎たらしいやつを殺してしまおう、という日が来る。
満月の夜、眠っているところを次女夫婦に毒殺されるが、殺害現場の棟は密室のため、殺害方法が判然としない。
朝方自転車で駆け付けた地元の警察官は首をひねるばかりである。
そこで警察署長の親友で、金田一耕助の親戚のひ孫が、名探偵として登場する。
とまあ、こんな感じ??

さて、旧法には、その他にも、入夫婚姻(にゅうふこんいん)、分家(ぶんけ)、去家(きょけ)、一家創立、廃嫡(はいちゃく)といった様々な制度があった。
これらは難解だが、意味が分かればそれほど難解ではない。
また、旧法には、現代の私たちにも馴染みのある言葉が多くあり、例えば、嫡出子(ちゃくしゅつし)、非嫡出子(ひちゃくしゅつし)、認知といったものがそれである。
例えば三姉妹のお父様は地元の有力議員で、会社経営者なのだが、あってはならないことだが隠し子がいたりするとどうか。
もしそれが男なら、認知して自分の家の戸籍に入ると長男なので、先ほどの家督相続の話と同じである。
もっとも、認知だけをして、入籍を拒絶するのであれば問題なさそうに思えるが、その場合は法律上の親子関係が認知により発生する。
そのため、彼は家督相続人にはなれないが、遺産相続権を取得する。
やはり、これも揉めるだろう。
このように、戸籍の「あや」で家族の運命と財産が決まり、その戸籍に関する生殺与奪の権利を戸主が持っていたというのが、ついこないだまでの日本だった。
次回は、隠居について取り上げる。

2025/01/27

家督相続と隠居と事業承継と(1)

先週末は、午後から書斎の片付けをしたが、以前の司法書士研修で使った旧民法、旧戸籍法の資料があったので、ぱらぱらと読んでみた。
読者は、今時どうして戦前の旧民法、旧戸籍法を学ぶのか、と思うだろう。
しかし、例えば相続人調査をする場合、被相続人(死んだ人)が高齢なら戦前の戸籍までさかのぼることもあり、今も田舎の法務局では旧民法、旧戸籍法(以下省略)をめぐる質疑応答があるのだ。
何も戦前の法律は、昭和21年8月15日の敗戦と同時に無効となったわけではない。
戦後も約1年間は、旧民法が適用されていた。
新法への移行期、猶予期間のようなものがあり、新民法は昭和23年1月1日に施行された。
また、米軍占領下の沖縄では、その後も昭和32年1月1日まで、原則として旧民法が適用されていた。

日本は占領下にあって、沖縄を含む北緯30度以南の琉球(南西)列島は日本の施政権の範囲から除かれたため、その後に施行された応急措置法及び新民法は適用されず、その地域と本土の日本人同士で不平等な状況にあったとされる。それを解消するために、沖縄においては、本土の新民法と同内容に民法を一部改正し昭和32年1月1日に施行した。沖縄では、その前日である昭和31年12月31日までは旧民法により運用されていたとされ、現在、その当時に開始した相続における相続登記をする際には、本土の新民法又は旧民法のいずれを適用させて処理すべきかということについては、被相続人の本籍地、住所地、不動産の所在地を勘案して適用する判例が見られ注意を要する~(略)~その後、昭和47年5月15日に沖縄は日本に復帰し、本土の新民法が正式に適用されることとなった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

さて、歴史の授業でも習ったと思うが、戦前は家制度だった。
「家」には家長が君臨し、家督相続が行われた。
家督相続って何だろう。
家長は封建的な王様で、それ以外の家族は奴隷のようなものだったのかしら。
まあ、当時のことは私も知らないので何とも言えないが、戦前の「家」の問題については、金田一耕助(横溝正史のミステリー)をイメージすると分かりやすいと思う。


横溝正史「本陣殺人事件」


若い人は知らないかもしれないので念のため、「金田一少年の事件簿」ではなく、「金田一耕助のミステリー」である。
金田一耕助は愛嬌のある中年の私立探偵である。
昔々のテレビドラマでは石坂浩二が演じていたと記憶するが、帽子を取り長髪を掻くとフケが落ちるのが特徴であった。
横溝正史は推理作家の大御所である。
彼の著作の中では、金田一耕助シリーズの第1作「本陣殺人事件」が最も有名だが、どの作品も不吉なタイトルで、一度聞いたら忘れられないようなものばかりである。
「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」「病院坂の首縊りの家」、どれどれ、私の家の書斎にも横溝正史の推理小説が何冊かあった。
そのうちの1冊は、薄汚れた「本陣殺人事件」の文庫本であった。
やはり、横溝正史の本は、このように薄汚れていなくてはなるまい。


横溝正史「本陣殺人事件」「獄門島」「悪魔の降誕祭」


「本陣殺人事件」の舞台は、岡山県の農村の旧家「一柳家」である。
事件の日は雪が降っていた。
犯人は夜中、殺害現場の周囲の庭を歩いたはずだが、庭の積雪のどこにも足跡がない。
足跡を残さずどのように殺したか、という謎解きである。
いわゆる「密室連続殺人事件」の本作は、日本を代表する推理小説である。

薄汚れた文庫本のページをめくると、「1.三本指の男」~「岡山県の山村の」「あの恐ろしい事件」~「一柳家の」~と続く。
しかし、三本指の男とは、いきなりショッキングな書き出しであるが、いかにも横溝正史らしい設定である。
そして、金田一耕助のミステリーは家督相続と旧法の戸籍の問題をめぐる家庭のドタバタ劇とも言える。
本家、分家、婿養子といった言葉が出て来るが、これらは全て旧民法の制度の話なのである。
子供の頃は何も分からずテレビの前で恐がったりはしゃいだりしていたものだが、旧民法を理解していないと人間模様や殺害動機等もピンと来ないのではないか。

家とは、その構成員の中心的人物1名を戸主とし、その他の構成員を家族とし、その戸主と家族との権利義務によって法律上連結された親族団体である。旧民法上の「家」は戸主と家族からなり、戸主は家督相続により順次に継承されて、家は子々孫々まで引き継がれるものとされた。当時の日本は、家を国家構成の基本的な単位と位置づけ旧民法の基礎とした。そして、すべての国民はいずれかの家に所属し、どの家に所属するかにより身分や相続に関する影響があった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

つまり、「家」単位の財産がある。
それは「家長(戸主)」が相続する決まりである。
そのような相続の仕組みを「家督相続」といった。
不動産の登記情報(登記簿)を戦前まで遡ると、家督相続で所有権を取得した、などと書いてある場合がある。
その人はたいてい長男で、家を継いだ新戸主なのである。
もっとも、全財産が新戸主に家督相続されるわけではなく、現在の戸主が、家督相続の財産と、それ以外の財産に切り分けることができた。
後者の財産は家族の取り分で、こちらはこちらで別の仕組みで「遺産相続」された。
登記上、遺産相続で所有権取得した、などと書かれており、その人は例えば家を継がなかった次男や長女である。
当時は奥さんと子供が同時にもらえることはなかったため(同順位ではなかった)、たいていは長男以外の子供たちがもらった。
少し長くなるので、今回はこのくらいにしておこう。

2025/01/13

新年早々、妻家房



先月。
アークヒルズのスターバックスで、軽食をとっていると、電話がかかってきた。
日本実業出版社の担当編集者からで、拙著「ふと終活のことを考えたら最初に読む本」の一部を、大手金融機関の会報誌に載せてもらえるとの連絡であった(※2025/1/7追記:みずほ信託銀行の顧客向け情報冊子2024年冬号)。

「へえ、そういう場合、著作権者は、臨時収入をもらえるんですね」
「そうですね。著作権の使用料になります」
「私、ラッキーじゃないですか」
「ええ、ラッキーなんですけど、、、会報誌の制作会社から、ゲラが送られてくるので、あとで見てくれますか」
「分かりました。しっかりチェックしないといけませんね」
「よろしくお願いします」
「しかし、、、」
「しかし何です?」
「まあ、何と言いましょうか、私の終活本から転載するなんて、どこが良かったんでしょうね」
「ん~と、、、内容はもちろんですが、実は、この本のイラストも、良かったみたいですよ」
「なるほど。イラストは、私もお気に入りです」

(以上、2024/11/25「終活講座の秋」より)




以上は去年の話。

無事、年が明けて仕事始めになった。
1月6日。
私は、年初の挨拶などをするため、朝から都内へ。

途中、スマホの充電のため、上野のスターバックスに寄り道をした。
最近は、寒いので、ダークモカチップではなく、キャラメルマキアートのホットを頼むようになった。
私は、4人掛けのテーブル席に座り、充電完了まで過ごした。





店を出ると、私は、上野広小路方面へ。
すると、途中、みずほ信託銀行(上野支店)を見つけた。

実は、みずほ信託銀行の会報誌のサンプルは、制作会社から私の手元にまだ届いておらず、私は実物を見ていなかった。
編集者から、早ければ年末に送ります、といわれていたが、この時期はどこも忙しい。
ということで、私は、たまたま見つけた店舗に乗り込んで、現物を自ら確認しに行った。





信託銀行をよく知らない人も多いだろう。
そもそも、巷でよく見かける「みずほ銀行」と「みずほ信託銀行」は、別モノである。

みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行などは、「商業銀行(日本では普通銀行)」というものである。
商業銀行は、①私たちから預金を集める、②集めたお金を商売人などに貸して運用する、③その利ザヤで儲ける、ということをしている。
これが伝統的な銀行のスタイルで、私たちは商業銀行を単に銀行と呼ぶ。

これに対し、信託銀行は、主に信託業務をしており、商業銀行とは儲け方が異なる。
信託銀行の主な客は、金銭以外に不動産や有価証券など様々な資産を有しており、信託銀行は、それらを自己名義で預かり、利活用などをして、手数料で儲ける。

みずほ信託銀行上野支店は、ビルの3階にあった。
男性行員に事情を話すと、店舗には置いていないということだった。
みずほ信託銀行は、「あんしん信託」という信託サービスを展開しているが、その顧客(契約者)向け情報冊子(2024年冬号)に掲載されているからだ。
すでに、新年早々、郵送で顧客の手元に届いているようだ。





(*'ω'*)////アザッス.....

なお、情報冊子の実物は、まもなく私の手元に届いた。
担当編集者は気が利いていて、私の分と、ママ殿の分の2冊、入っていた。
ただ、本のなかみと同様、コンテンツをここで公開することはできない。





午後3時過ぎ。
そのほかの用事も済み、私は日本橋高島屋へ。
お昼がまだなので、新館の成城石井に向かった。
弁当を買おうと思ったが、結局、成城石井のそばの「妻家房」に興味を持った。
イートインの入口のメニュー写真がおいしそうなので、ここで食べることにした。

私は、キムチはよく食べるが、韓国料理そのものは、ほとんど食べない。
この日は、辛いものが食べたかったので、辛そうなメニューを選んだ。
しかし、これが、私にとっては、かなり辛かった。

私たちは、非常に甘いものを一生懸命食べるということはしないと思う。
だが、非常に辛いものだと、ムキになって、食べるのではないだろうか。
体力と気力を使って食べるので、これは、ある意味、格闘技のようなものだ。

私は、汗だくになりながら、30分ほどかけて、食べきった。
もちろん、おいしかったのだが、店を出た私は、早く家に帰りたくなった。




「妻家房」は、全国展開している韓国料理店で、結構、有名だと思う。
サイカボウと読むのだが、私は、ここに入るのは2回目だ。

写真フォルダを見ると、前回の初入店は、2018年2月だった。
六本木で、カジュアルなワイン会に参加したとき、知り合った女性に誘われて、初めて食べた。
しかし、このとき食べたものは、そこまで辛くなかった気がする。











彼女とは何度か食事をしただけだったが、当時の彼女は、私がこのように法律の本を書いたり、マジメな仕事をするとは思わなかっただろう。
私自身も、そうなるとは思っていなかった。

人の将来とは、実に分からないものだ。
それは、大きな可能性があるということと同時に、一寸先は闇ということでもある。
だから、いつどこで何があるか、気を付けなくてはいけない。
また、良いことがあっても、喜んでばかりはいられないのである。