2025/01/29

家督相続と隠居と事業承継と(3)

以下は、前回までの復習である。

・家制度は戸主(こしゅ)が財布を2つ作り、財布ごとに相続する仕組みである。1つは家督相続、もう1つが遺産相続である。
・旧民法は戸主の候補者(推定法定家督相続人)を戸籍により決め、現在の戸主が死亡もしくは隠居すると家督相続が開始する、とした。なお、この隠居制度は非常におもしろい制度なので次回取り上げようと思うのだが、隠居により家督相続のみが開始し、遺産相続の方は開始しないという点が重要である。

前2回では、旧民法、旧戸籍法の家督相続の話をしてきたが、最後に「隠居制度」を取り上げようと思う。

隠居(旧民752条乃至755条)とは戸主が自ら生前に戸主の地位を退き、戸主権を相続人に承継させ、その家の家族となることをいう~(略)~戸主が老衰や病気で戸主の責任を果たせなくなることや、他家に入らざるを得ないなどの事情が生じる場合もある。それでもその家の戸主という地位を退くことができないとなると、その家にとって重大な支障が生じる場合があり又は分家が本家を守ることができないという事態が生じるおそれがある。それらを回避するために旧民法施行前から慣習とされていたものを制度として採用した~(略)~隠居者は戸主権を喪失し、新しい戸主の元でその家の家族となる。家督相続が発生し、前戸主が有していた権利義務は、一身に専属するものを除いて新戸主に移転する~(略)~隠居による家督相続の場合、隠居者は生存しているので、財産の一部を隠居者に留保することを認めている(旧民988)。その方法は、第三者に対して明らかにするために確定日附のある証書ですべきとされた(民施4条乃至8条)。留保された財産は、隠居者が隠居中に取得した財産と併せて遺産相続の対象となり、家督相続の対象にはならない。
(日本司法書士連合会研修資料より)


プロント


そもそも日本には、かなり昔から隠居の風習があった。
そのような慣習法を明治以降の旧民法が制度化した。
男の戸主は60才から隠居ができた。
家を会社にたとえると、社長を長男に譲り、自分は会長や相談役に退くようなものだろうか。
隠居するためには、まず跡継ぎを決め、その者が隠居を許可し、連名で役所に届出をする。
跡継ぎは家督相続の財産を単純承認したことになる。
これは生前贈与のようなものである。
このとき、戸主は跡継ぎに全財産を相続させないのが通例である(財産留保)。
自分の生活資金も必要だし、跡継ぎ以外の取り分も確保してあげないと、家庭内紛争になりかねないので、確保した分を自分の死後に相続させた。

このような家制度、家督相続といった旧民法の身分制度は確かに封建主義的だが、一見してこの仕組みは現在も非常に有用な場面がある。
例えば、経営者が代表取締役を退き、セカンドライフを送る「事業承継」。
跡継ぎは長男である。
ここに経営者名義の事業用地、自社株式、自宅不動産、車、上場株式等があるとする。
このうち、事業用地、自社株式を家督相続の財産と定める。
経営者の隠居が認められれば、跡継ぎの長男がその所有者となる。
ただ、人生100年の時代、セカンドライフがいつまで続くか分からないので、生活資金は手元に十分残しておく。
また、自宅は自分の死後、奥さんが住めるようにしたいし、車も引き続き病院通い等で必要である。
上場株式は手元に残すが売り時を探しており、投資顧問から投資助言をもらっている。
こちらの方は家督相続の財産ではなく、相続財産である。
自分が死んだら次男に相続させるつもりだ。
この場合、隠居により家督相続が開始するので、この部分は生前贈与するようなものだ。
他方、隠居により遺産相続は開始「しない」ので、こちらの部分は相続の範疇となる。
しかし、今はもう家制度も家督相続の制度もない。
なので、こうして自己の財産をきれいに切り分けて相続させるのは難しいのではないか。
さて、どうしたものか。

実は、民事信託で似たようなことが実現可能である。
そのスキームは資産承継の方法のひとつとして最近注目されている。
興味がある方は民事信託に関する入門書や実用書等を手に取ってみるといいと思う。

なお、最後に拙著の紹介。。。

民事信託の基本的知識が、最後の方に書かれています。
よろしくお願いします。



2025/01/28

家督相続と隠居と事業承継と(2)

前回の家督相続の続きである。
家制度は戸主(こしゅ)が財布を2つ作り、財布ごとに相続する仕組みである。
1つは家督相続、もう1つが遺産相続である。
このような仕組みで成り立つ「家」をまとめたものが「戸籍」である。
現在の戸籍は、敗戦による新法の適用で改製されたものの、続柄や筆頭者等は旧法の家制度から引き継がれた用語である。
なお、以前のものを改製原戸籍(かいせいげんこせき)という。

慶応3年(西暦1867年)の大政奉還後、明治2年(西暦1869年)の版籍奉還により形式的には土地も人民も朝廷に返上された。しかし、未だ混沌とした国家造りの中、明治新政府は治安を維持し中央集権を図り、徴税及び徴兵に資する目的としてすべての国民を詳細に掌握する必要があった。その手段として、明治4年(西暦1871年)に廃藩置県を実施したことと併せ、明治4年戸籍法33則が制定され、戸籍は編纂された~(略)~戸籍には、戸主を筆頭に、直系尊属、戸主の配偶者、直系卑属、直系姻族、兄弟姉妹、傍系親族を記載することとし、親族でない同居者を附籍者(ふせきしゃ)として末尾に記載した~(略)~戸籍は、すべての国民を住所地において世帯を単位として登録するという住民登録の性質を持つものであり、どちらかと言えば現在の住民基本台帳に近いものであり、身分関係の記載は本来の目的ではなかった~(略)
(日本司法書士連合会研修資料より)


横溝正史「本陣殺人事件」


戸籍は家制度の根幹をなす個人情報である。
横溝正史の「本陣殺人事件」でいうと、一柳家の戸籍に自分の名前を入れてもらえるかどうか、どのような続柄で記載されるのかが、その人の今後の人生を決める。
ここで問題となるのはもちろん、誰が次の戸主となるのか、である。
資産家の家の戸主は絶対的権力者である。
誰かを戸籍に入れるのも、誰かを戸籍から追い出すのも、戸主権(こしゅけん)として認められていたからだ。
では、戸主はどのように決まるのか。
旧民法は戸主の候補者(推定法定家督相続人)を戸籍により決め、現在の戸主が死亡もしくは隠居すると家督相続が開始する、とした。
なお、この隠居制度は非常におもしろい制度なので次回取り上げようと思うのだが、隠居により家督相続のみが開始し、遺産相続の方は開始しないという点が重要である。

原則として戸主の候補者は長男であった。
ただ、家庭の事情もあるので、バリエーションが用意された。
典型例は婿養子縁組である。
ここに三姉妹の家がある。
戸主が女性の場合は、それを「女戸主(おんなこしゅ、にょこしゅ)」といったが、三姉妹なら女戸主となる予定の者は長女である。
しかし、その長女が結婚するとき、結婚相手の男性がこちらの戸籍に入り、婿養子となれば、彼が長男となり、将来家督相続をして戸主の座に君臨することになるわけである。
資産家の家の長女が家を出ず、結婚相手を迎え入れると、長女の結婚は同じ屋敷に住む家族にとって大事件である。
次女、三女、彼女たちに夫や子供がいれば、一家を巻き込んだ壮絶な揉め事に発展しそうである。

ある日、「三本指の男」が農村の屋敷に転がり込んで来る。
三本指の男は長女のフィアンセで、屋敷内で威張り散らす。
こちらは廊下や食堂で顔を合わせるたび、この男を恐れ平身低頭しなくてはならない。
いよいよ、その憎たらしいやつを殺してしまおう、という日が来る。
満月の夜、眠っているところを次女夫婦に毒殺されるが、殺害現場の棟は密室のため、殺害方法が判然としない。
朝方自転車で駆け付けた地元の警察官は首をひねるばかりである。
そこで警察署長の親友で、金田一耕助の親戚のひ孫が、名探偵として登場する。
とまあ、こんな感じ??

さて、旧法には、その他にも、入夫婚姻(にゅうふこんいん)、分家(ぶんけ)、去家(きょけ)、一家創立、廃嫡(はいちゃく)といった様々な制度があった。
これらは難解だが、意味が分かればそれほど難解ではない。
また、旧法には、現代の私たちにも馴染みのある言葉が多くあり、例えば、嫡出子(ちゃくしゅつし)、非嫡出子(ひちゃくしゅつし)、認知といったものがそれである。
例えば三姉妹のお父様は地元の有力議員で、会社経営者なのだが、あってはならないことだが隠し子がいたりするとどうか。
もしそれが男なら、認知して自分の家の戸籍に入ると長男なので、先ほどの家督相続の話と同じである。
もっとも、認知だけをして、入籍を拒絶するのであれば問題なさそうに思えるが、その場合は法律上の親子関係が認知により発生する。
そのため、彼は家督相続人にはなれないが、遺産相続権を取得する。
やはり、これも揉めるだろう。
このように、戸籍の「あや」で家族の運命と財産が決まり、その戸籍に関する生殺与奪の権利を戸主が持っていたというのが、ついこないだまでの日本だった。
次回は、隠居について取り上げる。

2025/01/27

家督相続と隠居と事業承継と(1)

先週末は、午後から書斎の片付けをしたが、以前の司法書士研修で使った旧民法、旧戸籍法の資料があったので、ぱらぱらと読んでみた。
読者は、今時どうして戦前の旧民法、旧戸籍法を学ぶのか、と思うだろう。
しかし、例えば相続人調査をする場合、被相続人(死んだ人)が高齢なら戦前の戸籍までさかのぼることもあり、今も田舎の法務局では旧民法、旧戸籍法(以下省略)をめぐる質疑応答があるのだ。
何も戦前の法律は、昭和21年8月15日の敗戦と同時に無効となったわけではない。
戦後も約1年間は、旧民法が適用されていた。
新法への移行期、猶予期間のようなものがあり、新民法は昭和23年1月1日に施行された。
また、米軍占領下の沖縄では、その後も昭和32年1月1日まで、原則として旧民法が適用されていた。

日本は占領下にあって、沖縄を含む北緯30度以南の琉球(南西)列島は日本の施政権の範囲から除かれたため、その後に施行された応急措置法及び新民法は適用されず、その地域と本土の日本人同士で不平等な状況にあったとされる。それを解消するために、沖縄においては、本土の新民法と同内容に民法を一部改正し昭和32年1月1日に施行した。沖縄では、その前日である昭和31年12月31日までは旧民法により運用されていたとされ、現在、その当時に開始した相続における相続登記をする際には、本土の新民法又は旧民法のいずれを適用させて処理すべきかということについては、被相続人の本籍地、住所地、不動産の所在地を勘案して適用する判例が見られ注意を要する~(略)~その後、昭和47年5月15日に沖縄は日本に復帰し、本土の新民法が正式に適用されることとなった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

さて、歴史の授業でも習ったと思うが、戦前は家制度だった。
「家」には家長が君臨し、家督相続が行われた。
家督相続って何だろう。
家長は封建的な王様で、それ以外の家族は奴隷のようなものだったのかしら。
まあ、当時のことは私も知らないので何とも言えないが、戦前の「家」の問題については、金田一耕助(横溝正史のミステリー)をイメージすると分かりやすいと思う。


横溝正史「本陣殺人事件」


若い人は知らないかもしれないので念のため、「金田一少年の事件簿」ではなく、「金田一耕助のミステリー」である。
金田一耕助は愛嬌のある中年の私立探偵である。
昔々のテレビドラマでは石坂浩二が演じていたと記憶するが、帽子を取り長髪を掻くとフケが落ちるのが特徴であった。
横溝正史は推理作家の大御所である。
彼の著作の中では、金田一耕助シリーズの第1作「本陣殺人事件」が最も有名だが、どの作品も不吉なタイトルで、一度聞いたら忘れられないようなものばかりである。
「獄門島」「八つ墓村」「犬神家の一族」「悪魔が来りて笛を吹く」「悪魔の手毬唄」「病院坂の首縊りの家」、どれどれ、私の家の書斎にも横溝正史の推理小説が何冊かあった。
そのうちの1冊は、薄汚れた「本陣殺人事件」の文庫本であった。
やはり、横溝正史の本は、このように薄汚れていなくてはなるまい。


横溝正史「本陣殺人事件」「獄門島」「悪魔の降誕祭」


「本陣殺人事件」の舞台は、岡山県の農村の旧家「一柳家」である。
事件の日は雪が降っていた。
犯人は夜中、殺害現場の周囲の庭を歩いたはずだが、庭の積雪のどこにも足跡がない。
足跡を残さずどのように殺したか、という謎解きである。
いわゆる「密室連続殺人事件」の本作は、日本を代表する推理小説である。

薄汚れた文庫本のページをめくると、「1.三本指の男」~「岡山県の山村の」「あの恐ろしい事件」~「一柳家の」~と続く。
しかし、三本指の男とは、いきなりショッキングな書き出しであるが、いかにも横溝正史らしい設定である。
そして、金田一耕助のミステリーは家督相続と旧法の戸籍の問題をめぐる家庭のドタバタ劇とも言える。
本家、分家、婿養子といった言葉が出て来るが、これらは全て旧民法の制度の話なのである。
子供の頃は何も分からずテレビの前で恐がったりはしゃいだりしていたものだが、旧民法を理解していないと人間模様や殺害動機等もピンと来ないのではないか。

家とは、その構成員の中心的人物1名を戸主とし、その他の構成員を家族とし、その戸主と家族との権利義務によって法律上連結された親族団体である。旧民法上の「家」は戸主と家族からなり、戸主は家督相続により順次に継承されて、家は子々孫々まで引き継がれるものとされた。当時の日本は、家を国家構成の基本的な単位と位置づけ旧民法の基礎とした。そして、すべての国民はいずれかの家に所属し、どの家に所属するかにより身分や相続に関する影響があった。
(日本司法書士連合会研修資料より)

つまり、「家」単位の財産がある。
それは「家長(戸主)」が相続する決まりである。
そのような相続の仕組みを「家督相続」といった。
不動産の登記情報(登記簿)を戦前まで遡ると、家督相続で所有権を取得した、などと書いてある場合がある。
その人はたいてい長男で、家を継いだ新戸主なのである。
もっとも、全財産が新戸主に家督相続されるわけではなく、現在の戸主が、家督相続の財産と、それ以外の財産に切り分けることができた。
後者の財産は家族の取り分で、こちらはこちらで別の仕組みで「遺産相続」された。
登記上、遺産相続で所有権取得した、などと書かれており、その人は例えば家を継がなかった次男や長女である。
当時は奥さんと子供が同時にもらえることはなかったため(同順位ではなかった)、たいていは長男以外の子供たちがもらった。
少し長くなるので、今回はこのくらいにしておこう。

2025/01/13

新年早々、妻家房



先月。
アークヒルズのスターバックスで、軽食をとっていると、電話がかかってきた。
日本実業出版社の担当編集者からで、拙著「ふと終活のことを考えたら最初に読む本」の一部を、大手金融機関の会報誌に載せてもらえるとの連絡であった(※2025/1/7追記:みずほ信託銀行の顧客向け情報冊子2024年冬号)。

「へえ、そういう場合、著作権者は、臨時収入をもらえるんですね」
「そうですね。著作権の使用料になります」
「私、ラッキーじゃないですか」
「ええ、ラッキーなんですけど、、、会報誌の制作会社から、ゲラが送られてくるので、あとで見てくれますか」
「分かりました。しっかりチェックしないといけませんね」
「よろしくお願いします」
「しかし、、、」
「しかし何です?」
「まあ、何と言いましょうか、私の終活本から転載するなんて、どこが良かったんでしょうね」
「ん~と、、、内容はもちろんですが、実は、この本のイラストも、良かったみたいですよ」
「なるほど。イラストは、私もお気に入りです」

(以上、2024/11/25「終活講座の秋」より)




以上は去年の話。

無事、年が明けて仕事始めになった。
1月6日。
私は、年初の挨拶などをするため、朝から都内へ。

途中、スマホの充電のため、上野のスターバックスに寄り道をした。
最近は、寒いので、ダークモカチップではなく、キャラメルマキアートのホットを頼むようになった。
私は、4人掛けのテーブル席に座り、充電完了まで過ごした。





店を出ると、私は、上野広小路方面へ。
すると、途中、みずほ信託銀行(上野支店)を見つけた。

実は、みずほ信託銀行の会報誌のサンプルは、制作会社から私の手元にまだ届いておらず、私は実物を見ていなかった。
編集者から、早ければ年末に送ります、といわれていたが、この時期はどこも忙しい。
ということで、私は、たまたま見つけた店舗に乗り込んで、現物を自ら確認しに行った。





信託銀行をよく知らない人も多いだろう。
そもそも、巷でよく見かける「みずほ銀行」と「みずほ信託銀行」は、別モノである。

みずほ銀行、三井住友銀行、三菱UFJ銀行などは、「商業銀行(日本では普通銀行)」というものである。
商業銀行は、①私たちから預金を集める、②集めたお金を商売人などに貸して運用する、③その利ザヤで儲ける、ということをしている。
これが伝統的な銀行のスタイルで、私たちは商業銀行を単に銀行と呼ぶ。

これに対し、信託銀行は、主に信託業務をしており、商業銀行とは儲け方が異なる。
信託銀行の主な客は、金銭以外に不動産や有価証券など様々な資産を有しており、信託銀行は、それらを自己名義で預かり、利活用などをして、手数料で儲ける。

みずほ信託銀行上野支店は、ビルの3階にあった。
男性行員に事情を話すと、店舗には置いていないということだった。
みずほ信託銀行は、「あんしん信託」という信託サービスを展開しているが、その顧客(契約者)向け情報冊子(2024年冬号)に掲載されているからだ。
すでに、新年早々、郵送で顧客の手元に届いているようだ。





(*'ω'*)////アザッス.....

なお、情報冊子の実物は、まもなく私の手元に届いた。
担当編集者は気が利いていて、私の分と、ママ殿の分の2冊、入っていた。
ただ、本のなかみと同様、コンテンツをここで公開することはできない。





午後3時過ぎ。
そのほかの用事も済み、私は日本橋高島屋へ。
お昼がまだなので、新館の成城石井に向かった。
弁当を買おうと思ったが、結局、成城石井のそばの「妻家房」に興味を持った。
イートインの入口のメニュー写真がおいしそうなので、ここで食べることにした。

私は、キムチはよく食べるが、韓国料理そのものは、ほとんど食べない。
この日は、辛いものが食べたかったので、辛そうなメニューを選んだ。
しかし、これが、私にとっては、かなり辛かった。

私たちは、非常に甘いものを一生懸命食べるということはしないと思う。
だが、非常に辛いものだと、ムキになって、食べるのではないだろうか。
体力と気力を使って食べるので、これは、ある意味、格闘技のようなものだ。

私は、汗だくになりながら、30分ほどかけて、食べきった。
もちろん、おいしかったのだが、店を出た私は、早く家に帰りたくなった。




「妻家房」は、全国展開している韓国料理店で、結構、有名だと思う。
サイカボウと読むのだが、私は、ここに入るのは2回目だ。

写真フォルダを見ると、前回の初入店は、2018年2月だった。
六本木で、カジュアルなワイン会に参加したとき、知り合った女性に誘われて、初めて食べた。
しかし、このとき食べたものは、そこまで辛くなかった気がする。











彼女とは何度か食事をしただけだったが、当時の彼女は、私がこのように法律の本を書いたり、マジメな仕事をするとは思わなかっただろう。
私自身も、そうなるとは思っていなかった。

人の将来とは、実に分からないものだ。
それは、大きな可能性があるということと同時に、一寸先は闇ということでもある。
だから、いつどこで何があるか、気を付けなくてはいけない。
また、良いことがあっても、喜んでばかりはいられないのである。

2025/01/06

年末年始、姪っ子の犬を預かった







年末年始、姪っ子の犬を預かった。


この小犬の毛色は、我が家のリビングのフローリングの床とほぼ同じである。

そのため、リビングにいると見失いがちで、足元に寝ていて、うっかり踏みそうになることもある。


ただ、この日の朝は非常に寒く、和室の座布団の上で丸まって寝ていた。

寝顔に近付いてみると、隣のボールのような頭だった。

2025/01/01

2拠点生活と作家という肩書



一年の計は元旦にあり。
2025年1月1日、私は、早朝のジョギングをした。
空気が澄んでおり、大通りを走り出すと、清々しかった。
大晦日から正月にかけて、付近の国道の車の通行量が少なくなるためだ。

利根川の堤防のサイクリングロードに上がると、空が澄み渡って、きれいだった。
眼下の河川敷には、正月の凧揚げをする親子が何組かいたが、非常に寒くて風が強かった。
その後は、駅の方面に走り、歓楽街の裏手へ。
丘の上に小さなお寺があって、帰り道はそこの急階段を登り、回り道をして帰った。




2025年年賀状抜粋。

(問題)ヘビに関する次の記述のうち、誤っているものを全て選びなさい。

①ヘビは、尻尾の部分までもが胴体の一部であるから、尻尾と呼ばれる部分を持っていない。
②ヘビは、人に比べると、目が悪い。
③アオダイショウは、おおむね1~2メートルあるものが多いが、毒を持っていない。
④蝮(マムシ)は、アオダイショウと同じくらいの大きさだが、毒を持っている。
⑤毒蝮三太夫は、高齢者に人気のタレントで、巣鴨のスターの異名を持つが、毒は持っていない。




<解答>
①誤(蛇にも尻尾はある。胴体と尻尾は区別される。胴体には肋骨があるが尻尾には肋骨がない)
②正
③正
④誤(アオダイショウは1~2メートルあるが、マムシは1メートルに満たない、50センチ前後であり、毒を持っている)
⑤正(タレントの毒蝮三太夫は、毒舌だが、毒そのものは持っていない)

よって、誤っているものを全て選ぶと、①と④である(参考=Wikipedia「蛇」など)




私にとって、今年のキーワードは2つある。
2拠点生活と、作家という肩書である。

まず、1つ目は、「2拠点生活(デュアルライフ)」。
住居など複数の拠点を併用し、行き来する生活のことだが、ネットの記事などを見ると、都内のマンションと地方の別荘、郊外の自宅と都内の仕事場など、組み合わせはいろいろある。
私は去年、何人かの友人から、このキーワードを聞いて考えていた。
私の場合、転居と比べ、ハードルが低いからだが、現在のところ、ママ殿のいる茨城県の実家と、東京23区内のどこかの組み合わせを考えている。








実は先月、2拠点生活の候補地をいくつか歩いた。

上記写真の1枚目は、曳舟~押上の周辺(墨田区)。
前回のブログ記事で訪問したママ殿の実家の墓(圓通寺)があるところで、東京スカイツリーの麓である。
スカイツリーができたことで、再開発が進んでいるが、基本的には昭和の古い下町で、リラックスした雰囲気である。

2枚目の写真は、飯田橋~市ヶ谷の周辺(新宿区)で、こちらも候補地のひとつである。
高台の方は閑静な住宅地で、神楽坂が有名。
外堀通りの周辺は、出版社と印刷会社が集まる。
特に市ヶ谷は、本と活字の町として有名である。
ちなみに、拙著「ふと終活のことを考えたら最初に読む本」の日本実業出版社も、市ヶ谷駅の近くにある。

また、先月は、参考文献を探しに慶應三田図書館まで行ったが、そのとき歩いた、三田~白金高輪の周辺(港区)も、候補地のひとつである。
ここは、品川駅の東部で、利便性が非常に良い。
上野東京ラインで、取手から品川まで、一直線というのも魅力的だ。
ただ、チョット敷居が高そうである。

さて、どのようにするか考えておく必要がある。
当面は、状況を見ながら、少しずつ進めたい。




では次に、2つ目のキーワード「作家」の肩書について述べる。

例えば、誰かのことを調べるとき、何をするだろうか。
Googleで検索する、SNSを見る、私がするのは、この2つである。
そこに書かれている肩書や身分をもって、その人が何者かを理解する。

そもそも問題の所在は、下記のように、Google検索をすると、私が「作家」になっていることなのだ。
去年夏、私はブログで、いつのまにか自分が作家になっている・・・というようなことを書いたが(2024/06/20「女の世界」)、大晦日に検索すると、やっぱり、変わっていなかった。




Googleの検索結果のページを下へスクロールすると、、、(*'ω'*)!!!




そもそも、拙著「ふと終活のことを考えたら最初に読む本」は、司法書士の肩書で書いた法律のビジネス書である。
この本との組み合わせなら、作家ではなく、司法書士の表記が自然だが、よく考えると、この本の説明文は全体の約6割で、残りは登場人物の会話なのである。
小説と同様、後者は創作といえばそのとおりであるから、「作家」の表記は一理ある。
また、私自身、個人の活動の意味合いで、これまでブログ、SNSなどで「エッセイスト」と名乗ってきた。
作家を名乗ってはいないが、エッセイストと作家は、かなり近く、「作家」の表記は間違いとはいえない。
それに、私のブログは、実は、Google Bloggerのプラットフォームを使っており、Google的には、私=作家ということのようだ。
Googleがそう決めれば、いまの時代、ひとまず、そうなるだろう。

ということで、2025年初頭より、「作家」と名乗ってみようかしら(*'ω'*)
まあ、肩書なんて、あまり気にしてもしょうがないのだが、、、